第6728回「大奥 2006年 絵島生島事件編 林徹監督 仲間由紀恵 ストーリー、ネタバレ」 | 新稀少堂日記

第6728回「大奥 2006年 絵島生島事件編 林徹監督 仲間由紀恵 ストーリー、ネタバレ」

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 第6728回は、「大奥 2006年 絵島生島事件編 林徹監督 仲間由紀恵 感想、ストーリー、ネタバレ」です。実在の事件をモチーフとしていますが、独自解釈で演出されています。


 時代は、七代将軍、家継の御代です。1713年、家継はいまだ5歳・・・・。


「プロローグⅠ 金魚の献上行列」

 映画は、鮮やかな蝶が映し出されるところから始まります。その蝶は江戸の町に飛んでいきます。人々が行列を見つめていました。将軍家に献上される金魚が運ばれていたのです。風車売りの少女が、「これも将軍さまに献上して」と言って風車を護衛の武士に渡しますが、「邪魔だ」と問答無用で捨てられます。


 その風車を拾ったのが、粋な兄さんでした。「いくらだ」、代金の五文を支払い、後頭部の襟口に挿します。ひょっとこの羽織を着ていたこの男こそ、山村座の生島新五郎(西島秀俊さん)でした。歌舞伎役者です・・・・。


「プロローグⅡ 中奥、大奥での政治対立」

 梶芽衣子さんの長いナレーションが、1713年当時の政治状況を語ります。「政(まつりごと)を取り仕切った場所が中奥でございます。先代から側用人を勤めてきた間部詮房(あきふさ、及川光博さん)さまは相変わらず権勢を誇っていました。そんな間部の追い落としを計っていたのが、筆頭老中の秋元(岸谷五朗さん)さまでございました」


 ナレーションは続きます。「中奥のさらに奥にありますのが、大奥でございます。上様以外の殿方は入れない聖域でございました。この女だけの世界にも争いがありました。先代御正室の天英院(高島礼子さん)さまと、側室ながらも家継さまの御生母であらせられる月光院(井川遥さま)が、女ならではの暗闘を繰り広げていました。


 春日局以来、大奥最大の役職である大奥総取締の役職に就かれていましたのが、月光院派の絵島(仲間由紀恵さん)さまでした。このような状況を背景にして、大奥最大の醜聞事件が発生いたします・・・・」


「本編」

 ポスト元禄の御代ですが、華麗な衣装とセットによって、映画ならではの華麗な時代絵巻が展開されます。月光院と絵島追い落としに動いたのは、天英院さまでした。上様の御生母である月光院に直接攻撃の鉾先(ほこさき)を向けることは不可能です。月光院の後ろには、間部側用人が付いていたからです。


 狙うべきは、ある意味世間知らずの絵島でした。その駒として使おうとしたのが、歌舞伎役者の生島新五郎でした。もう若くはない生島には、かつての華やかさは失われようとしていました。しかし、女の扱いは抜群です。天英院は、「刺客」を生島に送ります。


 「ここに、五十両ございます。あなたも若くはございません、いずれ後輩に追い越され、干されるのは目に見えています。成功すれば、三百両に加え、苗字・帯刀も許しましょう。ただし、仕事を終えたら、直ちに江戸を去ってもらいます」

 

 「刺客」をバックアップしたのが、呉服屋の奈良屋(藤田まことさん)と山村座の座長(平泉成さん)でした。罠は閉じます。増上寺を参った後、絵島は月光院派の女たちと共に芝居見物に行きます。その場で紹介されたのが、生島新五郎でした。絵島は、いちど会っています。おみくじを結び付けてくれたことが会ったのです。その際、生島は年増女と一緒でした・・・・。


 ですが、次第に絵島は生島に惑溺していきます・・・・。すっかり芝居見物にも慣れてきました。そんな時に、生島の楽屋に火をつけた女がいたのです。瞬く間に、燃え広がります。周辺にも延焼します。「わたしは大奥の総取締です」という絵島に対し、「女であることに変りはねえ」と言って炎の中を駆け抜けます・・・・。


 しかし、この放火事件が契機となり、絵島と生島は、厳しく評定所からの詮議を受けることになりました。河原乞食の生島に対する風当たりは、特に厳しいものがありました。激しい拷問が加えられます。それでも絵島は口を割りませんでした。


 絵島と生島に対しては、両名とも死罪でした。それを聞いた家継は、臣下に問い質します。「絵島が死ぬというのか。もっと軽い刑にせよ」、その御聖断を強調したのが、側用人の間部でした。「上様の御意志である、絵島の刑を軽くせよ」


 間部側用人と月光院は愛人関係にあったという設定になっています。一方、生島は小塚原で磔となります。「願いがございます。生島さまの処刑、わたくしも立ち会いたく存じます」、絵島は竹矢来の外から、生島を見つめます。視線が絡み合います・・・・。


 冒頭に登場した風車売りの少女も来ていました。「子どもの見るもんじゃない」、目をふさがれます。処刑は終わります(史実では、生島は三宅島に遠島になっています)。


「エピローグ 月光院の見送り」

 縄を打たれた駕籠で、絵島は信州に送られることになりました。そんな絵島を道中で待ち受けていたのが、月光院でした。月光院はわびます。「わたしは、女としての歓びを知りました。この思い出だけで生きていけます。わびるには及びません」、絵島がそう言った後、駕籠はふたたび出発します・・・・。


 なお、事件終了後、月光院派の大量粛清が行われています。


(追記) なお、史実では、絵島の門限破りが事件発覚の発端になっています。ウィキペディアから引用することにします。


 『 正徳4年1月12日(1714年2月26日)、七代将軍徳川家継生母月光院に仕える御年寄・江島は主人の名代として前将軍徳川家宣の墓参りのため、宮路らと共に寛永寺、増上寺へ参詣。その帰途に懇意にしていた呉服商後藤縫殿助の誘いで木挽町の芝居小屋・山村座にて生島の芝居を見た。


 芝居の後、江島は生島らを茶屋に招いて宴会を開いたが、宴会に夢中になり大奥の門限に遅れてしまった。大奥七ツ口の前で通せ通さぬの押し問答をしている内にこの事が江戸城中に知れ渡り、評定所が審理することになった。・・・・・ 』