通りすがりの覆面レスラー・ZIPANGUです。
(※現在 プロレスラーとしては戦線離脱中ℹ️)


今、僕は『国際プロレス外伝』(著:Gスピリッツ編集部/発行:辰巳出版)を読んでいます👀


これは『実録・国際プロレス』『東京12チャンネル時代の国際プロレス』の続編にあたる “国際プロレス盛衰録” の第3弾!📖



「国際プロレス」とは、1967(昭和42)年1月から1981(昭和56)年9月まで存在したプロレス団体。
正式名称は、インターナショナル・レスリング・エンタープライズ株式会社。


国際プロレスをリアルタイムで観ていないので多くを語ることはできませんが、僕には生まれながらにプロレスと縁があったという話があります。



プロレスラー選手名鑑などでZIPANGUのプロフィールとして生年月日を公表していますが、僕は1976(昭和51)年2月25日生まれ。ちなみに男女の双子です。



出身地は今も住んでいる千葉県佐倉市ですが、出生地は実は埼玉県浦和市(※現在のさいたま市浦和区)です。



僕が生まれた当時、歯科技工士の両親は大宮市(※現在のさいたま市大宮区)で働いていました。
母方の親戚、大叔父が所有していた5階建てビルの一室を借りて仕事場にしていました。



僕ら兄妹は両親と一緒にその大宮の仕事場で過ごしていたそうです。2歳になる前に千葉に移住したので記憶はありませんが...。



さて、ここからが本題なのですが

そのお隣がなんと国際プロレスの道場だったそうです!😮


↗️  国際プロレス 大宮道場
(昭和48~50年頃?)
↗️  国際プロレス 大宮道場
(火災後に再建された昭和56年2月頃でしょうか?)


調べてみたところ、国際プロレスの道場は1973(昭和48)年に都内から大宮に移転。

先にこの大宮道場があったので、おそらく1973(昭和48)~1975(昭和50)年の間に大叔父が隣地に自社ビルを建てたのだと思われます🏢



母の話によると道場の扉を開けていたので練習している選手たちの姿をよく見かけていたそうです。晴れた日には屋外の駐車場でも運動していたとか。



ビル1階の飲食店で働いていた叔母は選手たちと親しくさせていただいたそうです。

大叔父が国際プロレスの後援会に入っていたこともあり、近くで興行がある時には巡業用の選手バスに一緒に乗せてもらって試合を観に行ったこともあったとか。そんなVIP待遇、羨ましい話ですよね。



ちなみに1980(昭和55)年7月、この道場兼合宿所にタクシーが突っ込んでガス爆発を起こして全焼する事故があったそうです。選手たちは北海道巡業中で不在だったため火災に巻き込まれずに済んだとのこと。

隣にあった大叔父のビルは道場側が黒焦げになって大部分を直したそうです。二次被害💦



それらのエピソードは大人になってから教えてもらったのですが、よくお名前が出ていたのがデビル紫さんでした👿✨



デビル紫さんが覆面レスラーだったことはGスピリッツなどのプロレス雑誌で知りました。手に入るならぜひ欲しい覆面です。



デビル紫さんは1968(昭和43)年1月5日にデビュー、1980(昭和55)年5月16日に現役引退。以降は国際プロレスの営業部員やレフェリーとして活動。

国際プロレス崩壊後は警備会社に就職し現金輸送などの仕事を任され定年まで勤務。2017(平成29)年10月に食道がんのため75歳に死去。



もう少し早く生まれていたら最初に好きになった覆面レスラーは初代タイガーマスクではなくデビル紫さんだったかもしれません。お会いしてみたかったです。



この国際プロレス大宮道場やデビル紫さんについて詳しい方がいたら、ぜひご教授していただきたいです🙇