あれから9年経ちました

 

9年前の発災時、私は当時衆議院議員だった郡さんの秘書として3年目、その傍ら大学も4年生で講義もすべて終わり、あとは大学の卒業式を待つだけの状況でした。今思えば東日本大震災の前震であった3月9日の地震・津波で被害があった養殖業者などを調査していた3月11日、あの時から生活は一変しました。

 

昼間は役所や避難所を回り、夜は地元の避難所で炊き出し・運営の手伝いや、当時町内会長をしていた母と町内に支援物資を運んだりもありました。

 

ご飯を食べることもままならなかった時期で、同じ事務所では同期の山下議員と共に被災地を奔走していました。

 

書きたいことは多いのですがとても書ききれる量ではありません。

 

3月12日に行った沿岸部の光景を見て自然の猛威を肌で感じ、政治の世界でできることをもっと勉強しなくてはいけないと強く思ったのを昨日のように思い出します。

その後郡さんは復興政務官に就任し、復興への道のりをこの目で確認することができました。もちろん郡さんだけではなく与野党問わず本当に多くの政治家の奔走を見てきました、ほかの党の先生方も含めてその背中を見させていただき憧れと、いつかは自分もあの舞台で復興に携わるという気概を強く持ちました。

 

そして議員になって初めての311

また違った立場でこの3月11日を様々な思いを巡らせ過ごしました。

 

震災で亡くなられた15899人、行方不明者2529、震災関連死は3739人という大きな被害だけではなく、現在も民間の借り上げも含めた仮設住宅の入居者も5884人いらっしゃいます。

その他にも自宅被災の方や、心のケアなど必要な方が9年経っても本当に多くいらっしゃいます。

 

我々にもまだ復興でできることはあります、震災はまだ終わっていません。

 

しっかりと寄り添い、地域で聞いたことを一つ一つ解決するために、更に精進してまいります。

本日の追悼式はコロナウイルス対策で縮小し行われましたが、私も仙台市の追悼式に参列してまいりました。

 

被災した皆様へ、改めてお見舞いを申し上げます。