第6458回「風立ちぬ 宮崎駿アニメ その1、感想、なぜか堀越二郎と堀辰雄」 | 新稀少堂日記

第6458回「風立ちぬ 宮崎駿アニメ その1、感想、なぜか堀越二郎と堀辰雄」

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 第6458回は、「風立ちぬ 宮崎駿アニメ その1、感想、なぜか堀越二郎と堀辰雄」です。宮崎監督作品としてはめずらしくラブ・ストーリーです。直接的な表現は避けていますが、その後のセックスを暗示するシーンも2か所ほど描かれています。


 ラブストーリーと戦闘機の設計者・・・・。そのため、期待せずに観に行きました。「もののけ姫」以降は、「千と千尋の神隠し」以外は駄作だと思っています。本作品に対する興味は、甘い私小説的なメロドラマ「風立ちぬ」と、歴史的な名戦闘機であるゼロ戦をチーム・リーダーとして完成させた堀越二郎(冒頭の写真)を、どう調和させるかにありました。


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 小説「風立ちぬ」は、文庫本で90ページほどの中編小説です。全5章で構成されています(青空文庫でも読めます)。


≪序曲≫ 軽井沢で、"私"は、絵を描いている節子(モデルは矢野綾子、映画では菜穂子)と出会います。"私"は、ふとヴァレリーの訳詩を口ずさみます。「風立ちぬ、いざ生きめやも」

≪春≫ あれから2年が経過しています。"私"と節子は婚約しました。しかし、結核が思わしくありません。節子は、高言のサナトリウムで療養することにします。

≪風立ちぬ≫ "私"はサナトリウムで、節子と一緒に暮らすことにします。ふたりの愛を小説に書きたいと節子に語ります。

≪冬≫ 物語の構想は進みます。しかし、節子の病状は次第に悪化していきます・・・・。

≪死のかげの谷≫ "私"はただひとり節子と初めて出会った軽井沢に来ます。いま自分がこうして生きていられるのも、節子のお蔭であると・・・・。


 一方、堀越次郎は、東京大学を卒業後、三菱内燃機製造(現在の三菱重工業)に就職しています。そして、ゼロ戦の開発責任者となります。開発経緯に関しましては、ウィキペディアから引用します。


 『 零戦の開発は1937年(昭和12年)9月に海軍から提示された「十二試艦上戦闘機計画要求書」に端を発する。三菱では、前作である九六式艦上戦闘機に続いて堀越二郎技師を設計主務者として開発に取り組んだ。


 十二試艦上戦闘機に対する海軍の要求性能は、堀越技師らが「ないものねだり」と評するほど高いものであり、ライバルの中島飛行機が途中で辞退した。このような経緯から、零戦は三菱単独での開発となった。1939年(昭和14年)4月に岐阜県の陸軍各務原飛行場で試作一号機が初飛行、翌1940年(昭和15年)7月に制式採用された。』


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 なお、ゼロ戦の名前の由来は、正式採用されたのが皇紀2600年(1940年)であったことからきています。実在の人物・堀越二郎と実在の人物をモデルとしたヒロイン、やはり無理があったのではないでしょうか。タカ派的な発言を控えてこられた宮崎監督だけに違和感が残ります。


 「武器としての戦闘機ではなく、あくまで、美しい飛行機を作りたいんだ」と語り続けた本庄(声:西島秀俊さん)のセリフにも矛盾が感じられます。創作者・宮崎監督の高齢を考えますと、もっと別の作品を創ってもらいたかった、というのが正直な感想です。


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(補足) 写真・図面はウィキペディアから引用しました。私は小説「風立ちぬ」は好きになれませんが、三島由紀夫は、堀辰雄を西洋的な感性の表現者だと高く評価しました。