毎回、専門的な内容に飽きもせず、読んで頂きまして感謝の念に浸っています。
益々学ばなければならない、向上して進化していかなくてはならないと責任を痛感しています。
さて、今回も長くなりそうですが、興味のある方はお読みください
今の人達に絶対必要不可欠な「あめなるみち」です。
【人間の面倒臭い関係から生まれる穢れからどうしたら身を守れるのか】・・・
【古代の人達は現代の私たちに何を言い残したかったのか】・・・
これが分かると神社の意義が分かると思います。
祈りの気持ちに変化をもたらすことでしょう。
そのことを伝えてくれたのがこの写真からでした!
場所は「江之島弁天」に近い鎌倉市内。一番古い創建の神社関係のお稲荷さんです。
では今回はいきなり不思議な写真から見て頂きましょう。
私の大切なある方がご縁があって撮られた写真です。
人物の向かって右側に
何かがはっきりと写っています!!
分かりにくいので、オレンジで〇印をつけました。
更に300%に拡大。
更に400%拡大
青いものが二つ?
良く見ると三つ?
お母さんが赤ちゃんを抱っこしているようにも見え、宇宙人にも見えてしまう・・・
この一枚は何も写り込んでいない写真です。
5枚くらい同じ場所を撮っていますが、始めの3枚の写真には全く写っていませんでした。
それも載せておきます。
さて、これらを撮った時間は昼間だそうです。
場所は江之島弁財天の島の近く。
鎌倉で一番古い創建の「龍口明(りゅうこうみょう)神社」の隣りにある「経六稲荷神社」です。
この稲荷神社は、元は龍口明神社と同じ場所にあったらしいのですが、龍口明神社も移転されてきて現在の場所にあるので、道路を挟んで隣りに稲荷を持って来たらしいです。
またこの場所はゼロ磁場だとも書かれているサイトがありました。
さて、この写真の解明が私のところに来たわけですが、対外、昔から私自身の中に問いかけて何日か寝ると、夢でお告げがあり、ヒントをくれるものなんですけど・・・
今回は全く音沙汰無し。ヒントも無し!
(あ~もうだめだ!こうなったら行くしかない!)
というわけで、スケジュールが立て込んでいたので夜出発!
はじめ、この写真の撮影場所は「江之島弁財天の横」だと勘違いして聞いていたので、まさか島より離れた住宅街にあるなんて想像していなかったので、私は江之島弁財天の島の中を、懐中電灯だけを頼りに歩いて探しました。
私は昔から夜に神社や聖地に行くことが多くて、霊的に夜が怖いと思ったことはありません。でも怖いのは人間ですね。変な人が居たりする方が怖いですけど、絶対守りがあるから大丈夫!!という気構えで行きますが・・・
しかし、江之島の中にはこの風景の稲荷さんは無くて、世も更けてきたのでもう諦めようと思って島を後にしたその時、私のいつもの勘が入って来ました。
それはもう一度写真を拡大して、その写真の神社の名前を拡大してみようと思いつきました。
しかし・・・
携帯で頂いた写真だったので、拡大しようにも限界がありました。
そこで、携帯の「画像」というところをクリックして、
「経〇稲荷」江之島
と入れて画像検索してみたところ、この場所の写真が出てきました!!
その場所は江之島ではなく、鎌倉市街であり、鎌倉で一番古い神社だったし・・・
更に、あの白山神社を開いた「泰澄」が関わっていたのが分かったのです。(詳しくは、記事の始めにリンクした「龍口明神社」の由来を見てください。
この神社は、泰澄さんだけじゃなくて、一遍上人(踊り念仏)も祈っているし、泰澄さんは江之島神社と龍口明神社をセットで祀っています。
江之島弁天さんといえば私は真っ先に「空海」を思い出します。
島の中には空海の建てた寺が存在します。
さて、サイトの由来によれば泰澄さんは三体の御木像を作りました。
一つは弁財天さま。これを江之島へ、更に玉依姫命と五頭龍大神の御木像を白鬚明神へ納めたといわれています。
ここまでくればもうしめたもの!
白髭明神(通称、白髭さん)は、『ほつまつたゑ』によれば「海幸彦」なのです。
海幸、山幸の兄弟のお話しは浦島太郎の謎解きにも関わりますから、この記事の中ではとても書き著せませんので、またいつか『ほつまつたゑ』の25、26アヤをまとめた解読文を発表する機会があればその時にでも説明します。ご了承ください・・・
一つだけ余談ですが、海幸彦は山幸彦のお子さん(海幸彦からみれば甥っ子)の胎毒を薬草を煮出して体から出すことに成功し、その後このお子さんは長寿したので、海幸彦のことを「白髭神」と讃えたんです。
始めは兄海幸は、弟山幸をイジメていたのですが、竜宮の玉によって懲らしめられ、改心して白髭神になったのです。
私の田舎は山奥ですが白髭神社が点在しています。静岡市は実に白髭神社が多いんです。
またいけない、いけない・・・すぐに脱線してしまう・・・
話を戻します。
白髭さんと分かったので、『ほつまつたゑ』の25と26アヤをなぜ解読したくなったのかが分かりました。
この解読を始めたのは今年の2月はじめからでした。
しかし難解な箇所が多く、途中でギブアップしていました。
7月には忘れていましたね。
ところがそれから約一か月後、この不思議写真がやって来て、まるで25、26アヤには大切なことが書かれているから最後まで解読をやり遂げよ!と言おうとしていたのか・・・
それはこの2つのアヤには「白髭神」について書かれているからです。
まるで私をこの場所に呼んでいるかのようでした。
そして行ってみて、実際にこの物体があるのかどうかを確かめる以外にはない!という結論に至りました。
そしてついに私にも写り込んでくれたのです!
夜中ですが、同じような物体が・・・発光していました!
まずは何も写っていない写真から↓
次は写っている写真↓
マークを付けてあります。
その拡大写真です。
写真は何枚も同じ場所で三回ずつ撮り、少しずつカメラを構える場所を移動して撮ってます。
合計12枚撮影。
その内、2枚にしか写っていませんでした。
実際に行ってみて、木の後ろをチェックしましたが、何もなし。
発光するようなものも無し。
夜中だったので道に街燈はついていましたが、方角が違いました。
また街燈は黄色です。
そしてこの方から送られて来た写真は昼間に撮影しています。
私も同じ場所に立って同じポーズを取って写しました。
明らかに何か目に見えない光が訴えています。
そしてこの私の横に写っている拡大写真から見れば、青い発行体は良く見ると
三つ
あります!
そして、その前に行っている江之島弁財天で三つの弁天の社を撮影してきましたが、その内の数枚が全て
赤!!
赤い発行体が広い範囲で写っていました。その内の数枚を載せておきます。
赤い靄(もや)!
空海関連の建物の入り口で
赤い靄が写った写真↓
何も写っていない写真↓
弁財天内の小さなお社の鳥居の前で
赤い靄が写っている写真↓
何も写ってない写真↓
赤い靄入り↓
赤い靄無し↓
私はいつも何か感じた場所で数枚同じ位置でシャッターを押します。
今回の江之島弁財天だけは、全て
赤い発行体
が写りました。
さて、
ここから『ほつまつたゑ』という文献を使って
江之島弁財天と龍口明神社とその隣りの稲荷神社の関連に迫っていきたいと思います!
神代の時代にワープして、その時代の神たちが現代の私たちに何を残して下さったのか・・・
それが分かれば、どういう風に神社に向えばいいのか、日本人としてどういう生き方をしていくべきか、が見えてきます。
忘れられた「ヤマト魂魄」
今こそ思い出して!!
そして行動して欲しいのです。
ということで、次回に続きます。
次回は、
この写真の発行体からのメッセージとは。
江之島弁財天と龍口明神との関係とは。
神代からのメッセージ、今の時代に必要な「ヤマト魂魄」とは。
に迫りたいと思います。
次回へ・・・