5年ほど前からある施設に寄付を行っています。

そこは親がいなかったり、教育を放棄された子供たちが最後に頼る場所です。


寄付を始めてから施設への2回目の訪問の時でした。


理事長の計らいで施設を見学させて頂きながら、子供達一人一人の境遇について

ご説明を頂いた事がありました。


「あの子はまだ乳児の時に捨てられた子で親の顔を知らないのです。」


「あの子は両親が覚せい剤に嵌り、教育放棄とみなされこの施設に来ました。」


「あの子は片親で、母親が生活が苦しくて面倒を見れず、母親自らこの施設に連れて来られました。」


過酷な現実を、淡々とアナリストのように説明される理事長のお話。


私は理事長の説明を受けて、悲しい気持ちにも、悲惨な想いにも駆られませんでした。

それは理事長の説明に感情も抑揚も感じられなかったからではありません。


そこにいた子供達が笑顔で溢れていたからです。

そしてその笑顔に、何とも形容し難い美しさと悲哀を感じたのです。


一方、親に代わり子供達と向き合う職員の皆様の日々の御苦労をお聞きしていると

複雑な想いにも駆られました。


「少し前ですが、夜中学生の女の子が施設に帰って来ない日があって、不眠不休で探し回りました。

何日か経って見つかると、彼氏の家に寝泊まりしていた。なんてこともありました。」


「先週は補導された子がいて、深夜3時に警察にお迎えに行きました。翌日は寝ずに

6時から保育園に通う子供達を送り出し、8時から小学生達を送り出し、事務作業を終えて寮に帰宅。

眠りについたのは夕方でした。」


「過去には妊娠が発覚した子もいて・・・」


私は黙って先生方のお話を聞いているうち

何か出来る事はないかと考え、寄付金の待遇改善への使用だけではなく、施設の一助になればと

卒業生達の当社への就職斡旋を提案しました。


しかし、次の理事長の話を聞いて、私の安易な想いは脆くも打ち砕かれたのです。


「杉本さん、大変有り難いご提案なんですが、それはお断り致します」

「なぜでしょうか?」

私は訝りながら尋ねました。


過去に同じよう提案もあったと前置きをした上で、理事長は説明を続けました。

「実はこの施設に入った子供達の多くがまた再びこの施設に戻ってくる事が多いんです。」

「どういう事でしょうか?卒業をしたらもういい大人ではないですか?」

「そうです。大人になって子供と共に戻って来るのです。」

私が絶句をしていると、理事長は言いました。

「それが現実です」


理事長の話は淡々と、決して悲観をしているわけでも、何か希望を伝えようとするでもなく

ただひたすら現実を伝えてくれました。

私も母が13歳で亡くなり、父は18歳の時に会社を倒産させ蒸発。

それなりの苦労をしてきたつもりでした。


しかし、彼らの境遇は次元が違いました。

私は全ての現実を知り、認識の甘さを恥じながら

改めて両親への感謝が沸いて来ました。


「それでも、希望は捨てずにやり続けるのが私達の仕事です。」

最後の理事長の言葉には凄味がありました。


私は経営者ですが、よき経営者はよき教育者であると認識しています。

まだまだ未熟者ですが、現実から目を逸らさず、一歩一歩努力を重ねて参りたいと思います。