コギト エルゴ スム(我思う、故に我有)
ってデカルトの言葉に疑問に感じたことがあります。
「思う」っていうのは何らかのインプットに対する反応(アウトプット)であって、
そこには"時間"或いは"意識"が連続しているという前提が必要だと思います。
しかし、果たして私たちの意識に連続性はあるのでしょうか?
例えば、自分のほっぺたをつねったら痛いと感じる
でも、10秒後にその行為を振り返って見たときのことを考えてください。
さっき、自分のほっぺたをつねって痛いと感じたという事実
それが現実に起こった事だと何故言えますか?
本当は10秒前に自分は存在していなかったかもしれない。
でも、幻覚でそう思っているだけなのかもしれない。
昨晩眠る前のあなたと、今のあなたが同一人物だと何故言えますか?
もしかしたら、あなたは昨晩眠った誰かのクローン人間かもしれない。
一年前の自分と今のあなたが同一人物だと何故言えますか?
あなたを構築している細胞が全て入れ替わっているというのに何故?
そう考えると、私たちの意識ってのは連続しているとは断定できないんじゃないか、
ってなことをその時は考えてました。
最近ちょっと考えが変わりました。
それでも、私たちが何かを感じている限り時間の概念は存在している。
時間の最小単位を仮にフレームと呼ぶことにすると、
少なくとも何かを感じた1フレーム前までの意識は保障されてるんじゃないかな・・・と。
だから、あなたはクローン人間かもしれないし、10秒どころか1秒前には存在してないのかもしれない。
だけど、意識がある以上、1フレーム前には存在してましたよってなことです。
でも、その考え方だと意識の始まりが定義できないですね。
だって始まりの1フレーム前は存在していないことになるのですから。
てなところで今の自分の頭では手詰まりです。
私は今、本当に存在しているのでしょうか?
