ガリレオくんのブログ

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とちぎの那須塩原で市民インターネットラジオ(テレビ?)に参加しています。
月曜夜8時の「げつはち」改め
金曜夜8時の「キンヨウ8(オイト)」をよろしく。
http://radio-aquas.net

百人一首之内 源兼昌(みなもとのかねまさ)
淡路島(あはぢしま)かよふ千鳥(ちどり)能(の)なく聲(こゑ)耳(に)
いく夜(よ)寝(ね)ざ免(め)ぬ須磨(すま)の関守(せきもり)
金葉集(きんえふしふ)冬(ふゆ)の部(ぶ)尓(に)入(い)累(る)詞書(ことばがき)尓(に)関路(せきぢ)能(の)千鳥(ちどり)越(を)よめるとあり心(こころ)盤(は)須广(すま)の浦(うら)尓(に)旅寝(たびね)をしてあハぢ嶋(しま)より通(かよ)ふ千鳥(ちどり)のこゑいと物(もの)かなしく哀(あは)連(れ)もましてたゞ一夜(ひとよ)なる旅寝(たびね)の憂(うさ)さへ一入(ひとしほ)ま佐(さ)るこゝちする尓(に)こゝなる関守(せきもり)ハ毎夜(まいよ)古(こ)の侘(わび)しき尓(に)堪(たえ)ずや有なんと察(さつ)し多(た)る心(こころ)ふ可(か)起(き)哥(うた)也とぞ
朝櫻楼國芳画


百人一首繪抄 源兼昌(みなもとのかねまさ)
阿(あ)王(わ)ぢ島(しま)可(か)よふ千鳥(ちどり)の啼(な)く声(こへ)尓(に)
いく夜ね覚ぬ須广(すま)の関もり
七十八番
此心ハさびしき春(す)ま能(の)うらに多(た)びねしてねざめのちどりを聞てさむくたえ可(が)多(た)可(か)りし尓(に)徒(つ)けて可(か)やう能(の)所のせきもりとなりてハいくよちどりのこゑ尓(に)ねざめして多(た)え王(わ)びぬらんわ可(が)たまさ可(か)のたびねさへ物うきにつ年(ね)尓(に)春(す)ミいるせきもりハい可(か)者(ば)可(か)りつら可(か)らんといふ心なり
香蝶楼豊國画


源兼昌みなもとのかねまさ)は、平安時代後期の貴族・歌人。宇多源氏、美濃介・源俊輔の子。官位は従五位下・皇后宮少進。
「百人一首之内」の絵柄も風情があると感じますが、物悲しさが勝るでしょうか?
「百人一首絵抄」の女性は魚の入った桶?盥?を頭に載せています。それにしても立派な魚たちですネ。d(へ”の)

百人一首之内 崇徳院(しゆとくゐん)
瀬(せ)を者(は)やミ岩(いは)尓(に)せ可(か)類(る)ゝ多(た)き川(かは)の
わ連(れ)てもすゑ尓(に)あ者(は)んとそおもふ
詞花集(しくわしふ)戀(こひ)の部(ぶ)尓(に)入(いる)こゝろハ瀬(せ)の者(は)やき川(かは)の水(みづ)能(の)岩(いは)尓(に)せ可(か)連(れ)て左右(さいう)へ王(わ)可(か)連(れ)ても末(すへ)にハま多(た)あふものな連(れ)ど徒(つ)らき人(ひと)尓(に)別(わか)れてハ後(のち)尓(に)あひ可(が)たき習(なら)ひなるを王(わ)りなくても末(すへ)に逢(あは)んと思ふハ者(は)可(か)那(な)き事ぞとうち歎(なげ)起(き)多(た)るハ実(じつ)尓(に)意味(いみ)ふ可(か)起(き)御哥(うた)なり
一勇齋國芳画


百人一首繪抄 崇徳院(しゆとくいん)
瀬(せ)を者(は)やミ岩(いわ)耳(に)せ可(か)流(る)ゝ瀧(たき)川農(の)
わ連(れ)ても末尓(に)あハんとぞおもふ
七十七番
此心ハ者(は)やきせのい王(わ)にく多(だ)け多(た)るなミも王(わ)れてハ又あふてな可(が)るゝも能(の)な連(れ)バ王(わ)可(が)戀もそのごとく一ト多(た)び中王(わ)連(れ)王(わ)可(か)連(れ)多(た)りとも者(は)じめむつましくちぎり可(か)ハせし君なれバ多(た)可(が)ひ尓(に)こゝろ多(だ)にか王(わ)ら春(ず)ハ又春(す)ゑ尓(に)あハるゝ志(じ)せつもある遍(べ)しといふ心あきら可(か)那(な)る御哥なり
香蝶楼豊國画


崇徳天皇(すとくてんのう、1119年7月7日(元永2年5月28日)-1164年9月14日(長寛2年8月26日))は、日本の第75代天皇(在位:1123年2月25日(保安4年1月28日)-1142年1月5日(永治元年12月7日))。諱は顕仁(あきひと)。鳥羽天皇の第一皇子。母は中宮・藤原璋子(待賢門院)。譲位後は新院。その後、平安時代末期の1156年(保元元年)に貴族の内部抗争である保元の乱で後白河天皇に敗れ、讃岐に配流後は讃岐院とも呼ばれた。また、日本三大怨霊の一人としても知られる。
「百人一首之内」の絵柄は、讃岐に流された崇徳上皇としてWikipediaにも取り上げられています。
「百人一首絵抄」の女性は貝合わせをしています。

百人一首之内は見当たりません。

百人一首繪抄 法性寺入道前関白大政大臣(ほせうじのにうどうさきのくわんはくだしやうだいじん)
和田能(の)原(はら)ご起(ぎ)出(いで)て見(み)連(れ)バ久(ひさ)可(か)多(た)の
雲(くも)井尓(に)ま可(が)ふおきつ志(し)ら浪(なみ)
七十六番
此心ハ王(わ)多(だ)の原ハうミ能(の)そうミやうなり者(は)る可(か)尓(に)舟をこ起(ぎ)出てな可(が)む連(れ)バまこと尓(に)くもとなミひとつ尓(に)なりて者(は)る/゛\と見王(わ)多(た)され多(た)るなり久可(か)多(た)ハ雲をい王(わ)んとのまくらこと者(ば)なりまことにうミの果可(か)ぎりなきていをよくけいき越(を)言い多(だ)したるよせい可(か)ぎりなし
香蝶楼豊國画


藤原忠通(ふじわらのただみち)は、平安時代後期から末期にかけての公卿・歌人。藤原北家、関白・藤原忠実の次男。官位は従一位・摂政関白・太政大臣。通称は法性寺関白(ほっしょうじかんぱく)。小倉百人一首では法性寺入道前関白太政大臣。
絵柄の女性はまた綺麗に着飾っていますネっ!( *´艸`)