ユニフォーム・コレクション第4弾は、400勝投手金田正一さんのユニフォームです。
オリオンズの監督、解説者というイメージが強い方です。
破天荒な解説と巨人びいきが結構好きでした。
かつては、金田さんにあやかり主力投手が34番を付ける事が多かったですが、近年ではその傾向は薄れていってるように思えます。
左腕エースのイメージも、工藤さんの47番に移った気がして寂しい気がします。
前回、「巨人の星」の話をしたので、今回もちょこっと。
実は、飛雄馬が大リーグボールを編み出すのは、金田さんの言葉があったからなんです。
速球が通じないとわかった飛雄馬が、金田さんに変化球を教えてもらおうとしますが、教えてもらえず、「ワシが若ければ、今までにない変化球を編み出してたわい」というニュアンスの言葉がきっかけになりました。
それでは・・・
2007年に5000勝記念で受注発売されたユニフォームです。
2008年のレジェンド・デーで再販されました。
サイズはOサイズです。
34を改めてみると、なんかあまりピンと来ない番号です
なんでだろう?数字のバランスなのかなぁ?
金田さんごめんなさい
でも、こうやってアップで見ると、なんか好き~~
さて、金田正一さんは、1950年に国鉄スワローズに入団した後、1965年にジャイアンツに移籍しました。
高校中退で入団し、実働20年間のプロ生活でした。
ジャイアンツへの移籍は、今でいう「FA制度」にあたる「10年選手制度」を使用しました。
移籍の理由は、スワローズの経営が国鉄からサンケイに移ったことで、スワローズを見限ったと言われてます。
国鉄スワローズにとても愛着を持っていたようで、その後のスワローズには興味を示さず、2009年の国鉄スワローズの復刻ユニフォームのイベントに一度参加しただけだったと思います。
これはスワローズが34番を永久欠番にしなかったからという話もありますが、真偽のほどはどうなんでしょうね?
金田さんといえば、長嶋さんのデビュー戦で4打数4三振に打ち取った事で有名ですが、実は対戦成績を見ると、長嶋さんの方が勝っており、打率3割以上で、ホームラン18本を打っています。金田さん一番多くホームランを打たれたのは長嶋さんでした。
初対戦の印象で、長嶋さんは金田さんにカモにされていたという印象を受けますが、実はそうでは無かったんですね。あまり語られない事ですね。
とにかく、金田さんのすごい所は弱小チームだったスワローズで353勝をあげた事です。
金田さんで無くては勝てなかったとさえ言われた状態で、チーム内では「天皇」と呼ばれていました。
そんな金田さんですが、普段から健康管理に気を付け、あれだけの成績をあげてるにも関わらず、とにかく練習をしたと言われてます。
その結果が勝ち星に繋がったと言えると思います。
また、ジャイアンツに移籍してから、金田さんの練習に取り組む姿勢を見て、ジャイアンツナインは衝撃を受けたと言われています。
これはチームに刺激を与えるという川上監督の思惑もあったそうです。
ジャイアンツ時代には47勝しかしていませんが、金田さんがジャイアンツにもたらしたものは勝利だけではなく、練習に取り組む姿勢もあったのだと思います。
それがV9に繋がったのかもしれません。
引退後、ジャイアンツは金田さんのプロ生活での功績を称え、1970年に34番を永久欠番としました。
ちなみに、スワローズ、ジャイアンツの選手時代、オリオンズの二度の監督時代のいずれも34番を着用しています。とても愛着を持った番号だったのでしょう。
通算成績:400勝298敗、防御率:2.34、奪三振:4490
うち、ジャイアンツ(47勝24敗、防御率:2.83、奪三振:425)
1988年 野球殿堂入り。