再び繋がった、その後に…

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西洋魔術についての誤解を解くには、まず「オカルト」という言葉を明確にしておく必要があるでしょう。

「オカルト」というのは、お化けとかホラーのことではありません。(笑)

昔、中学校や高校の世界史で、中世~ルネサンスあたりのお話がありましたね?
その頃に一度習っている筈です。

「オカルト」とは、正式な学問以外の「怪しげなもの」全てを指します。
これが元々の「オカルト」の定義です。

では、中世のヨーロッパにおける正式な学問とは何か?

「神学(theology)」です。
正式な学問とは、聖書の研究及びキリスト教神学のみです。

それ以外の思想や研究は、自然科学も含め、全て「オカルト」と見なされていました。だから、地動説を唱えたら宗教裁判に掛けられる、なんてことも発生した訳です。

大雑把にいえば、こういった一律的で硬直した、(内部的な腐敗も囁かれていた)ローマ・カトリック教会による支配に対するある種のアンチテーゼとして、ルネサンスの流れが発生し、宗教改革などにも繋がったと考えればいいだろうと思います。

この後17世紀~18世紀に入ると、それまでのキリスト教の「神」への信仰が中心に据えられた世界観から(欧州の古い村などを見ると、だいたいが町の中心に教会があります)、人間中心という世俗化が始まり、また自然科学なども台頭して来ました。

そして現在。
「神学(theology)」に取って代わった新たな権威は、「科学(Science)」ですね。
現在では、「科学的に証明不可能なもの=オカルト(怪しいもの、信じるに足りぬもの)」です。

思想的には、この頃、宗教改革と同時に、キリスト教以外のシャーマニズム、神秘主義、古代秘儀などが復活し始め、秘密結社なども現れ、魔術や錬金術の研究が盛んに行われることになりました。

はい。ここで魔術とか錬金術、秘密結社なんていう怪しいもんが出てきました。

このあたりは話が長くなるので、また次回に。えへへ…

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私は何冊か、友人との共訳でタロットの本を出版させていただいています。

タロットの本といえば、おそらく多くの人は、カードの意味がつらつら並べられていて、占う方法(スプレッドと呼ばれるカードの並べ方)が解説されているだけの本を想像するのではないかと思います。

そんな似たようなものを何冊も訳して、飽きないのかしらと思われるかもしれません。

実は我々が「現代タロット研究会」として出している本は、魔術道具としてのタロット、西洋の神秘主義哲学のエッセンスが凝縮されたツールとしてのタロットの本です。

「タロットは実は魔術の道具である」などというと、殆どの人は「は?」と思われることでしょう。

魔術などというものに特に興味のない人にとっては、魔術と聞いてイメージされるのは、頭から足元まで真っ黒な衣装に身を包んだ鉤鼻でしわくちゃのお婆さんが、大きな壺で怪しげなものをぐつぐつ似ていたり、あるいは真っ黒な衣装に身を包んだ人々が夜な夜な集まって、バフォメットに山羊の生贄を捧げる儀式をしていたり。
そんな怪しい感じかもしれません。

で、かといって、その人たちが何のためにそんなことをしているのか、よく分からない。
そんな意味不明な印象なのではないでしょうか。

実は現代の西洋魔術というのは、もっとあっさりしたインテレクチュアルでクールなものです。

また、以前の記事で、ヒンドゥー教における導師(グル)への入門や教義の実践は、宗教というよりは、どちらかというと魔術結社などへの秘儀参入という方が、イメージとしては近いだろうと書きました。

この辺のことを、またちょくちょくと書いてみたいと思います。

ちなみに私自身の立場を申し上げますと、私自身は何処かの魔術結社に参入している訳ではありません。魔術師の位階や実践の詳細については、一般的な知識がある程度です。

またヒンドゥー教徒という訳でもありません。

ISKCONの僧侶の方による『バガヴァッド・ギーター』のクラスで学んだり、来日されたスワミのご法話通訳、文献の翻訳などに関わったり、マントラによる瞑想などは実践しているので、気が付いたら「クリシュナ神の献身者」という感じになってきてますが、かといって今のところがっつり信仰生活をしている訳ではない、普通の俗人です。ひよざえもん やったね

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以前、地球よりも次元の低い世界が、必ずしも苦しみに満ちた世界とは限らない、むしろ極めて楽しく快適な世界であったりもすると書きました。(「地下界のイメージ」)

それに加えて言うなら、実は地球より一段階下の次元では、我々の生きている地球よりも、もっとずっと高度な文明が存在するのだということです。(これより更に下になると、所謂「地獄絵図」的な世界もあるようですが。)

何故かというと、地球よりも更に下というと、確かに精神度(霊性)は低くなるのですが、逆に物質度が高くなるということなので、物質文明という点では、地球よりもずっと上だったりするのだそうです。
UFOなんかばんばん飛んでて、もっと高くてガッチリした建物が並んでいたり。正にSFの未来都市。
言われてみれば、確かになるほどです。

シュタイナーの宇宙論を読んでいると、人間というのは徐々に物質化、あるいは西洋の四大元素で言うなら「地」の要素が強くなり、それにつれて肉体に、あるいは地上に縛り付けられる度合いが高くなったということです。

肉体度・物質度が高くなければ、肉体への依存度が高くなるということで、生存の為には肉体を保護する服や建物が必要となります。
また、よりしっかりと食べたり寝たりもしないといけなくなります。

なんとなくその辺の草原や森に住んで、ちょっとの草や木の実なんか食べる他は、霞でも食って生きるか、というわけにはいかなくなる。
だから、文明や巨大建造物が必要となった訳ですね。

だからといって、別に文明が悪い訳ではない。

長い歴史の中で、我々の肉体はより物質化することで脆弱になり、一方で神聖なる領域との繋がりは希薄になっている。
文明は我々の生存には必要なものである。
それだけのことです。

エジプトのピラミッドが建造されたのが、だいたい今から4500年くらい前ですが、その頃から、人間というエネルギー体の地上化、脆弱化は進んで行ったのかもしれません。

レイ・ブラッドベリの『火星年代記』という小説があります。

この小説の中の一節で、キリスト教宣教師団は、かつて大航海時代に神の恩恵に浴することのないアジアの蛮族に神の光をと海を越えて布教活動に乗り出したように、神の光の届かない火星の蛮族にも布教活動をと火星に行きました。

ところが、確かに文明の欠片もないところに人らしきものもおらず。
そうこうするうちに、いくつか光の球が飛んできた。
実は火星の民族はずっと進化していて、もはや肉体も持たず、従って「あなたたちの教義は、我々には必要ないからお帰りなさい」とあっさりあしらわれた、というようなエピソードがありました。

その「火星人」さんたちは、肉体もないのだから、農耕や牧畜などによる安定的な食料供給を基礎に文明を築く必要もなく、言葉も必要なく、思考が即テレパシー的に伝わるから、嘘や虚偽、争いもない。

より高次元な世界に上昇するというのは、そういう世界に行くということで、SFの未来都市のようなところに行くことはないということですね。

我々は何となく、UFOを飛ばせたりなんだりといった高度な物質文明を持っている=精神的にも発達していると思いがちですが、もしかするとそれは逆なのかもしれません。

何らかの精神的な修行をしている方はお分かりかと思いますが、精神的に発達し、覚醒が進むと、普通は「離欲」の方へと向かうものです。

「離欲」=「欲を捨てる」などというと、「楽しむことを何もかも放棄して、人の為に奉仕だけすること?お坊さんとか修道女みたいな生活?」と、何だかあまり楽しくない感じのことを想像する人もいるかもしれませんが、これには誤解があります。

精神的に発達し、覚醒が進むということは、物事への理解範囲が拡大するということです。

もう少し具体的に言うなら、物事の因果関係などを理解するにあたって、物質レベルで見えることだけに囚われなくなり、周りの物事や人、それらのエネルギーと自分との関係性に対する感受性と理解が深まり、単純に今、自分が思考レベルで考えていることや自分の欲求にあまり拘泥しなくなるということです。

物質的な現象として起きている出来事の背後にある因果関係やメカニズムも含めた全体を見る視野が出来てきますから、「自分の希望や意志は意志として、全体の流れを見ながら、上手く進めていこう」と自然に思えるようになってくるのです。

そうすると、結果的に自分の欲みたいなものには、あまり執着がなくなってくる訳です。

思考がクリアになって来れば、逆に自分の気持ちなどはシンプルに捉えることが可能になりますので、いちいち肩肘はって頑張ったり執着したりしなくても、必要なものは手に入るし、必要以上に欲しがらなくなるし、手に入った物で十分満足できる。

以前、クロウリーの言う「True Will(真の意志)」について、Wikipediaからの引用を載せていますが、再度引っ張り出してみましょう。

「これはある時には個人の人生における大いなる運命または目的と定義され、またある時には、その時々で〈自然〉と完全に調和してはたらく行為の進路と定義される。」
「〈真の意志〉は互いに衝突することなく運行している星々のそれぞれの固有の運動と軌道にたとえられる。」
「自分の〈真の意志〉と合致している〈セレマイト〉とは、偽りの欲望や葛藤や習慣を捨て去るか回避して、神性とのつながりに触れているものである。」
「理論的にはこの段階に至れば、〈セレマイト〉は、下り坂を流れ落ちる川のように、妨害もなく「結果を切望」することもなく、〈自然〉に沿って行動することになる。」

ここで書いている「結果を切望する」ということが、すなわち欲に囚われた状態であるということです。
要するに「True Will(真の意志)」を常にクリアに意識している状態とは、「神性」との繋がりに触れている状態で、実はこれが「離欲」だということになります。

このように考えると、UFOとコンタクトがあったとか何とか言って喜んでいる場合ではないのかもしれません。
精神的な高さとは全然真逆のものと接点を持ったということですから。

昨年末、アリゾナに行った時、初めてグランドキャニオンに行きました。

ここを見た時、ふと「ここの地下に巨大な宇宙人の何かの実験施設があったりして」なんてふと『ムー』な感じの想像をしてしまいました。(笑)

こんな感じだったのですが。



でも「精神性や霊性が低くなる=物質度が高くなる/高い文明を持つ」と考えると、「宇宙人の実験場が地下にある」という私の想像も、案外と当たらずしも遠からずだったのかも、という気もします。UFO


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私の周りには何人か、霊視といいますか、サイキック・リーディングによるカウンセリングをしている方々がいます。

そのうちの2人の方に以前、

「一つ前の前世は、日本人(アジア人)の女性で、編集者か文筆家か分からないけど、何らかの知的な職業に就いていた。でも現在の生と繋がりが深いのは二代前で、その時はイギリス人の男性で、有産階級だった」

という、ほぼ同内容のことを言われたことがあります。

この2人は面識があったわけではなく、打ち合わせた可能性などはゼロです。

前回の記事にも書いた通り、こういった「見えた」事柄も、何らかの脳内変換の結果ではあるので、それを「私の前世ってこうだったのね」と、そのままに受け取ることは勿論しませんが、なかなか興味深いと思いました。

彼女たちはどちらも、何らかの同じようなソースにアクセスしたのではあると思います。

面白いのは、そのうちの1人の方曰く、

「そのイギリス人であった時、xxさん(うちの連れ合い)は女性で、あなたは彼女と本当は相思相愛だったのに、それに気付くことなく、かなり偉そうに酷いことばかりを言って、彼女は傷心のまま、若くしてこの世を去った。あなたは彼女の死後、自分の気持ちに気づいて後悔したみたいよ」

その頃、私は今の連れ合いとは付き合い始めてそれほど年数は経っておらず、私は色々と彼に尽くしているつもりだったのに、わりにひどい言われ方をしていて(本人にはそういうつもりは全くない)、結構傷ついたりもしたものですが、「そうか、前世でかなり酷いことをしたので、今、あんな言われ方をしているのか。それでは仕方がないな~…えへへ…」などと思ったものです。

面白いのは、それで傷ついても、何故か愛情が冷めることはなく、「もういいわ、こんな人とは別れる!」と、離れる気にならなかった。
しっかりと前世のカルマの反動を受けなければならなかったのでしょうねえ。(笑)

今は、私も彼も変わり、とても穏やかな良い関係になってます。
きっと悪い行為によるカルマが解消されて、普通に愛情ある幸せな生活を構築できることが許されたのだな。汗々

でも、今でも彼には、私の言い方が偉そうな上、マイペースで我儘だとよく文句を言われるのですが。そんなに偉そうかなあ…?汗

私の友人(女性)にも似たようなことがありました。

彼女は私よりももっと深刻で、長年旦那さんの癇癪や言葉の暴力に傷つき、苦労してきました。

で、彼女が前世について言われたのが。

「あなたは前世では男性で旦那さんの上司だった。部下であった今の旦那さんをいびっていじめて、自殺に追い込んだのです。でももうそろそろ、前世の借りは充分に返したと思いますよ。」

彼女も私と同様、「そうか~、私、ひどいわね。いじめて自殺に追い込んだのねえ…。(苦笑)」と。

でも今は、旦那さんとは適度な距離を置きながら付き合うことを学び、彼女が変わることで旦那さんも変わり、今までになく穏やかな関係となっているようです。

私の場合も友人の場合も、語られた前世像が本当かどうかは確認のしようもありません。

しかしともかくも、今ここに生を受けているということは、残念ながら解消しなければならないカルマがあったということです。だから、どっちにしても過去、誰かに何かひどいことをしたのでしょう。(笑)

今、自分の人生に起こっていることは、過去世も含めて、全て自分の責任なのだということは、四十数年生きて来て、自分のこれまでの人生や、様々な人の人生を見ていると、しみじみ納得できます。

他人は所詮、他人であって、究極的には自分の幸不幸とは関係がなく、自分の心をどこに向けていくか、というそれだけなのだと。

もしそれが納得できなくて、「何で私だけがこんな目に遭うの?」と、例えば直接的な加害者がいた場合、その人恨んだり、あるいは不遇な環境に生まれたことを恨んだり、加害者に仕返ししたりしても、別に構わないと思います。

ただ、そうしたとしても、ご自分が望む幸せに辿り着くことがないというのも事実です。

降りかかってくる困難が大きければ大きいほど、恨む気持ちや自己憐憫の気持ちを手放すことは難しいかもしれません。

でも不遇な環境とか自分に不幸をもたらした人など、他者はとりあえず置いておいて、自分が幸せになる為の方策に目を向けようとする方が、多分思っているよりもずっと早く、自分の心が楽で穏やかになり、結果的に幸福になっていくだろうと思われます。
だからできたらなるべく早く、心を向ける方向を転換することをお勧めしたいなあ、なんて思います。ヒヨコ


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前回の続きとなりますが。

神々や天使、宇宙人などは、人間の脳内で変換された像なのだろうと考えているのは、実は何も難しいものではなく、昔読んだロバート・A・ウィルソンの著書『コスミック・トリガー』(武邑光裕(監訳)(1994), 八幡書店)の記述によります。

英米などの国では、地球外の知的生命体について真面目に研究している研究者や研究機関というのが結構存在するようで、本書では、そういった研究の統計によると、平均的な子供のUFOコンタクト体験と、カトリック諸国において聖処女マリア(BVM)が起こしたとされる奇跡の間には、44の類似点が見られるのだといいます(白い閃光と共に出現する、女性型である、子供と接触する等)。

この種の別世界との通信は何世紀にも渡って続いているものの、これらの女性型の存在(エンティティ)は、おそらく地球外の生命体ではないだろうとしています。

しかしどこからのコンタクトであれ、この女性型の存在(エンティティ)は、様々な現れ方をしていても、おそらくは同種のエネルギー波動を持つ存在であり、中世の人間には「地球外生命体」という概念がないから、「聖母マリアの奇跡」と変換解釈され、現代では「女性型宇宙人のコンタクト」となっているのだと推測できます。

前回の記事で、シュタイナーは「大天使」のことを「民族の根源」であるとしていると書きましたが、これは民族を統率する存在といった意味になるようです。
西洋以外の様々な国や文化にも、それに相当するエネルギーの存在が有り、それぞれの呼ばれ方をしているのだろうと思います。(日本だともしかすると大国主命のような存在でしょうか?)

いずれにせよ、これだけ世界の至る所で霊とか神々とか、天使など神の使いといった存在の目撃情報や奇跡などが伝えられているということは、私としては、一般的に大多数の視覚には映らないが、何らかの存在はいて、理由は分からねど地球の人間への接触が何度もあったのだろうと思います。

しかし同時に、神々や天使的存在の像がこれだけ各地で異なるということは、やはり、如何に知覚能力を開いたとしても、おそらく生きている人間には、人間よりも多次元的な存在を「そのままの形」では認識できないのだな、とも考えています。

世の中のスピリチュアル好きな方の中には、「占いは信じないけど、霊視やチャネリングやは信じる」と言う人が結構いるようですが、こういったセッションでも、必ずやそれを伝える人のフィルターが(意図的ではなくとも)掛っていることは、提供する側も受ける側も、認識しておくべきでしょう。

記憶が少しあいまいなのですが、確か以前、ジャーナリストの本多勝一氏(だったと思います)がその著書で、「真の客観いうものは不可能である。何故なら、写真を撮ること一つにしても、今視界に入っている風景からどの場所を切り取るかという主観的選択が行われている訳だから」といったことを述べていましたが、正にその通りだと思います。

また同じ風景を見ていても、知らないことは情報として受け取っていないということは、往々にしてあることです。

そういった意味では、その霊能者やチャネラーの方がどんな存在(エンティティ)と接触しているのか、どこまでが見えるのかといった霊的能力だけでなく、その方の知性、知識や教養、視野の広さというものがかなり重要になると思います。

とはいうものの。

これは勿論、本当にある程度知覚能力が開いていて、かつ真面目にそういったセッションを提供している人のお話。

いやもう、本当に、世の中には詐欺師みたいな自称「サイキック」さんがわんさといることも、事実ですから…えへへ…


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日本では伝統的に、幽霊には足がないことになっています。

ですから、西洋で幽霊には足があり、幽霊が出た時に足音がして…なんてことを初めて聞いた時には、日本人なら驚いたのではないかと思います。

また、例えば、中世の欧州の国で、菩薩を見たなどという話は聞いたことがありませんし、1000年以上前の日本で巫女さんが大天使ナントカからご神託を受けたなんて話も聞きません。

なのに、現在日本では、チャネラーの方が「私は大天使ナントカからのメッセージを伝えている」なんて謳い文句で宣伝しているのを見かけたります。

これって何となく不思議だと思いませんか?
霊的体験などという、ある意味地球上の文化や国民性が関係ない筈のものに、どうしてこのような影響が出ているのでしょう?

勿論、上記のようなことは全てインチキであり得ないことであり、天使や菩薩を見たなんて言う奴は詐欺師か、もしそうでなければ精神に異常をきたしていて幻視や幻聴が出ているだけなのだ、と結論づけることもできます。

当然のことながら、こういったことは証明が不可能なことですし、実のところ、「自分は大天使ナントカからのメッセージを伝えている」なんて言っている人が詐欺師であることだって、実際は結構あるでしょう。精神や知覚力に異常をきたしている人だって、中にはいると思います。

でもこの種の目撃情報の、えーと…例えば半分か三分の一くらいは本当なのだとしたら?

こういう地球外の、あるいは地球よりも多次元の世界から何らかの存在(エンティティ)が接触してくるなんてことも、あるかもしれない。

そういう前提で、ちょっと色々考えてみましょう。

ちょっと『ムー』な感じですが。(笑)

以前に、宇宙というのは純粋な非物質宇宙、光の領域、そしてその下に物質宇宙があり、その物質宇宙は15の階層に分かれていると書きました。

その階層の差異などについては、松村潔氏の著書が分かりやすいので、引用してみましょう。

「宇宙は、振動密度が高く、物質密度の低い「高次」なものから、振動密度が低く、物質密度の高い「低次」なものまで、さまざまなレベルの次元が階層的に、あたかも階段のように並んでいる」
(p.14-15, 松村潔(2011)『エーテル体に目覚める本』, アールズ出版)

そしてその生命の階段の区分に、松村氏はグルジエフの「生きとし生きるもの」の図表の区分を使って説明しています。

「人間が積極的に自由に扱うことができるのは、人間の振動密度よりも相対的に低いものだ。絶対、永久不変、大天使、小天使、人、ほ乳類、無脊椎動物、植物、鉱物、金属という連鎖を生命の階段と言うが、この中では、ほ乳類よりも後も部類が、人から見ると相対的に振動密度が低いので、それらは人間よりも意識が目覚めておらず、そのぶん物質的に密度が高い。つまり、人は相対的に自分よりも振動密度が低いものを物質として対象化して認識する。」
(p.15-16, 松村潔(2011)『エーテル体に目覚める本』, アールズ出版)

この対象化して認識できる物質のみを扱い、
「見えるものだけがある。見えないものは存在しないと考えることを、アーノルド・ミンデルは合意的現実という名前をつけている。」
(p.17, 松村潔(2011)『エーテル体に目覚める本』, アールズ出版)

この「合意的現実」は、自分が振動密度の高いところに行けば、当然ながら変わってきます。

そしてその認識ルールは基本的に、

「振動密度の高いものから低いものまでの階段の中で、相対的に自分より低いものを視覚化でき、それよりも上にあるものは把握できない」
(p.17, 松村潔(2011)『エーテル体に目覚める本』, アールズ出版)

ということです。

従って、この生命の階段の区分に大天使、小天使というものがありますが、

「これらは人よりも振動密度の高いので、それらをわたしたちは対象化できない。」
(p.17, 松村潔(2011)『エーテル体に目覚める本』, アールズ出版)

要するに、基本的には認識できないということです。

ちなみにこの大天使、小天使というのは、いわゆる羽が生えていて空を飛んでいる擬人化した天使ではなく、シュタイナーの言うところの「民族の根源」と同じ意味で使用されています。
「絶対」「永久不変」の次に発生した高次の意識だと考えていただくと良いでしょう。

しかし、人より振動密度が高いものは基本的に認識できないのだそうです。

では霊能者やチャネラーというのは全員詐欺師か、はたまた幻視・幻聴に振り回されている精神異常者なのでしょうか?

…というと、そうでもないと思います。

人間というのは、所謂「五感」で感知できるものだけに頼って生活している訳ではありません。
直観、第六感といった感覚で、「合意的現実」においてはっきり証明可能でないものも、日々何かしら感知しながら生きているということに、大きく異論を唱える人はいないのではないかと思います。

そういった直観や第六感が、もともと平均以上に発達している人の能力を、一般的に霊感などと呼んでいるのだな、と考えるといいでしょう。

そしてこういった能力はある程度開発が可能であり、様々な密教や魔術結社、ヨーギー(ヨーガ苦行者)や神秘思想家などは、このような能力を段階的に開発して、認識範囲を広げる訓練をしているわけです。

しかし、訓練によって認識範囲を広げても、肉体を持ち、肉体・時間・重力に縛られて生きている以上、その認識能力の開発には、ある程度限界があるようです。

だからもっと多次元の、振動密度の高いところを垣間見たとしても、あるいはそういった存在から何らかのコンタクトがあったとしても、それをそのままの形では認識できないのではないかと思うのです。

で、どうなるのかというと、受け取った情報が脳内で手持ちの情報の中で近いものへと変換されているのだと私は推測しています。

何故私がそう考えているのかについては、ちょっと長くなるので次回に譲りたいと思います。

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ニューエイジやスピリチュアルに興味のある人はよく「浄化」という言葉を耳にすると思います。

ヒーラーやサイキック・リーダー、占い師さんなどは、セッションの前後にセージや塩、はたまたクリスタル・チューナーなどで場の浄化を行うようです。

またこういったことを生業している人は、霊媒体質的で、様々な「気」や霊的なものを自分の方へと吸い寄せがちな体質の人が多いので、だいたいが塩や酒を入れた風呂に入って、自らを浄化するなどということもしているだろうと思います。

このような浄化方法の目的は、わりに物質レベルに近い、エネルギー体のクリーニングで、言うなれば部屋のお掃除やお風呂に入って身体を綺麗にするというのに近いと思います。

これはヒンドゥーなどの宗教で、マントラを唱えることや菜食にすることによってなされる浄化とは、少々意味が異なるでしょう。

マントラによる浄化はどちらかというと、もっと大きな意味での魂のカルマやマーヤーなどの浄化であって、これもエネルギー的な部分にまるっきりアプローチしない訳ではないでしょうが、そういったことも含めて効力を発揮することがあるとすれば、その意味するところは、日々精進潔斎して、心身を清浄に保ち、神への信仰心と信念が揺るぎないものとなっている人ならば、そもそも変な気を寄せ付けなくなるということなのではないかと思います。

昔の西洋のホラー映画などで、悪霊に向かって十字架をかざすなんて場面がありますが、十字架が効力を発揮するのも、本当は神に対する篤い信仰心と揺るぎない信念がある場合だけなのではないでしょうか。

ただ、最近になって気付いたのですが、日常的に飲酒と肉食を控えてマントラを唱えていると、妙なもの(霊的なもの)に寄ってこられにくくなっているようです。

ギータークラスの先生にそのお話をすると、「お酒を飲むと、アストラル体が破れほころびるとのことです。マントラを唱えることで、その破れほころびた部分が修復されるようです」とおっしゃっていたのですが、これは確かにそうかもしれない。

一般的に宗教で飲酒を禁じているのは、酩酊することにより暴力的になることや精神的修行の妨げとなることなどが理由とされていますが、もしかするとこういったエネルギー体への健康といった側面もあるのかもしれません。

一度ついてしまった霊や気、あるいはそれによる気の滞りには、やはり塩やセージなどによる浄化が必要となると思います。

聖人でもない限り、マントラや祈り、信仰心などでは、多分どうにもなりません。

でももしヒーラーさんや占い師さん、サイキック・リーダーの方で、しょっちゅうしんどくなることがある方は、予防策として、一度飲酒や肉食は控えてみることを試してみられてもいいかもしれませんよ。ひよざえもん やったね


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一卵性双生児の双子の片方が怪我をすると、もう片方も同じ所が腫れたり、あるいは片方が怪我や病気の時、何となくもう片方がそれを感知したりする、などというお話があります。

どうも眉唾な感じもしますが、双子に限らず近しい関係にある者同士だと、常に気の交換が行われていますし、それゆえ他人である筈の夫婦だって長年連れ添っていると顔が似てきたりするので、あるいはそういうこともあるかもしれないな、などと思ったりもします。

少し前の記事で、私が霊的なものや人の気やエネルギー(自分自身の感情も含め)など、色々と受け取りやすい体質であると書きましたが、実はそれでエネルギーが停滞して、きれいに流れず詰まっていることには、いよいよ調子が悪くなってくるまで、自分ではなかなか気づきません。

それをいち早く感知するのが、実はうちの連れ合いです。

彼は別にヒーラーでもなんでもなく、あるプロスポーツの元選手であり、現在はパーソナルトレーナーをしているのですが、やはり常時身体や身体感覚を使ってきたアスリートであるせいか、普通の人よりも感覚が鋭いようで、集中すると、オーラ的なものも見えるようです。

具体的にどう感知するかというと、急に身体があちこちかゆくなったり、季節によっては花粉症のような症状が出たりします。(他の人からは、そこまで感知することはないようです)

また以前、一緒に暮らし始める前のことですが、ある時彼が珍しく風邪を引いたことがありました。

その日私は家に親戚が集まっていて、夜は従姉妹と朝4時までお茶飲みながらお喋り。
彼からは11時頃に、「晩ご飯後にも薬を飲んで、寝る前にも薬を飲んだ。そろそろ寝るから」とメールがありました。

ところが。

次の日、メールが入っていて、「昨夜、朝4時まで、4回くらいトイレに起きて、全然寝られなかった」と。

私が4時まで従姉妹とお茶飲んでお喋りしてたと言うと、

「尿意を俺の方へ送っただろう!!俺は風邪引いてて、しんどくて、その上、膝まで痛んでて…勘弁してくれ、トイレくらい、自分で行ってくれ~~~~!むかっ

と怒られました。

尿意……そんなもん、送れないし汗

送ったことないし汗汗

誰かに代わりにトイレに行ってもらうなんて、そんな器用なこと、できる人、いないと思うんですけど。

まあ確かにあれだけ水分を摂ったわりには、トイレの回数は少なかったような気がしますが。

でもその後も、私が夜寝る前にやたらと水分を摂ると、だいたい彼の方が夜中にトイレに行っているようです。

連れ合いは、私の特殊体質のせいで一方的に被害を被っていると思っているようですが、私も今までの彼氏や家族の間でそんなことが発生したことは一度もないのですから、向こうもちょっと変わった体質なのだと思います。

近しい間柄では、色々と目に見えない繋がりというのも出てくるでしょうが、こういうったことはわりによくあることなのか、滅多にない珍しいことのか…汗

よそのカップルはどうなっているのだろう?変わったエピソードをお持ちの方がいれば、教えて欲しいなあ、なんて思います。ジジ

親子にせよ、夫婦にせよ、その関係性はそれぞれに違いますから、探してみると、結構へんてこな結び付きが起こってたりする人たちも、案外といるのではないかと思うのですが…えへへ…

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一時ほどのブームは去ったものの、パワーストーン類を身に着けている女性はたくさんいるのではないかと思います。

またまた前回からのインド占星術のお話になりますが。

インド占星術では西洋占星術にはない重要な概念として、惑星の「高揚」「減衰」という要素があるそうです。

惑星と星座の相性といったもので、ある惑星の作用を強める、その惑星の力をポジティブに最大限に発揮できる組合せと、あまり力を発揮できず、場合によってはネガティブな影響を及ぼす組合せがある訳です。

そしてインドでも、ホロスコープ上で弱められている惑星があるとすれば、それを強化する為にその惑星が象徴する宝石を身に着ける、という開運方法があるのだそうです。

「へ~、そうなんだ。じゃあその宝石を入手してみようかしら?」などと浅はかな私はちらりと思ったのですが。

これが実はそう簡単にはいかなかった。(笑)

インド占星術に造詣の深いYさんにによると、まずどの惑星を強めるかというのは、そう単純なものではなく、他の惑星との角度や組合せなどによってかなり複雑で、下手に宝石などを持つと、かえって悪影響が出る、と。

あら汗

そしてこれまた困ったことに、インド占星術において惑星と対応しているのは、本当に「宝石=貴石」なのですよ。

対応はこのようになります。

太陽:ルビー
月:真珠
火星:コーラル
水星:エメラルド
金星:ダイヤモンド
木星:イエローサファイア
土星:ブルーサファイア

うう~~…ん。これはパワーストーンレベルの話ではないですよね。
ものによっては、簡単に入手できる値段ではない可能性が…

しかもYさん曰く、

「これね、ある程度大きさがないと効果がないらしいんですよ。えーとだいたい3カラットくらい。」

ええええ~~~~~っビックリマーク
もし金星を強めたいと思って、ダイヤ3カラットって…それは何千万もするのでは汗
そんなん、インドのマハラジャでもないと・・・・

「はい、無理ですね。(笑)」

その上その宝石も、ホロスコープに準じたカットを施していないといけないのだそうで。(真珠みたいにカットしないものは別でしょうけど)

Yさんによると、しかしこの開運法、来世から前借して貯金を下ろしてくるような側面もあるので、あまり安易にそうするのもお勧めはできないそうですが。

また先日インドから来日されたスワミ曰く、「宝石を使うなら、強い星を強化する(長所を高める)方が良いでしょう。また弱い、あるいは良くない影響を及ぼす星があるなら、その惑星を担当する神々への供犠を行う方が良い」ということでした。

なるほど~。ひよざえもん

上述のスワミ曰く、宝石の選択が難しいので、インドでは全部の宝石の付いた指輪をして、全部を中和しようという人も結構いらっしゃるのだそうですが。(富裕層にしか無理なことですが…)

ちなみに私が強めると良さそうなのは、蟹座に入っている月なのではないかと思うので、試しにうちにあった亡き母のパールの指輪、ちょくちょく身に着けてみようかな、なんて思っております。(笑)

守護神がクリシュナであるのも縁起が良い。

で、多分問題は、火星。
ううむ、以前ギータークラスの先生にコピーさせていただいたものの、長くて難しいもんで、神棚のお飾りになっちゃってる「ナラシンハ・カバチャ」(うわ~、先生、ごめんなさい)、ちょくちょく唱えよかな?汗

親切心や穏やかさ(月)を高め、怒りや攻撃性(火星)を抑える。

これを意識することは、どっちにしても良いことであるような気がします。えへへ…


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私はタロット本の翻訳もしており、時々鑑定もしていますし、以前はセドナの数秘術師ノボ・カリプソのセッション通訳などもしていたので、多分普通の人より占術や鑑定の手法等には詳しいだろうと思います。

もともと占いなどには殆ど行ったことはなかったのですが、ふとした偶然からタロット本の翻訳に携わることになり、自分で鑑定もするようになると、逆に興味が出て来て、幾度か自分の鑑定やリーディングを受けたりもしました。

前回インド占星術のお話をしましたが、インド占星術と西洋占星術との違いを言うなら、まずホロスコープ・チャートを作成するにあたっての計算方法が違います。
そして、インドでは外惑星(天王星、海王星、冥王星)は扱いません。

西洋占星術ではトロピカル方式、インド占星術ではサイデリアル方式という方法を採用しています。

計算方法に関する専門的なことに関してはここでは省きますが(インド占星術の専門書を読んでいただければ書いてありますので、ご興味のある方は読んでください)、サイデリアル方式の方が、実際の黄道上の星座の位置とチャートにおける星座の位置のずれが少ないのが特徴です。

西洋占星術と比べると、インド占星術のホロスコープ・チャートでは、だいたい一星座ずつ、星座がずれます。
例えば西洋占星術のチャートで太陽星座(サン・サイン)が牡羊座の人は、魚座になります。

また「私は○○座です」という時、西洋占星術では太陽星座(サン・サイン)のことを意味しますが、インド占星術では上昇宮(アセンダント)のことを指すことが多いようです。

どちらの占星術も元々は同源から発生していますので、惑星や星座(サイン)のシンボリズムは、基本的にはほぼ同じです。

面白いなと思ったのは、インド占星術では、その人の人生の目的やミッション、人生で何が起こるか(結婚や出産、入院等)に関してはきれいに出て来ているものの、心理的、メンタルな部分というのはあまり取り扱わないようです。

近代の西洋の神秘主義思想では、占星術やカバラ、タロット、数秘術などに心理学、特にユング心理学が取り入れられ、そのシンボリズムの中に人間の深層心理に眠る元型的要素を見出し、個人の意識状態を探る手段として利用する研究が盛んで、タロットなども、ご神託をいただく単なる「占い」というよりは、カウンセリングのツールとして利用されることも多くなっています。

しかしインドでは主として、ホロスコープ・チャートはその人の前世からのカルマを含む人生全般の流れ、体質や気質と人生の目的、職業的な適性、結婚の時期等を見るべきものであり、それゆえ子供が生まれたら、まず占星術の鑑定をしてもらうことも多いようです。

またそれゆえ、四大元素(火・水・風・地)の象徴する内容も、インドではマインドやメンタル的な部分よりはむしろ、体質や気質といった外的事実を主として扱っている印象で、西洋の哲学と重なる部分はあれど、そのシンボリズムは必ずしもイコールでないのだな、というのが私が鑑定を受けた感想でした。

例えば私は西洋では殆どの惑星が「火」と「風」の星座に入っています。「水」は1つ、「地」はゼロです。

でもインド占星術の方では、殆どの惑星が「水」の星座に入っています。

「水」というと、柔らかく、受容力が高く、鏡のように映し返すものであり、特にメンタル的には感情的、情緒的で想像力の豊かさなどを伴いますが、私はあまり感情豊かで情緒的な方ではありません。
映画などを観て泣くようなこともあまりなく、曖昧で情緒的な物の言い方をされると、どちらかというイラッとします。

でも体質や外見、エネルギー的な意味での気質は、確かに女性らしく、「水」そのものです。

骨格は細く、全体的に体型も細身で、トレーニングをしても筋肉がつきにくい。
怒りや苛立ちで感情が高ぶったら、すぐにエネルギーの流れが悪くなり、身体が一気に固まります。
敏感肌で、お化粧もできません。毛染めやパーマも駄目です。
また、人の気ももらいやすく、霊的なものが寄って来やすい霊媒体質でもあります。
情緒的ではありませんが、上述のように五感は敏感で、どちらかというと直感力もあるようです。

このように考えると、確かに「水」だなと納得できるのです。

右脳と左脳の差異というのは現在では俗説とされていますが、とりあえず一般によく浸透しているこの区分を使うなら、インド占星術のチャートからは私は左脳優勢の両方型のようです。

そう考えると、西洋占星術で「火」と「風」が殆どを占めるというのも、当たっています。

インド占星術しか知らない人がたまに「西洋占星術は当たっていなかった」というのを聞くことがありますが、これは結構誤解があることが多く、例えば上述の「私は○○座」という太陽星座が、インド占星術の上昇宮と同様の、その人の基本的性格を表しているのだと勘違いしていることもあったりします。

西洋占星術の太陽星座は、(諸説あるものの)基本的にはその人の人生における主体的な目的、あるいは人生を通じて達成すべき「Life Porpose」及びそれを達成する為のポテンシャルであって、当然のことながら、太陽星座が牡羊座であっても、その人が目的に向かって何も努力しなければ、全然牡羊座の良いところが出てこないまま人生が終わることもあります。

様々な占術がありますが、似たようなことを言っていても、その「取り扱い分野」は占術によって微妙に異なるようです。

それぞれの占術の前提としているバックグラウンドとなっている哲学を理解した上で利用すると、こういった鑑定は、自分自身の様々な側面を見つめる一助となるのではないかと思います。ひよざえもん やったね

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