S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング)の瀬川です!



 

年末は(特殊)詐欺なども増加する傾向がありますが、私の携帯などにも、特に12月に入ってから迷惑・詐欺メールがドンドン届いています(笑)

もはや、、、



何の為に生まれて来たのか・・・

 

を見失っている人が如何に多い証かもしれません!?(笑)



そこでという訳ではありませんが、今回は少々頭のオカシイ!?オカルトちっく!?な2017年7月2日・9日の第156・157回目のTOPICS『 天使の声と悪魔の声、そして憑依への対処法は・・・(多重人格との比較も)・(エネルギーレベルの違いも):前半・後半 』から、その一部をお届けしてみます!

なお、最初にお断り致しますが、今回は敢えて長い内容としてご紹介しておりますので、覚悟して!?読み進めてみて下さい(笑)

 



ところで、「憑依」というと、ほとんどの皆さんが「オカルト」的と感じ、嫌悪感すら覚える事も多いかと思います。
そのようなお気持ちや感じ方もよく理解出来ます。



しかし、S.Light.Mにおいて開催しているヒプノセラピスト認定講座においても、 「自動書記」や「ペンジュラム ワーク」という手法 も扱っています。
 

そして、ここでは「自動書記」や「ペンジュラム ワーク」において現れる現象が、時には「憑依」のような現象も一部見受けられるケースも実際に存在する事から、注意点なども含めて教えております。



つまり、ヒプノセラピー(催眠療法)や、心理学などの学問においても、「憑依」が単なる「オカルト」的な対象ではなく、学術的にも考査の対象として捉えられ、そして研究されているのが実際の所です。
ちなみに、「オカルト」という用語の本来の意味は 「隠された」 という意味です。




それでは、進めて行きますが、皆さんの中にも実体験(実感)として、話している内容がその時々で全く違うなどの、この人は 「複数の顔」 を持っているのでは!?という誰かと出会った事があるかもしれません。


言わば、このようなケースでは、


多重人格では?


という事が言われたりします。


多重人格においても、子ども時代や過去のトラウマなどの抑圧により、自己防衛のために新たに産み出された人格などと説明がなされたりしますが、実際の所は分かっておりません。


そして、多重人格において一般的に現れる現象においては、


本人の個性(主人格)は脇に追いやられてしまう
つまり、
別の人格(副人格)が行った言動は、本人には記憶がない



という点がよく見受けられます。
 

そして、このような現象は、


一部の憑依においても同じ現象が見受けられる

 

という点が共通しています。


つまり、このように共通した現象は見受けられるが、多重人格にせよ憑依にせよ、明確に原因や理由が解明されていないという点が厄介に感じられる所に繋がっていきます。
 

そして、さらに厄介さを伴う理由の一つとして、


自分という意識を保ちながらも憑依を受けている

 

というケースです。


先の、多重人格や一部の憑依現象においては、記憶がない、という点から、他の人からの指摘や、自分の中でも何かがおかしいなぁ、と気づきやすいという側面がありますが、自分という意識を保ちながらの憑依は、



なかなか気づきづらい

 

という側面があります。


というのも、周りの人から見ても、あの人は最近疲れているのかな?あるいは、ストレスが溜まっているんだろう、などのように、別の原因としてすり替えられてしまうケースが圧倒的に多いからです。



そして、時には精神の病として扱われたりもしています(なお、脳の損傷などや、何かしらの体の不具合によって、言動の異常などが引き起こされるケースも確かにありますので、そのような場合には専門医の診断を仰いで下さい)。
 

勿論、本人もそのように最近忙しかったので疲れているのかな?と感じてみたり、あるいは、そもそも自分は今までと変わりはない!と思ってしまう事により、気づきづらさを更に増してしまいます。


では、このような場合にどう対処していけば良いのでしょうか?

まず、大前提を覚えておいて下さい。
 

それは、


憑依する側にも理由はあるが、最大の理由や原因となっているのは自分自身である

 

という事です。

 

つまり、


憑依する側だけが悪いのではなく、それを許してしまっている自分自身にも問題がある
(なお、「悪い」という言葉を用いていますが、「自分自身の問題」が「悪い」という意味合いではありません)


という事です。


この点を理解しておかなければ、一時的に憑依を剥がす事が出来たとしても、また同じ事を繰り返してしまう事になります。


そして、自分自身が行った言動などは、



憑依現象であろうと、自分自身の内面から出ているものであろうと、他の誰かや何かの責任にする事は出来ない
つまり、
言い訳にはならない


 

という点です。
 

とても厳しく聞こえるかもしれませんが、理由や原因がなければ憑依現象に遭遇する事はないからです。


もし仮に、全くの理由や原因もなく、むやみやたらに誰にでも憑依が行われるとすると、「人間」というのはとうの昔に存在し得なくなっている、という結果に繋がっているはずだからです。


そして、ここに解決の糸口も同時に見出す事が出来ます。
 

理由や原因もなく、やたらめったら憑依される事がないとすると、


やはり憑依される理由や原因はその人にある

 

という事になります。


そして、憑依される理由や原因は、


その人の外面(外側)にではなく、その人の内面(内側)にある

 

という事です。


 

実は、このような憑依現象というのは、程度の差はあれ、私達の誰もが日常的に体験しているとも言われています。


例えば、時折、理由もないのに、何か憂鬱に感じたり、イライラや不安・動揺などを感じたり、あるいは、ふと、もの悲しくなったりした事がある、といった経験はないでしょうか?
 

勿論、このような事の全てが憑依現象ではありません
そのほとんどは自分の内面から出ているものです。



しかし、憑依という現象は、そのような 何かしらの感情に引き寄せられた時に よく起こります。
 

つまり、自分の中で何か鬱屈感などを感じたりしていると、それに引き寄せられて、理由も分からずにその鬱屈感などが更に増幅されてしまうといった感じです。


 

そして、私達は誰しもが喜怒哀楽などの感情を持っていますし、このような感情を無くす事は出来ません。また、そもそも無くす必要性もありません
 

なぜなら、 そのような感情を味わい、そして、それを自らがコントロールする術を学ぶ事も人生の目的の一つ だからです。
 

なので、このような感情を感じたからと言って、すぐに憑依を受けるという事もありません。
 

 

では、どのような場合に憑依を受けやすくなるのでしょうか?
 

それは、


鬱屈感などの何かしらの負(ネガティブ)の感情を、あまりにも抱え込み過ぎている時

 

と言えます。
 

そして、


このような負(ネガティブ)の感情を無意識ながら日常的に感じる事に慣れてしまっている時

 

に最も憑依を受けやすくなると言えます。
 

そして、


負(ネガティブ)の感情を感じる事が、あまりにも日常的になってしまっているが為に、憑依を受けていても気づかない

 

という事に繋がってしまいます。
 

なぜなら、


「日常的」というのは「自分自身」という意識を保っている

 

という事だからです。


 

では、このような憑依を体験しない為にもどのようにすれば良いのでしょうか?
 

答えは簡単です。


あなたの内面を知り、正(ポジティブ)の感情に意識を向けた日常生活を心掛ける

 

という事です。


そして、私達は万能ではありませんし、感情の浮き沈み、言わば、バイオリズムというのは日常的に当たり前に起こっているものであり、とても自然な事です。
なので、常に感情を万全の状態にしなければ、という事は必要ありません


 

時には負(ネガティブ)の感情を感じる事も当然のようにありますし、それで構いません。
負(ネガティブ)の感情を感じる事により、改めて正(ポジティブ)の感情に気づき、反省も含めて今後はより良い人生にしていこう!というキッカケとしても充分に活用出来るからです。
 

大切なのは、


負(ネガティブ)の感情に偏る事なく、正(ポジティブ)の感情にも目を向け、バランスを意識する


という事です。


そして、このように自分の内面を見つめ、バランスを取る事を心掛けていれば、


仮に憑依を受けていたとしても、自然と離れていく

 

という結果に落ち着きます。
 

つまり、


本来、憑依現象は自らで解決出来る

 

という性質のものという事です。
 

なので、


憑依を徒(いたずら)に怖れる必要性は全くありません!

 

という事を覚えておいて下さい。

 


このように憑依現象というものであっても、自らの内面にある力で解決も出来ますし、逆に言えば、自らの内面の力でしか最終的には解決出来ないとも言えます。
 

なので、仮に誰かから憑依を剥がして貰ったとしても、

 

自分の内面が変わらなければ同じ事の繰り返し

 

になってしまうという事です。


そして、このような事を覚えておいて頂ければ、仮にあなたが誰かから「悪い霊が憑いているので捕らないといけません!それには100万円かかります・・・」などと言われたような時であっても、



ありがとうございます。それでは、私は自分自身で、自分の内面を変えるよう心掛けていきます!

 

と答える事で解決してしまいます。


全ての人とは言いませんが、このような悪い霊などと称して詐欺を行うような人にひっかかる事もなくなります。

 


そして、憑依というのはオカルト的な用語ではありますが、実は、 同じような現象は生きている人間同士でも頻繁に起こっている ものです。


例えば、誰かとお話していて貰い泣きをしたり、あるいは、自分の事ではないけれど自分の事のように誰かと喜び合ったり・・・など様々あります。
 

そしてこれは、

 

ポジティブな「共感」

 

という範囲になります。


しかし、例えば一見貰い泣きのように見えて、「実は・・・私はもっと不幸なの・・・」・・・「聞いて、それよりも不幸な事が起こったの・・・」のように、まるで不幸の自慢大会のようになってしまうケ-スもあります。
 

これは、


ネガティブな「共依存」

 

の状態です。


そして、この世で怖れられている憑依というのは、


ネガティブな「共依存」と同じ

 

という点があります。


「共依存」は生きている人と行おうが、あるいは、憑依という現象を通して行われようが、負のスパイラルに嵌(はま)まっていくのはどちらも同じ事です。
 

そして、得てして、


憑依のスタートとなり得るのは生きている人との「共依存」から

 

というケースもあります。
 

つまり、

 

日常生活における「共依存体質」に引き寄せられて憑依に繋がる
(なお、「体質」というのは「肉体上」の事ではなく、「心・内面」の性質の事を指しております)

 

という事です。


ここまでお読みになって頂ければ、


憑依は怖れるものでもないし、日常生活を自分に出来る範囲内で大切にする

 

という事だけであなたには憑依は不要のものとなります。


そして、私個人的には、憑依よりも生きている人間の側の、イジメ、妬(ねた)み、嫉(そね)み、僻(ひが)み、逆恨みなどの方がよっぽど怖いと感じますが・・・

 

 

ところで、皆さんにおいても何かフトした瞬間に「気づきが訪れた」「素敵なアイディアが浮かんだ」あるいは「理屈ではなく、そう思えると感じる」などといった体験をされた事はありませんでしょうか?
 

このような体験というのは憑依現象とはみなされておりませんし、憑依のような怖い現象と捉えられる事もほぼありません。
 

しかし、

 

このようなフトした瞬間にもたらされる何かも憑依と本質は同じ

 

という点が共通しています。


では、どこが違うのでしょうか?
 

それは、

 

(全てではありませんが)憑依は自身のネガティブな面が浮き彫りにされ
そして、
気づきなどは自身のポジティブな面が導き出された


 

という「対象における側面の上での違い」があります。
 

そして、量子力学などの科学的な分野においては、

 

憑依は低いレベルのエネルギーに感応した結果
であり、
気づきなどは高いレベルのエネルギーを感知した結果


 

とも表現されます。


そして、ここで覚えておいた方が良い一つの視点が導かれます。
 

それは、

 

「ネガティブ・ポジティブ」あるいは「低い・高い」というのは、「善し悪し」という価値判断・基準とは違うもの

 

という視点です。


おそらく、多くの方が、


ネガティブ・低い = 悪し   ポジティブ・高い = 善し

 

という風に区別、あるいは、区分けしたくなる事と思います。


勿論、そのような側面が成り立つのも否定はしませんし、実際の日常生活おいては当てはまる面も多々ある事も事実です。
 

しかし、あまりにも単純に「悪し」あるいは「善し」と区別したくなるという事は、


それ自体が既に「ネガティブ・低い」という方面に引き寄せられている

 

という観点から起こりがちな現象としても当てはまります。
 

そして、一般的には、

 

怖い憑依現象は未浄化な霊が引き起こし
そして、
素敵な気づきなどは、ハイアーセルフや守護霊、などからもたらされる


 

と捉えられているかと思います。
勿論、これも間違いという訳ではありません。
 

しかし、


未浄化な霊も、元々は私達と同じく生きていた人間
であり、
ハイアーセルフや守護霊は、自分自身の本質の現れ


 

と言われています。


つまり、未浄化な霊と捉えようとも、ハイアーセルフや守護霊と捉えようとも、


本質は同じ源であり、広義の意味では自分自身

 

と表現する事も出来ます。
 

そして、

 

私達は誰もがネガティブ・低い側面と、ポジティブ・高い側面の両方を同時に、かつ、常に変動させながら生きている

 

という実状があります。
 

つまり、

 

私達は誰もが、憑依を受ける要素を持ちつつ、気づきなどをもたらされる要素も兼ね備えている

 

という状態です。


そして、このような状態というのは、


至極自然な事でもあり、当たり前な状態

 

でもあります。

 


では、何が憑依である場合と、気づきがもたらされる場合との違いを生むのでしょうか?
 

ここで、 天使の声と悪魔の声の登場 になります。



皆さんもアニメや漫画などで、一度は天使の声と悪魔の声という表現を目にした事があるかと思います。
 

例えば、ある小学生のお子さんが学校から戻ってきました。
すると、机の上におやつが置いてあります。
とても大好物のお菓子です。
 

そして、ここで、

 

悪魔の声:「お腹も空いてるし、手なんか洗わなくていいから、早く食べちゃえよ!」
一方、
天使の声:「ちゃんと手を洗ってから食べなさい、と言われているでしょう!約束した事はちゃんと守らなきゃ!」

 

などの場面です。


葛藤という表現でも当てはまるでしょうし、このような葛藤というのは、子どもさんの世界より、大人の社会における方が多いかもしれません。
 

これも一見すると、

 

悪魔の声 = 悪し  天使の声 = 善し

 

と区分けしたくなってしまうかもしれません。


しかし、先ほど「あまりにも単純な区別はネガティブ・低い方面に引き寄せられている」とお伝えしました。
 

では、どういう事か見ていきましょう!

 

まず、悪魔の声の「手なんか洗わなくていい!」という点に着目します。
何かを食べる前に、あるいは、外出から戻ったら手を洗うという事は正論でもありますし、大切な事とも思います。


しかし、これが「過剰」になり過ぎると



極度の潔癖症や強迫神経症のような症状に繋がる可能性もあり得る

 

という点が推測されます。


では、一方の天使の声の「約束した事はちゃんと守らなきゃ!」という点に着目します。
これもまさしく正論であり、約束を守らないという事は信頼を失う原因にもなりますし、相手の方に迷惑を掛けるケースもある事でしょう。


しかし、これも「過剰」になり過ぎると



あまりにも融通が利かない、あるいは、場や人間関係における柔軟性や空気を読む事が出来づらくなっていく

 

という点に繋がる事も推測されます。


そして、一見すると、悪魔の声に従う事は悪く、天使の声に従うのが善し、言わば、


悪魔の声は全てが間違っていて、天使の声は全てが正しい

 

と捉えられがちになるという事です。


繰り返しですが、このような事が悪い、あるいは、間違っている訳ではありません。
 

しかし、どちらの声にせよ、あまりにも頑なになってしまう、つまり、


あまりにも「過剰」になり過ぎると、逆の結果を生み出してしまう怖れもあり得る

 

というケースも起こり得るという事です。


そして、このような時に起こっているのは、

 

バランスを保つ事が出来ていない
 

 

という事です。


なお、バランスを保つとは、常に「5:5」であるとは限りません。人それぞれ、あるいは、状況や環境によっては「9:1」あるいは「6:4」など、様々に変化します


 

そして、ここにも憑依現象と気づきなどがもたらされるケースとの違いを見出す事が出来ます。
 

それは、

 

憑依現象は、ネガティブ・低い、あるいは、ポジティブ・高い、のどちらにせよ、あまりにも「過剰」になり過ぎる時に起こりやすくなる

 

そして、逆に、



気づきなどのケースでは、バランスが保たれている、言わば、心が中立・ニュートラルのように開かれている時にもたらされやすくなる

 

と言えます。


つまり、憑依にせよ気づきのもたらしにせよ、どちらが善くてどちらかが悪く、あるいは、どちらが正しくてどちらかが間違っている、という単純な価値判断・基準のものではないという事です。
 

なぜなら繰り返しになりますが、憑依にせよ、何かしらの守護のような望ましい現象にせよ、

 

どちらもその本質は同じ源であり
そして、
仕組みは全く一緒である


 

からです。


そして、


そのどちらを選択し決断するかは、あなた自身の内面次第

 

という事です。


そして、どちらを選択し決断するかという場面においては、


心が中立・ニュートラルになっている

 

と言えます。


なぜなら、心が中立・ニュートラルな状態であるからこそ、


選択肢を発見出来ている

 

からです。


これが、心が「過剰」になり過ぎていると、

 

悪魔の声か天使の声かの、どちらか「一方しか」見えていない・聞こえていない

 

という状態だからです。


 

そして、選択肢というのは複数存在します。今回は悪魔と天使と区分けしましたが、大悪魔と小悪魔、大天使と小天使と区分けする事も出来ますし、そもそも、中立・ニュートラルな状態では、例えば犬を飼おうと思っている人が、チワワがいいかな?シェパードがいいかな?というように、善悪の問題ではないという捉え方を自然と出来ていく事が、「理由・原因 = 答え」に繋がりやすくなります。



もし、あなたが迷っている時、あるいは、何かを決断しなければならない時など、

 

天使の声や悪魔の声などを想定する事により、あなたの心を中立・ニュートラルな状態に近づけやすくなる

 

というように活用出来ます。


そして、これは憑依などを見極める際にも活用出来ます。
 

例えば、理由も分からず、原因も見つけられず、何か不意に、ある感情に凌駕されそうになった時、


これは自分の内面から出ているものなのか?
あるいは、
自分の内面ではない所から来ているものなのか?


 

と、 理性で分析する という方法です。


理性で分析すると、先程来の悪魔の声と天使の声などに分類しやすくなっていきます。
そして、このような声の多くは、生きている人間からの影響であるケースも多々あります
 

それは、例えばあなた自身が自分の考えや意見にそぐわないと感じている場合などで、他の人から、

 

それが当たり前でしょ! そうあるべきでしょ!  それが常識というものでしょ!

 

と強く意見をされ、それに 「無批判」で従いがちになってしまう ような場合にも当てはまります。


勿論、人の意見に聞く耳を持つ事も必要であり、大切な事です。
 

しかし、「無批判」で受け入れるという事は、何か望ましくない結果に終わった時には 「誰かのせい」にしがちになってしまう傾向が大きくなって しまいます。
 

このような側面からも、憑依であろうと日常生活においてであろうと同じ事です。
 

つまり、全てはあなたの内面にあるものであり、それが「理由・原因 = 答え」という「問題」提起となっています。
 

そして、

 

「問題」というのは見つけられてしまうと(気づかれてしまうと)、次第に力を失っていく

 

という特質があります。


このように理性で分析することで、


憑依であろうとも、見つけられてしまった方は、離れて行かざるを得なくなる
つまり、
気づかれた瞬間に、あなた自身と、そして、憑依をしている方とのエネルギーレベルが変わり、混じり合っているのが困難になる


 

という風に導かれていきます。


このように、憑依にせよ、何かの素敵なもたらしにせよ、怖い良いなどという単純なものではなく、


憑依は何かが「過剰」になり過ぎているという、あなた自身からのメッセージでもあり
そして、
心を中立・ニュートラルに心掛ける事で憑依を防げると同時に、気づきなどがもたらされやすくなる


 

という点を頭の片隅にでも置いておいてみて下さい。
 

そして、一番大切な点は、


どちらも全てはあなたの心の内面次第

 

という点です。


そして、あなたが正しいと判断した事は、胸を張って堂々と行動すればよろしいですし、あなたがダメだと判断した事は、毅然と断るという行動を取る事が大切になってきます。


そして、時が経過し、あなたの内面においても変化を感じてきた時は、過去の判断を修正しても構いませんし、さらにその判断を成長させても良いですし、新たなあなた自身の内面に沿って行動をしていけば良いだけです。


そして、ほとんどの場合、憑依する霊の側には、


イタズラや危害を加えようという思いはない

 

という点です。


では、なぜ憑依が起こるのかと言うと、大きく分けて二つのケースがあります。
 

まず一つは、憑依をする霊の側が、

 

この人ならば自分の気持ちを理解ってくれるのではないか・・・

 

というケースと、



この人ならば自分を救ってくれるのではないか・・・

 

というケースに大別出来ます。


まず、最初のケースでは、人間の側が不安や悲しみ、寂しさなどの感情が、あまりにもネガティブかつ過剰になり過ぎている時に、同じような感情を感じている霊の側が、この人ならば共感してくれるのではないか?と「共依存」の関係に進んでいく場合です。
 

そして、二つ目のケースでは、その人間の側が持っているポジティブな部分の光に霊の側が自然と引き寄せられて起こる場合です。



そして、まず二つ目のケースでは、ここで憑依が起こっても、人間の側の方が成長をしているため、

 

自然と憑依をしている霊に物事を教え、諭している事になり
そして、その結果、
その霊が本来の場所に戻れるよう、言わば自然と「浄霊」という結果になっている


 

というケースです。


そして、一つ目のケースではネガティブな部分に霊側も人間側も同調し感応し過ぎているため、「共依存」という負の現象が現れてしまうという場合です。
 

しかし、この一つ目のケースにおいても、人間の側で、


これではダメだ! 私は前を向いてしっかり生きていくぞ!


などのように、心の内面が変わる事により、自然と憑依している霊を教え諭す事が成し遂げられていきます。


そして、この場合でも「共依存」から自然と「浄霊」という方向に向かっていきます。
 

つまり、どちらのケースにしても、


あなたの心の内面の変化次第で、自然と結果的に「浄霊」という事が行われている

 

という事になります。


そして、一つ目のケースでは、教え諭していても、生きている人間と同じように、中には聞く耳を持たない霊の場合は自然と離れていき、同じような人間を見つけては、また憑依を繰り返すという事をしてしまいます。


これも生きている人間と同じく、その霊自身の気づきの問題ですので、その霊の個性に任せるというようにする他はありません。
 

 

しかし、生きている人間の側の多くが心の内面を変化させていく事で、いずれは憑依出来そうな人間も少なくなり、その霊も何かを諭る事により本来の場所へと戻っていく事と思います。

どちらのケースにおいても、憑依が行われる理由の一つには、

 

理解や気づきをもたらす事により「浄霊」という現象が自然と行われる
という事と、
「浄霊」が行われるという人助け?魂助け?という役に立っている


 

という事です。


そして、何にせよ、このような「浄霊」が可能となるのも、


あなたの心の内面次第

 

という事です。


逆に言えば、いくら「除霊」と称して取り除いても、心の内面が変わらない限り同じ事が繰り返される可能性が高くなります。
 

そして、憑依がなされる理由の一つというのが、

 

除霊のためではなく浄霊のため

 

という事が分かると、実は、



あなたの内面を見つめ、そして、変える点は変えましょう

 

という あなたへのメッセージにも同時になっている という事です。
 

それに加え、人助け?魂助け?も同時に行われているという点です。
 

そのように見てくると、

 

憑依とは怖いものでもなく、また、憑依とは悪いものでもなく、全ては自分の内面次第で変えられる

 

という点がご理解頂けるかと思います。


 

そして、「浄霊」や「除霊」という何かオドロオドロしい言葉を用いましたが、実は、このような事は頻繁に日常的に行われています
 

カウンセリングや各種セラピー・ヒーリングにおいても心の内面への働きかけが行われている事で、実感があろうと実感がなかろうと、自然とこのような「浄霊」は行われている、とよく言われています。



そして、あなた自身の事では、本や映画、あるいは、歌など何でも構いませんが、そのような何かから気づきを得て行動が変わっていく時にも同じような事が行われていますし、散歩や運動などをして、心と肉体をしっかりと結びつけるような時にも同じです


また、誰かのお話を聞いてあげて、その相手の方が次第に落ち着きを取り戻していく時、あるいは、一緒に食事をしたり買い物に行ったりなどして前向きになる寄り添いをしている時など、自然と無数の様々な役に立つ事が行われています!

 

と、このような内容でお届けしておりましたが、最初にお断り致しましたように、今回は敢えて長い内容でお届け致しました!!!

 

そして、有り難い事に、ここまでお読みになって頂いた、



今のあなた自身は・・・

どうでしょうか・・・


 

、、、(笑)


『 前半:天使の声と悪魔の声、そして憑依への対処法は・・・(多重人格との比較も) 』はこちら

『 後半:天使の声と悪魔の声、そして憑依への対処法は・・・(エネルギーレベルの違いも) 』はこちら

 

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