第7252回「新潮文庫松本清張傑作短編集 その2、菊枕(杉田久女がモデル)ストーリー、ネタバレ」 | 新稀少堂日記

第7252回「新潮文庫松本清張傑作短編集 その2、菊枕(杉田久女がモデル)ストーリー、ネタバレ」

 第7252回は、「新潮文庫松本清張傑作短編集 その2、菊枕(杉田久女がモデル)ストーリー、ネタバレ」です。「或る『小倉日記』伝」と同じくモデル小説です。


 モデルとなった久女は、多数の作家によって取り上げられましたし、ドラマも少なからず製作されています。


 『 才能ある俳人であった久女は、夫の理解を得られず、師の高浜虚子にも疎まれ、狂気のうちに亡くなったというイメージである。


 「花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ」の「紐」に縛られた女性を重ねることも容易である。しかし実際の久女はエリートの家庭に生まれ、当時としては比較的自由に生きた女性だった。 』(ウィキペディア)


 この「菊枕」に描かれている「ぬい女」も、ほぼ久女の事績をたどっています・・・・。優れた俳人であり、周囲から疎まれ続けた才女の伝記小説になっています。


「その2 菊枕 -ぬい女の略歴-」

 「三岡圭介がぬいと一緒になったのは、明治四十二年(1909年)、彼が二十二歳、ぬい二十歳の秋であった。・・・・」(原文冒頭)、ぬいは、美大卒の圭介に芸術家として期待します。そこには見栄があったと思いますが、期待は裏切られました。圭介は中学の美術教師として満足していたのです。


 ぬいは俳句に接する機会がありました。それ以降、ぬいは俳句にのめり込んでいきます。夫ともめることもありました・・・・。最初は地元・福岡の俳句誌に投稿していたのですが、「コスモス」(ホトトギスがモデル)にも投稿し始めます。宮萩栴堂(せんどう、高浜虚子がモデル)に心酔していたからです。


 次第にコスモスでも採用されるようになります。いつしか、毎号にぬい女の俳句が掲載されるようになりました。地元俳界では、ぬい女は持ち前の性格から嫌われていました。特に女性から・・・・。それは、東京でも同じことが起きました。


 圭介に無理を言って、東京にやらせてもらったのです。栴堂に目立つような行動を取り続けます。当然、周囲の人々から疎まれます・・・・。俳句においてもスランプになっていました。その反動として、ぬい女は攻撃的になったのです。


 そんな中、ぬい女が栴堂に送ったのが、菊枕でした。多数の菊の花びらで枕を作りますので、大変な手間がかかっています。ですが、栴堂は・・・・。ぬい女の攻撃性を、栴堂としても放置できなくなっていました。そして、破門にします。ぬい女は発表の場を失いました。「句作を断念す」・・・・。


 ぬい女が亡くなったのは、昭和二十一年(1946年)のことでした。享年57。病院の看護日誌には、「独言独笑」と記されていました・・・・。