こんにちは!
さてさて、この間の節分の『十種なる振る祈詞』の祓い祝詞セミナーは39名が一斉に祝詞を捧げ、熊野関連の神社に祈願しに行きました。
公表通り無料で行いましたよ。
今後も『ほつまつたゑ』関連のセミナーは全て無料で行っていきます。
今回参加して下さった方は男性も小学生も高校生も大学生もいらしてくださいました。新幹線に乗って遠いところからも一泊で来てくださいました。遠い、近いということは関係ないのだと知りました。
ありがとうございます!
さて・・・
「祓い」と「祓ゑ」の一文字の違いを説明しておきますね。
「祓い」:語尾が「い」で終わる場合は、行為を指し示す場合です。
「祓いという行為そのものを指し示す」のです。
「祓ゑ」:語尾が「ゑ」で終わる場合は、行為そのものに動きがあった場合、あるいは進行中を指します。つまり動きを伴います。
日本語は一音素で出来ています。一文字が違うだけでその意味は全く変わってしまいます。
今後も一文字の重さを尊重して行きたいと思います。
誤字がありましたらその都度改めさせてください。誤字がありましたら教えてくださいね。
さて、出雲大社についてですが、出雲には興味のある方がかなり多いようですね。
やはり『古事記』の神話に出雲神話が武勇伝として裁かれる者と裁く者が区別されて描かれているせいでしょう。分かりやすいお話しですよね。
出雲大社の日本一大きなしめ縄を見れば、何かを封印している?んじゃないかと思うでしょうね。また出雲大社は今問題の相撲発祥の地です。
以前、私も様々な作家の本を読んで何か封印しているぞと思ってしまいました。
しかし今は私の出雲に対する感覚はこのように変わりました。
ある女神を、ある女ハタレ番長とすり替え、その番長を表に出したいのだろう。(ある女神?女ハタレ番長?後に出てきます・・・お楽しみに)
あの時に様々な書物を読んでみて寄り道したことがよかったと思っています。様々な方面からの神話の内容を知っていると、その内容について確かめるきっかけができるからです。
昔読んだ本ですが、地(くに)つ神の長であった大国主命は、稲佐の浜で和解のために剣を浜に置いて話し合いに来たのに、天孫族たちは隠し持っていた剣(本物の刃がついていた剣)で背後から大国主に突き刺し殺した。だまし討ちした。
これは後に藤原一族が書き直した出雲神話なのだ。
と解説しながら書かれていました。
明らかにこの作者は蘇我氏側から書いた話でしょう。蘇我氏にとって中臣(藤原)一族が憎いのですから。
このように敵と味方が明らかになって物騒な事件のように書いているところを見ると、純粋な日本人が書いた話ではないな、と思います。だまし討ちなんて、大陸発想の考え方ですから。
『ほつまつたゑ』の中では国譲りはあっさりと平和に行われたと記されています。そのために大きな宮を建てたのです。逃げていったタケミナカタに対しても諏訪大社を残したのです。
縄文時代の神々はむやみに裁きを行わない、出来るだけ話し合いで解決していった時代でした。
だから神魂神社の由来が物騒過ぎて逆におかしいな、と思ってしまうのです。
このブログでは出雲大社を『記紀』(『古事記』・『日本書紀』)の種本として使われた『ほつまつたゑ』から読み解いていくという挑戦です。
いつものように長丁場になることをご了承ください。
始めは出雲大社とは?
からです。
【出雲大社は御祭神なし??】
私が導き出した答えは
出雲大社には祭神は祀られていません。
ヲホナムチ(『古事記』では大国主命)を崇める住居跡です。
そして後世の人たちへ「驕り高ぶり」への戒めとして残された宮です。
その理由を書いていきます。
出雲(いずも)という地名は元々は「サホコ」国と言いました。(鳥取辺りまでの山陰地方)
そして出雲大社という名は、出雲「杵築宮」(きづきのみや)と名付けられていました。
この「杵築宮」という名を残して欲しかったとこの記事を読んだ方ならそう思って頂けると思います。
その前に先ずは、神様のお名前から『記紀』とは違うので、音を正しく伝えたいので主な神のお名前を正していくことにします。
始めに書いた神名は『古事記』に表記されているお名前、→の後には『ほつまつたゑ』の「ヲシテ」(「和仁估安聡」氏の表記)で「鏑邦男」氏の表記で記しています。紫色で付けた名前の方が『ほつまつたゑ』の神名です。
・豊宇気毘売神、豊受気媛神、登由宇気神、豊岡姫、等由気太神、止与宇可乃売神、大物忌神、とよひるめ→※1豊受大神、「トヨウケ」「トヨケ」(斎名「タマキネ」。「東の君」としてヒタカミ(現在の仙台市あたり)で天皇として即位。「アサヒ神」という讃え名を受ける。「真名井(まなゐ)」にて神上がる。)
※1:『日本書紀』には豊受大神は登場しない。
・伊邪那岐神→「イサナギ」(斎名「タカヒト」。幼名「カミロキ」)
・伊邪那美神→「イサナミ」(斎名「イサコ」。死後に「熊野神:クマノカミ」という讃え名をもらう。)
・須佐之男命→「ソサノオ」(斎名「ハナキネ」。後に「氷川神:ヒカワカミ」という讃え名をもらう)
・大国主神(大穴牟遅神、葦原色許男神、八千矛神、宇津志国玉神)→「ヲホナムチ」(斎名「クシキネ」。後に初代「オオモノヌシ」という八重垣(やゑがき)の臣=剣の臣になった)
・八俣遠呂知(やまたのおろち)→「ハヤコ」(天照大御神の側室だったハヤコが人の魂を忘れてヲロチとなった姿。ハヤコはソサノオをそそのかし、不倫関係を結んだ。モチコの妹)
・????→※2「モチコ」(天照大御神の側室だったモチコが人の魂を忘れてヲロチとなった姿。モチコは妹のハヤコと二人でソサノオをそそのかし、不倫関係を結んだ。ハヤコの姉)
※2:「モチコ」の九頭ヲロチ退治についても、「モチコ」の名前すら『古事記』と『日本書紀』の二つとも載っていません!明らかに隠蔽しています!
では出雲大社の元の神社名「杵築宮」の由来に入ります。
『ほつまつたゑ』十-26
に書かれている内容です。
「タケミカヅチ」(鹿島神:鹿島神社の主祭神)が「フツヌシ」(香取神:香取神社の主祭神)を伴い、驕り高ぶっている「ヲホナムチ」(『古事記』では大国主神)に剣を土に突き刺して問い※3糺(ただ)したのです。
※3:「糺す」とは「正す」とは違い、厳しく問い尋ねる時や、正か否かハッキリさせる時に使う。
この剣は「頭椎剣:カフツチ」という剣で、捻じ曲がった心を真っ直ぐにするための剣で、天照大御神からタケミカヅチに対して、「タケモノヌシ」(ハタレに対してひるむことなく勇敢闘った武官)という証として授けられた剣です。
ハタレ退治の功績の時、「頭椎剣:カフツチ」と共に「要石椎剣:カナイシツチ」も天照大御神から賜っています。この二つの剣は地震を抑える剣なのです。
現在、鹿島神社と香取神社に地震を抑えている「要石」の凹凸の石がありますが、『ほつまつたゑ』を見る限りでは、地震を抑えているのは結界の中にある要石ではなく、剣のはずです。いつの頃なのか、剣は石に変えられてしまっていますね。
実はこの「要石椎剣:カナイシツチ」の方は、出雲の一件を付けた後、タケミカヅチがヲホナムチの孫の「コモリ」に譲渡しています。
「コモリ」は「ヲホナムチ」のお孫さんです。
ソサノオ系列の神です。
ソサノオ→ヲホナムチ→クシヒコ(現在の恵比寿神)→コモリ(現在では子守神と言われている)
コモリは嫁いだ先の妻の父を自分の父と同じだといい、子は宝だという世継ぎ道を説きました。ここから子守神と讃えられたのです。
鹿島神宮には腹帯(岩田帯)の由来が残されています。
既に起きてしまった東北と熊本で発生した巨大地震。この二つの剣の意味を知って、天災をも抑えるその剣の力を発動させれば、今後の巨大地震を分散させることが出来るかもしれない。
土に溜まった穢れを消滅させたり、分散させたりする剣の力。
これを発動させるのは『十種なる振る祈詞』しかないと確信しました。
なぜなら縄文時代の過去の時代に出来てしまった穢れの塊を取り除くための「音」が何か所からも出てくるからです。
(失われた「ゐ」と「ゑ」「お」の音)
要石が地震を抑えているわけではなかったんですね。
石ではなく二つの剣だった。
いつのころからか、鹿島と香取でセットになって石を埋めた者がいたんですね。
それは、凹凸の石だと言われています。
これはきっと男女の結びを表していると想像できます。陰陽二つの剣が無ければ発動しない。それはまるで男女の結びの様と同じ。
『ほつまつたゑ』十六アヤにあります。世継ぎ宝の道がそのまま鹿島神宮の摂社として茨城県鹿島郡神栖町に「いきす宮」(息栖宮)として残されています。陰陽和合は「あめなるみち」です。
こうして縄文に行われていた祓ゑの行動が、現在は音も祝詞も違うのもになってしまいました。それが人の行動を狂わせるのでしょう。
今では乱れた男女間のつなぎが蔓延しています。
肉欲ではない精神の繋ぎが求められている気がします。
今こそ作ってきた過去の塊(後悔のカルマ)を今瞬間に消滅させる祓い祝詞の音が必要なのです。
正しい音で正確な文面でなければ発動しない仕掛けを見つけたのです。
「ウツロヰ」という神は自然を扱う神です。地震をも起こしたり抑えたりしているそうですが、この神を動かすことができるのが二つの剣。そして剣から次にモチコとハヤコがヲロチになってクーデターを起こしたことを教訓として作り上げたのが『十種なる振る祈詞』だったのです。
その時代は天照大御神の御代から二代後、天照大御神の御孫さんの「ニニキネ」の兄「クシタマホノアカリ」の時代に十種神宝が誕生しています。
もらったのは「クシタマホノアカリ」(斎名「テルヒコ」)です。授けたのは天皇家を守る外親の天つ神(タカミムスビ)からです。
外親の天つ神の六代目が豊受大神さんです。イサナミさんのお父さんです。
十種神器が出来た時の天皇は誰の時代なのか?
天照大御神の次の天皇の忍穂耳尊(オシホミミ)の時のタカミムスビから授かったのか、または六代目タカミムスビの豊受大神の時代の天皇「天照大御神」の御代なのか・・・
なぜ私がこれほどまでに十種神器が出来た時代の天皇のお名前を知りたいのか?無性に知りたいのです。
その答えが分かりました。
それこそ日本中の神社でこの天皇を隠さなければならないほど、国を乗っ取りたい一族にとって『十種なる振る祈詞』はおそろしい祝詞だからです。(ただし正確な祈詞でなければ効力はない)
まずは授けたその時代の天皇の外親の天つ神を隠蔽し、その御代の天皇の功績を他の者へすり替えてしまえばいいのですから。
私が乗っ取る側ならそうしますね。
そして伝記(本当にあった実話)を神話(架空の話)に変えれば大成功です。
後の人達がその神話上の神たちは実在していない、天の神のお話しですよ~って広めてくれるのですからね。
神社で祈れば天に届いて幸せになれるかもしれない?!
そんな曖昧な状態で神に祈るのですから神も仏もあったもんじゃないって思う人も当然出てきて当たり前ですよね。
でも実際に神とは神話上ではなく伝記だったとしたら、実在してたとしたら、真剣に祈るでしょう。まるで自分のご先祖のお墓にお参りするように身近に感じるでしょう。
私はここを強く言いたいのです!!
特に『古事記』ではイサナミの死体から自然が生まれたのだと書かれています。これではイサナミは人ではないと思ってしまいます。
また、イサナミは怖い女神で地獄のスケバンみたいに書かれています。絶対納得いきません!!
少しでも『記紀』などに疑問を持ったら、是非『ほつまつたゑ』に触れてみてください。
そこには神々の失敗例や、問題点への対策が書かれていて、人智を超えた神性な叡智なる教え、戒めが書かれています。
こういう叙事詩(和歌)は、渡来人たちは絶対に書けません。そういう文化が大陸に残されなかったからです。
日本は島国です。隣国に脅かされる心配が少ない立地だったからです。だから世界中の宗教家の跡継ぎが、自分が滅ぼされる前に日本に亡命してきて宝などを日本に隠し、日本人に伝えて行ったのです。
ですから手直しした時に世界中の歴史がごちゃ混ぜになり、おかしなことになってしまったのでしょう。
話を戻します。
「十種神宝」をなぜ作ったのでしょう。
出雲地方でハタレが決起し、その動きは元が沈んでからでも後の時代に大きな穢れとして発生する可能性があったからでした。
この「十種神宝」はニニキネの兄クシタマホノアカリから、ニニキネの孫「ニギハヤヒ」(ニニキネの三つ子の長男ムメヒトの子)に渡りました。
そしてニギハヤヒから子の「ウマシマチ」へ。そして神武天皇が立った後、ウマシマチは神武に就き、この「十種神宝」を神武に渡したのです。
その代わり、ウマシマチは物部という苗字を神武から貰いました。こうして「十種神宝」はウマシマチをはじめとする物部一族が管理することになりました。
ここを『古事記』では、神武に渡した者を「ニギハヤヒ」であると書いています。そこから誰が剣を渡したのか・・・この者もニギハヤヒに変えられています。剣を渡したのはニギハヤヒではなく、その子「ウマシマチ」です。
こうした伝記により物部の祖は「ウマシマチ」でなければおかしいのです。
どうも『古事記』はニギハヤヒを盛んに持ち上げているように思えます。
このように「十種神宝」はいわゆるハタレの動きを封じ込める霊力があったようです。この十種神器は現在どこにあるのか分かりません。
同じ場所にあるのか、それともバラバラに分けられたのか興味が湧きますね。
さて、この剣を杵築宮に突き立て、国を譲るか譲らないか迫った場所が現在の出雲大社なのです。
初代オオモノヌシ(ヲホナムチ)は国を譲りました。どうしたらいいのか、自分の子供「クシヒコ」(現在では恵比寿神)に聞いて欲しいと頼み、タケミカヅチたちがクシヒコに会いにいく場面があります。
クシヒコは美穂崎で釣りをしていました。
国を譲れと迫りくる強面のタケミカヅチやフツヌシの大将に対して、笑みを浮かべて
「われすずかにて」
(私は今清らかで清々しい心でいます。全ては天の御心のまま、どうぞお好きにしてください。何も抵抗いたしません。このように釣り針に口を釣られた鯛のようです。私たち臣も民衆も君(天皇)に対して服従する立場なのですから。)
と「ゑみす」顔で答えたのが今では「恵比須神」となってしまったクシヒコさん。(西宮神社の主祭神)
だから七福神の恵比寿さんは万遍な笑顔で鯛を釣りあげているのです。
「えびす」では音が違いますよ。「ゑみす」です
今回は書きませんが、この場面も非常に感動する場面です。
「ゑ」の音を出す時、自然にくしゃくしゃの笑顔になります。
こうして我が子クシヒコに尋ねた結果、全てを受け入れて戦うことなく民たちの命も損なうことなく素直に出雲の国を渡したヲホナムチ。
(諦めきれないタケミナカタというもう一人の子がいました。彼は最後まで抵抗して諏訪湖まで逃げて降参しましたがついに観念。ここが諏訪大社になりました。)
「杵築(きづき)宮」の名前の由来を申し上げます。
「杵」(き)を「突き刺した」という語源から「きづき」と名付けられたのです。
『ほつまつたゑ』十-26 鏑邦男『ほつまつたゑ』上巻より
ミカツチや フツヌシそえて
鹿島立ち 出雲杵築に
頭椎(かぶつち)の 剣を植えて
うづくまり なぢり問ふなり
どうですか?
出雲大社という神社名だけではヲホナムチの国譲りの情景が分からないでしょう。
驕りの心を糺すために剣を突き刺した場所なのです。これが現在の出雲大社の伝記なのです。
ですから出雲大社には祭神は祀られていません。
国を追い出されたヲホナムチはその後、「ツガル」へ行きます。
そして「日隅宮(ひすみのみや)」(現在の青森県岩木山神社)を建設します。その後ヲホナムチは改心して「顕国魂:ウツシクニタマ」と讃えられます。
その元君主「ヲホナムチ」を忍び、そして人はみな驕り高ぶることがあれど、この宮を見て改心しなさいよ、という教訓のために残した宮が出雲大社の建設理由です。
縄文の時代に、後世ここ出雲から必ず穢れが発生するから、どうしてもこの場所に残さなければならなかったのです。
豊受大神がご存命の時、この地に自ら行かれて監視していたことからです。あの偉大なる豊受大神さまが自ら東北からサホコ国へ天下ったのです。
豊受大神の前世は初代天皇の「国常立尊」だと『ほつまつたゑ』で書かれています。それくらい偉大な方なのです。
しかも神上がった場所もチタル国(現在の京都府丹後にある籠神社あたり)を選んで死後も監視し続けています。現在もです
ご存じの通り、豊受大神さまは伊勢神宮外宮の主祭神です。
さて・・・出雲大社の作法ではなぜ4回も柏手を打つのでしょうか。
これは私の勝手な解釈ですが、遠く離れた津軽の地にいる国主であった君「ヲホナムチ」に聞こえるように、届くようにと、度量と器量のあるヲホナムチを慕って残された民たちが何回も何回も音を出して柏手(柏手はヲシテを表す)を叩いたのでしょう。東北青森にいる主人に聞こえるようにと。
これからも出雲の謎解きを挑戦していこうと思います。
まだまだ伝え足りないことが沢山あります。
今回のお話しもこれからも正当な『ほつまつたゑ』を解読してくれている鏑先生のお弟子さんによる教えがあって書くことができています。
そしてそのおかげで自分の役割を思い出しました。
学ぶほどに湧き上がる縄文時代の神々の願い。。。
その中にだけ今の私の生き方、考え方があります。
現代の社会は本当に行き難い。なぜそうなってしまったのでしょう。
明らかに言えることは、文明が発達すればするほど、心の世界は置き去りにされるのです。
更に過去に起きた大事件は必ず現世(うつしよ)に顕れます。未来に夢を見るのもいいですが、まずは過去の清算をしなくては未来は無いのです。
過去とは正確な史実です。その史実が今の正史と言われている書物から書き換えられ、抜き取られているのですから、現実が良くなるはずがありません。
縄文時代に何があったのか、それは天地をも揺るがす自然災害をも起こす強烈な怨念の塊があったことを忘れてはならないと思います。
その場所は山陰地方周辺なのです!
個々の生活を楽しむのももちろん自由です。自分の人生一度切りと思うのも自由です。
しかしその陰で潜む闇がいつしかあなたの人生に大きく立ちはだかる時が来ることを伝えておきます。
誰にでも自分の過去世があります。その自分の犯してしまった過ちにより因縁という種が現在に吹き出てきているし、これから起こることもあります。
それは誰かが取ってくれるものではないのです。
人と関わることでマイナスの因縁の種が芽を出し、実をつけて子孫へと置き去りにします。実を結ぶ前に、人と関わりながらマイナスの因縁の種を取り去ることが必要なのです。
ただし種には良い因縁の種もあります。過去に良い因縁を積み重ねて来た人は、現在良い結果が沢山やって来ているはずです。
祈れば全て消える?祈詞を言えば消え失せる?文字を体に書いたり呪いをしたりして消え失せる?
いいえ、そんな簡単なものではありません。一時的な気休めです。
根本原因を取り除かなくては、自分の未来にも影響します。
その根本原因を知るために正しい史実の中で神々が国の民を一人一人余すことなく救うためにご助力されて来たことを、その恩をその情をくみ取り、己の魂に刻み込まなくては原因は無くなりません。
つまり私たちの祖先と同じ生きた人間だった神々に、感謝と尊敬の念を心の中枢に落とし込まなければ祈りたいと思う真剣な心持にはなれないでしょう。
想いが無ければ祈っても祝詞をたくさん言い続けても効果はありません。
因縁は読経しても取れません。また人の行いに対して正悪、白黒をつけるような考え方、正義と悪などと、人間が裁き判断することはやってはいけないのです。出雲の国譲りがそれを教えてくれています。その判断が驕りを増幅させ、穢れを生みます。
あくまでも事実は一つしかありません。しかしその事実が分からない内はその事柄に判断はいりません。いつの日か必ず事実は明らかになる未来が来ます。その時まで待ちましょう。それが時、タイミングなのでしょう。
縄文の時にはマフツの鏡がありました。それで判断していましたが、それを裁くのは人ではなく神の役職についていた者でした。その本人さえ情が入れば躊躇なく神から裁かれました。今ではその鏡もありません。
私がなぜ『ほつまつたゑ』は事実に近い話だと感じているかといえば、
『ほつまつたゑ』を正確に知れば知るほど心が穏やかになっていくのを感じるからです。
今回『十種なる振る祈詞』のセミナーに参加された方の中から嬉しい声が届きました。
『ほつまつたゑ』を習いたい。知りたい。
とても嬉しい気持ちになりました。
私は学者や研究者ではありませんし、まして『ほつまつたゑ』をすでに学んでいらっしゃる、指導していらっしゃる先生方を差し置いて教えるなど、全く考えていません。
しかし、私なりの『ほつまつたゑ』への情熱は伝えられるかもしれない。。。
昨日あたりから心に変化が起き始めました。
勉強会ではなく感情に浸る会にしようか・・・と考えています。
イサナミさんを失ったイサナギさんの想いは?
イサナミさんがその後ヲロチとされて『古事記』で悪として登場していることをどう思っているのか?
モチコの長男「アメノホヒ」さんは本当なら天皇になっていた方。でも降格されて、母親が流罪として罪人扱いになった後の彼の心は?
そんなことを考える内、神魂神社の裏『古事記』の本を見た方から神魂神社が元の出雲大社なんですよと言われて、これまた調べることに・・・神魂神社という謎の神社とは?
やはり神々に私なりの答えを求められているのかもしれません。
しかし確実に祓い祝詞は皆さんに今後も伝えていくことが私の使命だと思います。
今回、和仁估安聡氏による正しい音を使った『十種なる振る祝詞』と、身体に存在する十の音の部位を伝えました。
このセミナーでは私からくどいほど注意点を申し上げました。
この『十種なる振る祈詞』の資料をコピーして皆さんにお配りください。そして伝えてください。
しかし注意して欲しいことがあります。
決して金銭授受をしないでください。
もしも物で頂いてしまったらそれを皆さんで分けてください。
この祝詞は縄文の時代に皆さんが使っていた十の数え歌です。ですから特別なことではありません。
だから金銭を受け取ることはおかしいでしょう。
またこの意味を聞かれたら、みなさんが本日受けた内容の中で、皆さんの理解度で良いので一生懸命伝えてください。
その想いがきっと相手の心に響きます。本当の伝えるという意味は情熱や心の響きだと思うのです。
また次回いつになるか分かりませんが、そのときにももちろん無料で行います!
みなさんで地元の神社に正しい音で祝詞を奏上していってください。私一人ではできないことです。
またお家のどこでもできます。仏教も神道も元は同じです。お寺でもお墓参りの時にも効果抜群だと思います。
但し、セミナーに直接来て頂ける方だけに伝えています。
その方がご自身の言葉で伝えて行く内に内容が薄くなってきますので、伝えられた方も興味があればいつか元のセミナーに出てみてください。
このやり方でいいのかどうなのかは、後に結果として出て来るでしょう。その時修正すべきことがあれば修正すれば良いだけのことです。。。
それではまた次回、出雲の謎解き3で待っていてください。
(あ~今回も出雲大社の内容だけしか書けなかった~許してね・・・)
※今回の記事と前回の記事に誤りがありました。
以下↓
『十種なる振る祝詞』 訂正後→『十種なる振る祈詞』
「祝詞」 訂正後→「祈詞」
訂正しました。ご指摘頂いたMさん、ありがとうございます!