週末に司会や舞台や撮影の仕事がない限り
毎週佐用町の実家に
水害の片付けに帰っていた。
すると「岡山のおじいちゃんが
危篤1週間もたない…」と
看病している叔母から連絡が…
仕事の段取りを無理矢理つけて
大阪に帰るのをやめて
岡山に走った…(-.-;)
無理してでも会いに
行っててよかった…(-.-;)
明るく笑っておじいちゃんと
色んな話しが出来た。
それに、ちゃんと『水戸黄門』
見てくれたみたい。
めちゃくちゃうれしかった。
「水戸黄門」OAが
おじいちゃんの寿命に間に合って
本当によかった…。
【道頓堀】中座くいだおれビルの
劇場スタジオZAZAで
リハーサルして居る時に、
母から電話があって
大好きなおじいちゃんが
他界したと連絡が…
ま、今週のスケジュールではすぐに
死に際に駆け付ける事は出来ない事が
わかっていたから
覚悟はしていたけれど…悲しい。
私が衣装監修しているその舞台は…
無事幕があいた!
実はおじいちゃんは
お母さんの本当のお父さんじゃない。
戦死したおじいちゃんのお兄さんのお嫁さん、
私のおばあちゃんと戦後結婚した…。
親戚が変わらないように、色んな理由で
昔はよくあった話だ。
ずーっと前のお正月に
岡山のカニ専門店『甲羅』に連れて行った。
孫からご馳走を食べさせてもらった祖父は
それから何年も何年もいろんな人に自慢して
毎年、毎年、昨日のことのように
私に「ありがとう」と言った。
よほど嬉しかったみたいで
死に際にも「みんなで甲羅行っておいでや」と
おじいちゃんは何度も何度も
私たちに言った。
今年のお正月は
おばあちゃんのほうがが寝込んでて
おじいちゃんはシャキシャキ元気だった。
おじいちゃんの好きな
いつもの沖田神社、通称道通さんへ
初詣に一緒に出かけた。
そんな
おじいちゃんは大正11年生まれ
おばあちゃんは大正5年生まれ
やっぱり男の人のほうが短命なのかぁ…
だけど、
最後の最後…
人が止まる瞬間てどんなだろう。
戦中、戦後…
大正から昭和、平成、
政権交代…
色んな事あったけど
おじいちゃんは人生
幸せだったかなぁ…。
おじいちゃんは本当に
強くて優しい人でしたから
生きてる間の徳が
いっぱいあったのでしょう
シルバーウィークに亡くなったので
親族、親戚ひとりも欠けることなく
お葬式に集まりました!
ほっこりして、みんな仲良く
素敵なお葬式で
お葬式によってまた
みんなが仲良くなりました!
おじいちゃ~ん!
ありがとう~!
聞こえるかなぁ(^^;)





