背番号9と内野手 | いつもごろごろきまぐれ日記

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怪我のため二軍で調整中の亀井選手。

7日からファームの試合に出場していますが、今日、実戦復帰後初ヒットが出ました。


これで、いよいよ一軍復帰も間近となってきました。

今の一軍の内野手には中距離ヒッターが少ないので、彼が一軍に復帰すれば原監督の選択肢が一つ増えることになります。


これで結果がついてくれば、チームとしても随分と楽になるのですが、果たして・・・



さて、亀井選手といえば、今年から内野手登録となりました。

亀井選手の背番号は9なのですが、背番号9とポジションがどうも結びつきません。

背番号で野球をするわけじゃないのですが、イメージというものがあります。

ジャイアンツの9番というと、何を連想しますか?

最近ですと、清水選手(現コーチ)が外野手で背番号9をつけていたので、その印象が強いかと思います。


でも、30代以上のジャイアンツファンはキャッチャーをイメージすると思います。

(清水選手のインパクトで、摺りかえられた可能性はありますが・・・)

ジャイアンツの77年の歴史の中で、背番号9を付けた選手は19人います。

その内、キャッチャーは7人です。

『半分にも満たないのにキャッチャー?』と思いましたか?ガーン

では、その年数を見ると47年間になります。

ね?これで納得でしょ?ニコニコ


ただ、紐解いていくと、1リーグ時代はほとんどが外野手なんですよね。

ちなみに、キャッチャーはいません。


では、なぜ2リーグ分裂後にキャッチャーの番号として定着していったか・・・

それは、藤尾氏(1954~1965)の功績が大きいと思います。

走攻守そろったキャッチャーとして、水原監督時代後期を支えた選手です。

戦後のジャイアンツ史上最高のキャッチャーとの誉れも高い方です。

その打撃と足を活かすため、外野にコンバートされたこともあったとのこと。

余談ですが、その時、空いたキャッチャーに森昌彦氏が入り、後のV9時代を支えました。


その後、背番号9は、吉田氏、有田氏、村田氏(現コーチ)とキャッチャーの番号として受け継がれていきました。

(注:1966~68年に田中氏(外野手)、1990年にブラウン氏(外野手)が付けたことがありました。)


このように、ジャイアンツの背番号9は、1リーグ時代の外野手、2リーグ分裂後のキャッチャーの番号として定着したわけです。

清水選手が2002年に外野手として背番号9を付けたのは、ある意味、原点回帰といえるかもしれません。



ここからが本題・・・(長かったな)

先ほども触れましたが、今年から亀井選手が内野手登録となりました。

外野手、キャッチャーの番号として定着した背番号9の内野手が過去にいたか・・・

実は、過去に4名いました。(大屋克美氏(1943)、渡辺弘氏(1946)、小池敏雄氏(1946)、南温平氏(1951))

このうち、レギュラーと思しき活躍をした方は、残念ながらいません。

小池氏が1942~43年に活躍していますが、背番号13の頃ですので割愛します。


というわけで、今シーズンの活躍如何によっては、背番号9の内野手として亀井選手がジャイアンツ史上に名を残すことになるわけです。

その判断は、後世の歴史家に委ねるとして、我々は歴史の1ページに立ち会っているかもしれない。

そんな期待をこめて、亀井選手を応援したいと思います。