S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング)の瀬川です!



 

今年は保育園等での送迎バスにおける園児の置き去り事件や、つい先日には、これも保育園での虐待(の疑いが濃厚な)事件が起こったり、また、これも相次ぐ大臣の辞任ドミノや、一向に治まる!?減る!?事のない政治家の様々な資金問題など、



現在の世の中や社会では・・・

大人(人間)の体たらくや劣化が・・・

目に余るスピードで加速している・・・



という事にお気づきの方もいらっしゃる事でしょう。
他にも職場での 各種ハラスメント であったり、SNS等での 誹謗中傷 、日常に潜む 差別やイジメ問題など 枚挙に暇がないかもしれません。



そこで今回は2015年10月16日の第68回目のTOPICS『 「忌」という字から 』からをお届けしますが 《 他人事 》とは思わず《 自分事 》 として皆さんなりに 《 振り返って 》 みて下さい、、、



ところで、私達の日常は 「言葉」 とは切っても切り離されないのが常となっています。
耳が不自由な方も 手話 という手段でコミュニケーションを取る場合もありますし 筆談 などもあります。

 


そして「言葉」の元となっているのが 「字」 です。



では、私が今回、なぜ 「忌」 という字を選んだか、、、



「忌」という字からは 「忌中」「忌々(いまいま)しい」 などのように、おそらくほとんどの方がネガティブなイメージを伴っていると思います。



ところで、「忌」という字を分解(分析)してみると、何か見えてきませんでしょうか???



「忌」 = 「己(おのれ)」 + 「心(こころ)」



そうです。


「忌」という字は 「己の心」 という成り立ちになっています。



では、ここで視点を少し変えてみます!

「鬼子母神(きしもじん)」 のお話をご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
鬼子母神は現在では安産・子育ての神として、色々な所で奉られております。



鬼子母神は多くの子どもを産み育てていました。
その子どもの数は、500人とも1,000人とも言われています。
しかし、そのような多くの子どもらを育てていくために、近隣の子どもをさらい、その子どもらの肉を自分の子ども達に食べさせていました。



そのような状況を見かねたお釈迦様が、ある日、鬼子母神の末っ子を隠してしまいました。
鬼子母神は末っ子を探し続けましたが見つからず、相当嘆き悲しんだそうです。

そして、そのような状態の鬼子母神にお釈迦様は次のように諭(さと)しました。



『 1,000人もの子どもがいても、そのうちの一人を失うのでも、いかに嘆き悲しいことか、、、、、
  ましてや、数少ない一人の子どもを食べるとは、その(実)父母の嘆き悲しみはいかほどであろう、、、、、 』



この言葉により、鬼子母神は改心して、現在では尊崇の対象となったというお話です。
自らの子どものために、他の人の子どもを食べる、、、、、、


おそらく、その時の鬼子母神は 「心の鬼」 となっていたのかもしれません。



ところで、私はキリスト教徒でもなく無宗教ですが、マザー・テレサの言葉の中に、「あなたの中の最良のものを」というのがあります。
前段は少し長いのですが、許すことや愛することなどを、どんなに裏切られても やり続けなさい。
そして、気にすることなく、最良のものを 与え続けなさい。

その締めくくりとして、



『 最後に振り返るとあなたにも分かるはず。
  結局は、全てあなたと内なる神の間のことなのです。
  あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。 』



鬼子母神は仏教という分野であり、マザー・テレサはキリスト教の人ですが、鬼子母神でもマザー・テレサでも、国も違えば文化も違います。
時代も大きく違います。
そして宗教観も違います。



しかし、上記の二つのお話の本質は 「人の心」 について諭していると私は個人的に思っています。

繰り返しになりますが 「忌」という字は「己の心」 です、、、



と、ここで余談ですが、「忌」というと「お葬式」などを思い浮かべる方もいらっしゃる事でしょう。
お葬式が終わり、家に入る前に「お塩」を振りかける方も多いです(笑)
確かに「お塩」は浄化や魔除けなどとしても、日本では古来からよく活用されています。



しかし、愛する人とのお別れの会というのは 「穢らわしい」場 では本来ありません。


浄化される対象 は、残された人々の側の方です。



そのような意味から、「お葬式」などの多くの方の悲しみに溢れた感情などが、過度に日常の生活に影響を及ぼすことのないよう、ある種の 「心の切り替え」 という意味で馴染んできた風習なのかもしれません。



なお、どうしても気になる場合は、本来の「浄化」という意味では、化学的に精製された「お塩」では、ほとんど効果がありません。
そのような場合は、きちんとした製法で作られた、ミネラルを含んでいる「お塩」を活用する方が良いです!



ちなみに 「患」 という字も「患者さん」「患部」などのように使用されますが、これも 「心(こころ)」に「串(くし)」が刺さった 状態の成り立ちです。



私の個人的見解も多分に入っていますが、皆さんのそれぞれの好きな「字」がありましたら、成り立ちを自分なりに解釈(分析)してみると、新たな発見があるかもしれませんよ!?(笑)



そして、新たな年を迎えたからといって、



何かが自動的に自然に切り替わる(変化する)事は絶対にない!!!



というのも 《 目を背けず 》 に見れば 考えずとも分かる(気づく) はずです。



初詣や書き初めなどで、新たな年の抱負や誓いなどを心に刻むのも素敵で素晴らしい事です!

ただ、



当初の「思い」を実現させていく為には・・・

「思い」と共に(同時に)・・・

「言葉」と「行動」の一貫性を保てなければ・・・

絵に描いた餅となってしまう・・・



という点もお分かりになるはずです。

今回は少々手厳しい!?内容になってしまいましたね(笑)

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