S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング)の瀬川です!


 

ここ最近のテレビを眺めておりますと、何故か!?墓終(じま)いや、お寺とのトラブル問題などが取り上げられておりました!

そこで今回は2019年8月24日の第268回目のTOPICS『 魂の視点から見る墓終(じま)い ~想いを込めると自縄自縛を防げる~ 』からごくごく一部をお届けしてみます!


 

(当該TOPICS掲載当時の)今回のお盆休みで帰省された方々などにおかれましても、この墓終(じま)いの話題が出た方もいらっしゃるかもしれませんし、何かこのような話を持ち出すのは無礼(非礼)?などと感じて 口を噤(つぐ)んで いた方もいらっしゃるかもしれませんし、次に逢う時までの 持ち越し項目 などにされた方もいらっしゃるかもしれませんね。


そこで、大層、不謹慎?に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、このような墓終(じま)いと言うテーマに関して、魂の視点は ハマリ役! になります(笑)
なぜなら、



日常生活を送るに当たっては・・・

魂の視点を考える事がほとんど無い人の場合であっても・・・

お墓に関しては自分の事のみならず・・・

(ご親類などの)他者も含めた考察が必要になり・・・

なおかつ・・・

(ご先祖様などの)他界された方々の思いをも汲み取る・・・

という思慮深さを学べるチャンス!


 

でもあるからです!



このような魂の視点に触れる機会というのは、やはり、ご病気になった時や、身内の方が他界された時、あるいは、何かしらの悩みの渦中にある時に「一縷の救い」を求めてというケースが圧倒的に多くもなります。
そのような意味からのチャンス!という表現ですので、その点を重々ご理解頂ければ幸いです(笑)



なお、今回のテーマにおける墓終(じま)いは、法律的な手続きでもなく、仏教などの宗教観を否定する趣旨でも全くなく、お墓やご仏壇を所有している、所有していないなどの「有無」でもなく



供養の本当(本来)の側面でもある・・・

自らの内面を自らの人生に・・・

どう反映させていくのか・・・


 

という趣旨も含まれております。

また、ここから先にお伝えする内容におきましては、お墓やご仏壇を放って置いても構わない、蔑(ないがし)ろにしても構わないという意味合いでも全くありませんので、その辺りも誤解の無きようご了承下さい!



では、墓終(じま)いを考えるに当たり、最大のポイントは、以前に流行した「千の風になって」の歌詞(作者不詳)のように、



お墓に魂は存在しません・・・

というより・・・

お墓に居る必要性は全く無い!!!


 

というのが真実!?です(笑)

勿論、他界した後に、自分はお墓に行くものだ!との観念を強く持っていれば、一時的にはそのようなケースもある事はありますが、 お墓にいる理由が全く無い!と気づいてしまえば 、「な~んだ、本来の所へ行って、これから先の生活を充実させよう!」と一瞬にして状況や環境が変わります。



ちなみに、ご気分を害される方もいらっしゃるかもしれませんが、病院にはいわゆる霊はほとんど存在しないのも、これと同趣旨の事です。
誰しもが、ご病気から解放されたら、(その後も)病院に居続けたいと思う方は(ほとんど)いらっしゃらない事でしょう。

 

また、他界後にお墓に出向く現象として、敢えて不適切な例えをすると、小学校を卒業したにも関わらず、(理由も無しに)中学校には行かずに、小学校に通い続けているようなものです(笑)
ちゃんと、今世という人生を修了したのですから、次に進んで良いのです!
ちなみに「終了」ではなく「修了」との言葉で間違っておりませんので(笑)

つまり、

 

他界されたご本人様において・・・

お墓に出向いてしまうというのは・・・

「気づいていない」が故の「行動」なので・・・


 

という点からも、皆さんも本当のご供養の意味が、薄々?分かりかけてきた頃かもしれませんね!?



では、魂の視点から墓終(じま)いをする時に大切になる点をお伝え致します。
まず、可能であれば ちゃんと墓前まで出向く という事は考えて頂きたい一点目です。


このような「思い」にまつわる事柄に関しては、 出来るだけ「手間を惜しまない」という姿勢 が大切であり、望ましいのは言うまでもありませんが、色々な状況などを鑑みて、出向く事が難しい場合には、それでも大丈夫です。

そこで、大切な点というのは、

 

心の中で(構わないので)・・・

(墓終(じま)いに至った)諸般の事情をご自身なりにお伝えをし・・・

ご理解頂けるように「思いを込める」!!!


 

との事で充分に伝わります。
 

そして、この世の常?であるのかどうかは分かりませんが、中には、このような「思い」には全く目を向ける事なく、ひたすらに儀式的なものに執着や固執をするご意見や考えをお持ちの方も多いものです。



勿論、出来る範囲内で、それぞれの宗派などにおける色々な儀式を執り行って貰うのも構わないと思いますし、何かの儀式として行う際にも、ご自身なりの方法でも構わないと私自身は感じます。
なお、ご自身なりの方法で構わないと申しましても、遺骨を好き勝手に撒いたりするのは法的にもアウト!になりますので、最低限のルールなどは守って下さいね(笑)

 

ただ、これも中には、ちゃんと儀式をしないと祟(たた)られるよ?などと、考え無しに発言する人もいらっしゃるかと思います(苦笑)
何故、このような発言が出て来るかと言いますと、このTOPICSでも繰り返しお伝えしておりますように、



肉体の年齢と・・・魂の年齢は・・・違う

 

という所から来ています。
なので、このような発言も気にする必要性はありませんが、仮に、このような場合があるとしたら、次のように自問してみて下さい。



自分がご先祖様の立場だったら・・・

ちゃんと事情を伝えてくれて・・・

そこに「思いが込められている」のであれば・・・

祟る事などするであろうか・・・???


 

と(笑)


祟られる?などと考えてしまうというのは、それこそ、逆に、ご先祖様を悲しい思いにさせる事になるかもしれません。
そして、これこそ、感受性が豊かな人の場合では、でも、、、何か言われているようで気になる、、、という方もいらっしゃるかもしれません。


そして、本当にご先祖様が、墓終(じま)いをする事について、何か反対しているように(強く)感じる場合には、


お墓や家の存続などに執着(固執)する事なく・・・

「曇った」目で見るのではなく・・・

ちゃんと明らかになった「澄んだ」目で見て下さい!


 

などのように、心の中でお伝えしてあげて下さい。
極端に言えば、「この世の事柄に構う事なく、自分の成長に専念しなさい!」とお伝えしても良いケースもあるかもしれません(笑)
これも同じように、



他界後の世界においても・・・

魂の年齢はそれぞれ違いがあり・・・

先に他界したからといって・・・

この世の人より・・・

魂の年齢が高いとは限らない・・・


 

という側面があるからです。

勿論、「敬う」という意味では、肉体の年齢であろうと、魂の年齢であろうと、この世であろうと、あの世であろうと、とても大切な姿勢であるのは変わりありませんが、 狭い視野で自縄自縛(じじょうじばく)になってしまっては本末転倒 にもなります。
 

そして、「年齢」という言葉を用いていますが、これは 「境地」と同じ意味 でもあります。
このような際には、自分自身に対してと同時に、ご先祖様などに対しても、 共に「叱咤激励」という「思い」 を持ってみて下さい(笑)



では、ここ迄においては、墓終(じま)いをする際の、ご先祖様などへのお伝えの仕方などは、ぼんやり?ながらも何となくの「感じ」は掴めて頂けている部分もあるかもしれません。
そして、もし、あなたがお墓の管理などをしている場合において、墓終(じま)いをする際に、

 

一番厄介???になるのが・・・

(ご親類などの)生きている人間の側・・・!?


 

というのは、より実感として理解出来るかもしれませんね(笑)

まず、人それぞれ様々な考え方や捉え方がありますし、ご先祖様や、特に、ご家族などの身内の方が先に他界されている場合においては、その方々への「思い」も様々でありつつ、そこに更に、言わば、思いの「深さや幅」というのが加味され、これもそれぞれに違ってくるのが自然な事でもあります。



そして、このような場合、もし、あなたがお墓を管理していない(誰かに管理して貰っている)というケースでは、

 

あなたの考えや思いを伝えるのは、勿論それで構わないが・・・

その先の「選択と決断」は・・・

管理をしている人に任せる(委ねる)!


 

という姿勢を意識してみる事と、もし、あなたがお墓を管理しているというケースでは、



周りの意見や考えに耳を傾けつつも・・・

最終的な「選択と決断」は・・・

あなたが握っている!


 

という気持ちを(強く)持つ事が必要になってくるかもしれません。
 

そして、このような「思い」のそれぞれの捉え違いなどにおいては、トラブルになるケースもあるかもしれませんし、(次第に関係が)疎遠になっていくケースもあるかもしれません。
このような場合においては、


向かう方向性の違いであるが故に・・・

それぞれの道(人生観)を歩む・・・


 

という、ある種のポジティブな割り切りも必要になってきます。
なぜなら、どちらかが、あるいは、双方が「相手をコントロールしよう!」となってしまうと、泥沼に嵌まってしまいますので(苦笑)


そして、ここが今回のテーマの最大のポイントですが、墓終(じま)いをするにせよ、しないにせよ、

 

自分自身に「罪悪感」を持つ必要性は無い!!!

 

という点です。
これは、墓終(じま)いをする事に対して、ご先祖様や反対したご親類の方々などに対して抱いてしまう「罪悪感」もそうですが、



お墓を管理する事に限界を感じつつも・・・

波風を立てぬように、墓終(じま)いをしないという「選択と決断」をした・・・

自分自身に対する「罪悪感」・・・


 

も同様になります。
つまり、



墓終(じま)いをするという「選択と決断」を出来なかった(あるいは、させて貰えなかった)が故に・・・

その後の自分自身の人生が変えられてしまった・・・


 

などの「罪悪感」を持たない!という姿勢が、ここでは必ず必要になってきます。
なぜなら、ここでの「罪悪感」の裏に存在しているのは、



誰かや何かのせい(責任)しても・・・

人生は変わっていかない・・・


 

からです。
そして、



この世の出来事の全ては・・・

あの世においては全てが明らかになる!!!



という事がありますので、ある意味の 「大胆さ」 も加味しながら、墓終(じま)いの「選択と決断」をする際の「一考」の素材としてみて下さい(笑)



と、あくまでごくごく一部のご紹介ではありましたが、

 

他界されていようと・・・

生きていようと・・・

どちらにも礼儀を尽くす大切さと必要性は変わらない!!!


 

という事です(笑)

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