小学校の思い出は、「気持ち悪っ」(小学校開校の日) | 陽はまた昇る

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子どものころからろくでもない事ばかり起こりますが、
まぁ、私がどうでも日はまた昇るし、世の中は回っていく。
七転八倒を七転び八起きに。

 

5月21日 小学校開校の日

 

1869年(明治2年)のこの日、京都市に日本最初の近代小学校「上京第二十七番組小学校」と「下京第十四番組小学校」が開校した。

「上京第二十七番組小学校」の創設者であり、私財を投じて校舎や敷地を寄付した商人・熊谷直孝くまがい なおたかを初め、多くの寄付や献金が住民から集まった。そして、地域が一丸となって学校の建設が進められ、年内には64の番組小学校が開校した。国が「学制」を定める3年も前のことであった。

すごい日だったのですね

 

教育に私財を投じる

社会の発展を願う気持ちは、本当に尊いものだと思います。

 

進学率と学費が問題になっていますが、

私立の方は、「選んでそこに行かせる」わけだから、

「お金がある」前提でしょうし、

独自に奨学金制度を設けて優秀な(お金のない)生徒を集めればよい。

でも、お金がないから学べない優秀な人があきらめなくていいように、

公立高校と公立大学までを「すべての家庭」を対象に無償化すべきだと思います。

 

 

さてお題。

 

小学生の頃の思い出で1番印象に残っている事は?

 

良いことも楽しいこともたくさんあったと思いますが、

5-6年生で担任だった人(男性)が、なんとも卑怯な人でして、

そういうところに気づいて上げ足をとるようなことを言ってしまったのか、

私、かなり嫌われてましてね~いろいろいじめられました。

 

いつも私ら絡んできてはいやがらせをするので、

喧嘩になって「もう関わらないでほしい」となる子がいたのですが、

その子は嘘ばかりついて「こみちさんが避けます」と言いつける。

「仲直りしろ」と強要されて、断って、「ひねくれ者」ど誹られる。

ずっと続きまして、

最後にはほかの子たちからも、「〇〇さんはこみちに嫌がらせをしている」と証言してくれるようになったのですが、

その子はしゃあしゃあと「みんなの方が嘘をついています」と言い切るので、

「みんな、いじめは止めろよ」とか言って庇う。

(ちなみに、この子です。後に私が大けがをしたときの加害者は)

 

あだ名の話になって、

色黒の女生徒が「チョコレートと言われて傷つきました」と発言したら、

「健康そうでいいじゃないか。こみちみたいに白かったら

病気みたいで気持ち悪いだろ?」とか言って慰めるし。

「☆☆さんを慰めるのは良いですが、私の肌の色は関係ありますか?」

と返したら、

「お前は、☆☆の気持ちがわからんのか」と切れるし。

いや、☆☆さんは私の事は何も言ってないけど。

 

以前お話しした、

「大造じいさんと鴈」の感想文で

「生活に貧窮して妻子が飢えているのに、スポーツマンシップもくそもあるものか」と思って、(まぁ、小学生ですからここまできちんと整理してませんが)

「一家の主として、残雪を狩るべきだった」と書いたら、

「人でなし」「みんなでこみちを叩きなおしてあげよう」

ということで、1週間、41対1のつるし上げ授業をされました。

(発言しない子もいたので、20対1くらいですかね)

しまいには、男子から「ひとでなし~」と蹴られたりもしましたが、

「お前がひねくれているから仕方ない」とかね。

結局、授業の進み具合に支障が出て、それも私のせいってことになって。

親まで呼ばれて「授業妨害をやめさせてください」とか言い出す。

仕方ないので、

「国語の授業なので~物語の主題を読むという意味では、間違っていたかもしれません。はいはい~スポーツマンシップは大切ですね~」と。

もう、「わかってくれてうれしいです」と泣き出す女生徒がいたりして、

あぁ~気もち悪い。

 

そんなこんなで、小学校の思い出といえば、

この、「気持ち悪い」が一番なんですよね。

 

 

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