もう七月も半分になりましたね。
時が経つのは早いものです。
さて、今回は
「タイの洞窟から13人の子供たちとコーチが救出された」
goodニュースから、私なりに謎が解けたことが分かってきました。
それはbadニュース
「西日本の大雨による土砂、山崩れ、河川の氾濫」
との対比から見えたことが一つ上げられます。
タイの国民全員が「祈り」を捧げています。
洞窟に閉じ込められている人たちのために、山や洞窟の神、水の神に、先祖の加護を添えて、無事を願う祈りを国民のほとんどが行っていたことは、私にとってみれば驚きでしたし、日本国民として恥ずかしくなりました。
私たち日本に住む国民のいったいどのくらいのお宅の方が、地元の鎮守の神さまに毎日心を合わせているのでしょうか?
神社に毎日お参りに行くことではなく、自分の家の社に鎮守の神様のお札を入れて、自分の住まわせていただいている土地と神社を繋ぐ祈りを毎日自宅で祈ることを言っています。
こういう習慣が付くと、時々神社の周りに目が行くものです。
山や海にも感謝できるようになるのです。
そうすると、山や海、川などの少しの変化にも気が付くものです。
そして心の声が聞こえてきます。それは自然神からの警告です。
「にげろ~!!」
古代日本では祈りは習慣でした。
それが今では家を建てる時には建築やさんに地鎮祭を行ってもらい、それで済ましてしまい、その後の毎年一年の無事を土地の神に感謝することなどしていないのではないでしょうか?
では今回の13人救出のついて深く探ってみます。
まずは、13人という数に驚きました!
この数は、『ほつまつたゑ』から読み解けば、天照大神のお后の合計数です。
なぜ13人?
イエスキリストの弟子も実際には13人でした。(マグダラのマリアも入ります)
この「13」という数字は「月」にまつわる数なのです。
縄文時代から日本では暦の月の数は13月でした。
天照大神のお后たちは13人。これは女性という「陰」の数です。
「13」という数字は「水」による祓いの数なのです。
月を示す数なのです。
しかし、天照大神の后は初めは12人でした。
東西南北の四正方位にそれぞれ3人ずつ置きました。
しかし、四正方位のど真ん中、中央にお住まいになられる「天皇:天照大神」がお一人では「陽」だけの働きになってしまいます。
そのことに気が付かれた天照大神は、南の側室「ホノコ」(せおりつひめ)を自分のお傍の中央に上げました。
南に一人欠けが生じたため、そこに美濃の「ナカコ」姫をもらいました。
こうして13人の后にしたのです。
これは、12という太陽に対して、天皇という太陽の横で一歩下がりながら天皇の御後ろを守る「月」の皇后さまのお役目ができたという画期的な改革だったのです。
天照大神より前の時代は、イサナギ・イサナミの時代でした。
この時代まで一人の天皇に一人の皇后さまでした。(現在の日本と同じ一夫一婦制)
しかし、男の皇子が生まれないというお世継ぎ問題が生じて来た過去を鑑み、次の天照大神の時代から13人の后を据えることになりました。
イサナギ・イサナミがどんなにかご苦労されて、日本の中心となる偉大なる男の皇子を待ち望んでいたか・・・
ここからみても天照大神が女性神であるはずがない、あってはならないのです。
天照大神の后が13人。
この后の中でハタレ化したのがお二人(モチコ・ハヤコ)でしたが、この二姫は既に改心されてこの世で過去の過ちを糺してくれていることだと思います。
女性がまず初めに穢れに気が付かなければなりません。
それはホノコさまのお役目から分かります。
天照大神の一歩後ろから、天皇を陥れるような不穏な動きはないかどうか見る「マフツの八咫(やた)鏡」をお持ちだったからです。
「マフツ」とはまっすぐな、純粋な天から降りてくる縦の糸を表します。
その心に一点の曇りもありません。
「八咫」(やた)とは、すべての民衆のこと。
「マフツの八咫鏡」とは、民衆の心に不満や嫉妬、怨念などが沸いていないか、心に根付いた暗闇はないか、心の目で観ることができる道具です。
心にねじ曲がった種や嫉妬、怨念などの穢れがあると、この鏡に映し出されます。
無実の罪を訴える者たちがいれば、まずこの伊勢の海辺に連れていきました。
二見ヶ浦の潮で全身を浴びて、この備え付けられた等身大の鏡の前に立たせたのです。
それでも、ハタレの大将はすごい妖術使いでしたので、正面から映し出される姿には本体を出さずに我慢できました。
しかし、後ろには合わせ鏡がありました。
ハタレの後ろに凹んだ鏡を置きました。
これこそ「マフツの鏡」の本来の威力なのです。
表面の姿は人間だといっても、心の姿が後ろの鏡に反射して、正面のマフツ鏡に映ります。
ある者にはしっぽが付いていたり、またある者には蛇のような鱗があったり、口には牙があったり。。。。
「マフツの八咫鏡」とは陰陽の合わせ鏡だったのです
ですから誰にでも持てる鏡では無かったのです。
この道具は持つ人の資格がなければ当然ただのモノです。
相思相愛の、しかもそれを持つ資格のある夫婦に宿る力なのです。
ホノコさまは「谷のサクラウチ」という方の娘です。
特別なお家柄だったのです。
モチコ・ハヤコという女の穢れに、一番初めに気が付くことができるのは同じ女性なのです。
特にサクラウチという一族の娘たちは、心の穢れを祓う特別な力があったのでしょう。
ですから「大祓祝詞」の一番初めに「瀬織津姫」(セオリツヒメ)の名前が出てくるのです。
少し横道に反れますが・・・これがこのブログの結末に大きく関わることになるので
横道ですが「縦」とつながるので読んでくださいね。。。
実はこの「谷のサクラウチ」さんと「山の大山祇」の一族は同じ一族だという意見がありますが、これには私は非常に???です。
「サクラウチ」と「オオヤマカグスミ」が親子ということはあり得ないと思います
これを親子にしてしまう大きな間違いは、「サクラウチ」さんの一族が住んでいた故郷と、「大山」にある阿夫利神社が同一の場所となり、
桜と香久実が同じ木ということになってしまいます。
これは大変な大きな大きな間違いです
なぜなら・・・
「サクラウチ」一族は「谷」に住んでいて、「桜」を象徴していました。
その後、桜は宮中で日本の安泰を観る重要な木となり、伊雑宮の大内宮(うをちみや)にも植えられました。
で~んとど真ん中の宮、つまり天皇のお住まいの中に植えたのです。
「オオヤマスミ」一族は「大山祇命」という役職の世襲名です。しかも「山」に住み「香久の実」を象徴していました。
分かりやすく言えば「橘:たちばな」(みかん)の種類です。
橘は、伊雑宮の南に植えられました。
ひな祭りには、今でも
左近の桜、右近の橘を備えますね。
天照大神の時代の左の臣は「サクラウチ」、右の臣は「オオヤマカグスミ」でした。
この名残が今も残っているのです。
さて、「香久の実」についてですが、垂仁天皇の命により田道間守(タジマモリ)が「香久の実」を探しに旅に出た話まで時代的には古墳時代まで続いて出てきた木の実です。
これはただの実ではありません。
垂仁天皇の娘が「ヤマト姫」です。
そうです、ヤマト姫は元伊勢神宮外宮と内宮を現在の地に移した巫女です。
まさに垂仁天皇の時代には日本の神々の力が衰え始めていた時です。
新羅国の王である「アメヒボコ」がいました。
しかし、新羅国を弟に任せ、王の権威を弟に譲り、自らは日本へやって来ました。
そしてヒボコは帰化して日本人になり、当時の天皇にお仕えしたのです。
ヒボコから四代後の子孫「田道間守」も垂仁天皇にお仕えしていました。
田道間守は民を思う素晴らしい君である垂仁天皇のために命を捧げる覚悟で生きていた人でした。
田道間守は垂仁天皇の最後の願いを聞こうと、まず「常世の実」について東北に行く前に立ち寄ったのが大山祇一族「タチバナモトヒコ」のところです。モトヒコは東北の日高見国のタカミムスビや青森県の津軽国一族と親交が深かったからです。
この「香久の実」の一件で、田道間守はモトヒコの娘「ハナタチバナ姫」と出会い、結婚しています。
生まれた子が、あの「ヤマトタケ」を助けた「オトタチバナ姫」です。
ここで田道間守は「タチバナモトヒコ」に「香久の実」について説明を受け、東北へのコネクションを得ています。
ズバリ・・・
「香久の実」とは「橘の実」のことで、「四十九の花」(よそこの花)である「フトマニ」四十九音の神を示す実です。
古代ヤマトの言葉の神を表す四十九(よそこ)神です!!
古代では橘だったのに、現在の皇室の象徴は「十六菊花紋」に変わってしまいました。
四十九が十六ですよ~!!
三十三も足りない・・・
天皇家の紋章は本来「菊」ではありません。「みかん」です!
「みかん」を横に輪切りにしたように、「橘の実」一つ一つが「フトマニ図」になっている紋を天皇家の象徴としていました。
特に「香久の実」に込められた意味とは
【世継ぎ宝が絶えぬよう祈る】
という意味なのです
当然、世継ぎ宝とは「男の皇子」でした。
そして皇子の父母には一切の穢れがあってはならないのです。
もし両親のどちらかでも穢れがあれば、生まれる皇子にも生まれつき穢れがあることになります。
天照大神はご両親イサナギ・イサナミの一切の穢れがない上に、天の御祖(あめみおや)から下された分け御霊を受けて誕生された皇子でした。
(アワの節を犯さなかったため)→月の24節気の間に起こる陰と陽のぶつかり合いの時を避けて結合して生まれたのが「天照大神」でした。
更に、天祖アメミオヤの意志と通じあい、許可されてイサナミの子宮に宇宙の親種が入ったのです。
これは、イエスキリストを身ごもったマリアと同じです。マリアと結合したのは夫ヨセフではなく、天の父神でした。
ヨセフも天の親と契約を交わして承諾したのです。
こうして生まれたイエスは天照大神と同じように天の父と地の母を持つ皇子だったのです。
ヨセフの日本版「イサナギ」さんは?といえば、『ほつまつたゑ』には書かれていませんが、きっと天の神と契約を交わしたのだと思います。
このあたりのことは、イサナギとイサナミの男女の結びの際の声掛けで上手く隠しているように思いますが・・・
イサナギはイエスの父ヨセフと同じで、人間としてイサナミと婚姻したのでしょう。
妻イサナミは豊受大神の娘ですから特殊な一族出身です。
この辺りはイエスの母マリアの霊性ととてもよく似ています。
人間イサナギが、イサナミの死体を見てしまっても、愛する妻がもしかしたら生き返るかもしれない。。。
というわずかな期待もむなしく、肉体は腐り、その悪臭と妻が二度と戻らない現実を目の当たりにして、そこに執着が生まれました。
これが人間イサナギの穢れとなったのです。
忘れようにも忘れられない。あの美しい妻がこんなに醜い姿になるのか・・・
と心に残ったこの世の執着を、水の祓い清めを四度も行ってようやく地の穢れを祓い、その時に生まれたのが日と水の神々たち。
こうして
人間イサナギはイサナミ亡き後の水の禊ぎにより、天の神に認められた天皇となったのだと思うのです。
(実際、初めの禊ぎの川は、生前イサナミが作った「音無川」(和歌山県熊野大社元跡地、熊野川)でした。これは妻からの贈り物だったのです。)
ソサノオが暴れた時にも、亡き妻の分までソサノオを糺し、見守っていきました。
さて、話を戻します・・・
谷のサクラウチの桜の役割と、山の大山祇の「香久の実」の役割の働きでは、まったく違うのがお分かりでしょう。
この間違いは、さくや姫が桜に願いを込めたときの歌
二十四-59
「ひおおぢ さくらうし」
(曾祖父のサクラウシ)
と言っている箇所があり、これをさくや姫の曾祖父だととってしまったのでしょう。
しかし、「さくらうち」とは書かれていません。「さくらうし」とあり、鏑 邦男の本では
「桜内大人」という漢字をあてています。
これには意味があり、「大人」とは、その対象者がかなり尊敬に値する偉大な方の場合をいいます。
「ち」ならば「血」となり、「血筋」「一族」とみなしますが、ここでは「し」です。
原典では「ひおおじ」の「おお」は
偉大なる「お」を二文字連ねて書いてあります。
👇(偉大なる「お」)
もし「サクラウチ」がサクヤ姫の曾祖父でしたら、普通の目上の方に対して使う
と書かれていなければならないからです。
なぜ
を並べた特別な「おお」にしたのか・・・
「谷のサクラウチ」神は、イサナギ・イサナミの時代には右の臣でしたが、
天照大神の時代には格上げされて左の臣を務めたのです。
ですからサクヤ姫にとっても、他の神々にとっても偉大なる特別な方なのです。
ですから谷のサクラウチと、サクヤ姫の一族は直系の同族ではないと思うのです。
(しかしこれは私の意見なので他の研究者さんたちと異なることでしょう)
後の時代になってサクラウチさんたちと親戚筋となったかもしれませんが・・・
更に、谷のサクラウチの娘が「ホノコ」さんですから、サクラウチ一家は偉大な一族なのです。
しかし現在世に出ている「をして文献」の中のどこを探しても、サクラウチ一族の場所は分かりません。
皆さんが日本の各所かもしれないと空想されていますが、今はまだ分かりません。
(一応、ここかな?と私が思う場所はあります。)
『ほつまつたゑ』では何か知られてはいけないことは敢えて書いていないように思います。
ホノコさんの実家なのに、天照大神の内宮なのになぜ書いていないのか?
書いた方に聞きたいくらい知りたいです~
さてさて、横道に反れすぎましたね。。。(また香久の実については詳しく書きたいと思っています)
十三人の子供たちとは、私は天照大神の后たちがそれぞれ生んだ「香久の実」の子たちを象徴していると思ったからです。
しかも全員「男子」!
一人大人ですが・・・
女性はそこにいなかったのです。
これはまさに「香久の実」の子たちが生まれた証拠ではないかと思います。
天照大神の時代の神代が始まる・・・
「天の岩戸」から出た世界中の子供たちが活躍する時代へ・・・
タイの救出作戦の責任者がインタビューで言っていた言葉は、
「世界中の人々が協力して成しえた奇跡!
ミッション イン ポッシブル!」
この言葉を聞いた時、「13という意味」と「皇統を絶やさず生きる道」の意味が繋がりました。
真の平和とは、困っている人を政治や宗教に無関係に、救いたいと願う行動から始まると思いました。
現地に行けなくても祈りは届くのです。
『ほつまつたゑ』
『みかさふみ』
『かぐみはた』
の三つに分けた文。
この内、全巻四十巻見つかったのは『ほつまつたゑ』だけ。
『かぐみはた』は一つも発見されていません。
「かぐみはた」「かぐのあや」は同じ文(あや)だと思いますが、まだこの世に出ていません。
必ずいつか見つかることでしょう!
ちょこっと余談・・・
「大大和」(おおやまと)という日本の国名について~
大山阿夫利神社から「大山本:おおやまと」という国名が付いたのです。
天照大神が十六歳まで住んでいた神社がここではないかと思います。
「香久の実」はここ大山が元です。
本当の「ヤマト」とは「大山祇」一族が絡んでいるはず。
ハラミの国という関東~中部一帯は今後、ヤマト国の精神再建のため、絶対に必要なパワーが残されています。
なぜ残ったのか。。。
これは私考ですが、愛鷹山、箱根山、そして富士山が時代時代に噴火して行きながら、山や土地に染み入った古代神々の「皇統を継ぐ」という思いが火山灰と共に埋まっています。
自然が起こした業なのです。それも火山噴火。
そういう三つの山が守っている地域こそ、これからの世を開くカギとなる元があるものです。
人間が、次の世に立つトップを殺めたり、重要な書物を隠したり、焚書したり、書き換えたりしたのではありません。
山が自然に噴火して埋めたのです。
それも三火山。
私はそれを開き伝える役割があるのだと思っています。
一人では成し得ないことです。
16日がスタートです。みなさん、これからもよろしくお願いいたします
祈りましょう
タイ国のみなさんを見習いながら・・・
もう二度と日本各地で自然災害による被害が大きく起きないことを願いながら・・・