ガリレオくんのブログ

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 wowowで録画した映画を観賞。

 是枝裕和監督の「ベイビー・ブローカー」は、2年前に見逃して初視聴。「万引き家族」ととても良く似た作品だと想った。そして、「そして父になる」や「怪物」にも通じている。

 二度目の視聴になる「怪物」も愉しみ。

 親と子の関係とは一体何なのだろう?血のつながりがあれば親子なのか?一緒に暮らしていたら親子なのか?

 正解は無数にあるようにも想うが、唯一絶対の答えなどないことは確信できる。

 

 こんな想いを強くしたのは、その前に観たもう一本の作品「The son/息子」によるところが大きい。とても心に響く物語だった。

 離婚した父と母の間で心を病む息子。何を悩んでいるのだろう?父親も母親もカウンセラーも医師も皆知ろうとするが、誰も判らない。本人だって判らないと想う。人間はとても無力な存在、無能なのだ。

 同じ監督がこの作品より前に「ファーザー」と云う作品を撮っている。チラシはあるがやはり未視聴。年老いた父親の苦しみも誰にも解決出来ないのじゃないだろうか?

 こちらも観てみたいと想った。機会があればなァ~っ!

 

 さて、以前から書いていることにつながっていく。

 改めて僕ら人間は何も判っていないのだよねェ~っ!だって、認識できないことだらけなのだから...(へ皿へ)

 そして、認識出来たとしても認識を共有することはとても難しい。共有するための手段として数値化したり言語化したりしてきた。そして、複雑な計算をコンピュータで処理し、さらに人工知能AIを使って人間以上に処理出来るようにしている。しかし、果たして認識を共有できているのだろうか?とても疑問に想う。

 なぜならば、人間が認識していることは限りなく少ない。

   白:人間が認識している領域

   黒:人間が認識出来ない領域

 この図の説明は、人間が認識している領域についてもこんな形に書くことも出来ます。

   白:数値化、言語化出来る領域

   黒:数値化、言語化出来ない領域

 ただし、先の説明と大きく違っているところがあるのは、ご注意ください。白の領域は僕ら人間が数値化、言語化している領域ではありません。とても大事なことなのです。くれぐれもご注意してください。

 人間が認識している領域と云うのは、最善を尽くして認識しようとしています。ですから、認識している領域は認識出来る領域と同義です。しかし、人間が数値化、言語化している領域は数値化、言語化出来る領域を超えています。出来ないものを無理やり数値化、言語化しています。数値化、言語化することで本当に認識を共有できているでしょうか?僕にはとても共有できているとは想えません。

 あれ、これ書いてきていましたネ。これも書いたかな?とても心配なことがあります。僕ら人間が、この無理やりの数値化、言語化に自分たちを合わせにいっているように感じられるのです。

例えば、47都道府県魅力度ランキングが広く認知されていること。ああ、書いていますヨネ。こんなことが当たり前になっちゃうのでしょうねェ~っ!技術的特異点(テクニカル・シンギュラリティ)に近付いていっていますねェ~っ!!(TへT)

 

4月には一度もアップできなかったなァ~っ!

 

激動の期末3月を乗り越えたと想ったが、昨年と同じような波が押し寄せてきたようだった。気分が優れない日も多く、低空飛行ながらなんとか4月も乗り越えてきたカナ?

今年の黄金週間は前半の3日も後半の4日もただのんびりと過ごした。休み明けの週は4日間の勤務だったが、さらなる低空飛行ながら休まず務めることが出来ました。ホっ!

 

ここ最近の投稿を読んでいただけると判ると想うが、老いを意識することがとても多い。時代の変化に馴染めない。ついていけない。そんな氣がしてならない。

どうも今のこの国はおかしい。どんどんおかしくなっていってる。モヤモヤとするばかりだが、今感じていることを書いておこうと想う。

 

大河ドラマ「光る君へ」のことは書いたかな?30年来の望みが叶った。太平の平安絵巻。来年も太平の世、江戸の町民文化が描かれるんだよね。これも、とてもうれしい。( ´艸`)

明治以降のこの国の思考はおかしいヨネ。太平洋戦争で終わったかと想っていたけど、その思考は脈々と息づいている。安倍晋三が首相になって、憲法改正の議論が盛んになって、愈々酷くなった。水林章・著「日本語に生まれること、フランス語を生きること」を読んで自分だけじゃなかったのだと知った。

しかし、この本に書かれたことも随分おかしな「空気」が漂っているように感じる。

「憲法」って?「天皇制」って?

明治以降の神格化された天皇の姿がとても異常なのだと想う。

紹介した本では、江戸幕府の幕藩体制からそうなっていると書かれているが、そんなにひとつの考えに縛り付けられていたのかな?江戸時代の武士でないので実際のところは知りません。畏れ多くも天皇陛下でもないのでやはり判りませんが、歴代の天皇陛下はどなたももっと人間らしくあれこれ考え悩みもしたのじゃないでしょうか。今上天皇陛下のお姿を拝見して深くそう感じます。

 

大河ドラマ「光る君へ」本郷奏多くん演じる花山天皇の話がとても好きでした。

井上咲楽ちゃん演じる藤原忯子との関係もとても切なかった。

これから一条天皇の世も人間らしいお悩みがあることと想像します。いや、もうすでに深くお考え遊ばされていらっしゃいます。

画像はすべて僕が購入した東京ニュース通信社の出版物から。

おっと、今夜の放映で花山院が登場しましたネっ!( ´艸`)

 

明治以降の神格化された天皇陛下の姿こそ異常なのだとしみじみ想います。明治天皇も人間らしい所がたくさんあったのじゃないでしょうか。神格化された御自身のお姿にも随分お悩みになられたのではないでしょうか。この腐れきった思想を拭い去ることこそ今のこの国に必要なことじゃないかな?と深く考えます。

先に紹介した本を読んでいて感じるのは、民主主義を深く理解した人たちもまた明治以降のこの国の姿に囚われ過ぎていると云うこと。この異常な姿を無視しなければ、この国の未来は見えてこないのじゃないかな?今上天皇陛下が上皇陛下からお受け継がれになりとても大切になされている「象徴天皇制」、そのためには、ひとりひとりの人間を大切にしたいと想っています。畏れ多くも天皇陛下もおひとりの人間であらせられますから。民主主義の基本を改めてこの国に根付かせたいと想うのです。(´-ι_-`)

 

 では、その「脳疲労」の原因は?世の中に出回る情報は急速に増え続けている。その情報量に脳が追いついていかなくなっている。しかも、「働き方改革」なんて云って情報を処理する時間はどんどん少なくなっている。「脳疲労」の原因はなくならないどころか、途轍もなく巨大化していくことだろう。

 

 さて、この増大し巨大化する情報を扱う手段として、人類は人工知能AIを活用しようとしている。「ビッグデータ」なんてものを持ち出してAIの有効性を喧伝しているが...

 世の中に溢れかえる情報の多くは無用な役に立たない情報ばかりだ。処理した結果だって信憑性に欠けるものではないだろうか。

 

 仮説は実証してはじめて真実となる。そして、実証できない仮説があまりにも多い。だからこそ、実証する必要がある。AIの出した答えは決して真実とは云えない、仮説のひとつと云える。しかし、人類はそれを実証するつもりはあまりないらしい。そりゃあそうだよ、情報を処理するより大変かも知れない。

 

 人間は間違いを犯すものである。AIの方が人間よりも正しい。そんな見方もあるが、これも仮説だろう。この仮説を実証することは途轍もなく困難だろうなァ~っ!

 様々な事象においてAIを活用しないことはまずないだろう。しかし、すべて任せきりにしてしまって良いのだろうか?決して好くない。僕には良いとはとても想えない。

 人間は間違いを犯すものである。でも、その間違いを正すために明日が、未来がある。そう考えるから明日は明るい日であり、未来に希望が持てるのじゃないかな?

 

 脳疲労すると、陸なこと考えないヨ。最近撮った池に倒木。人類社会が、こんな風にならないように祈るばかりです。(へ人へ)