そんなに親しいわけでもなかったのにいつの間にか私はその部屋に遊びに行く約束をしていたの
ぼそりとつぶやいて彼女は小さく身を竦ませるようにひとつ身震いしてうつむいた。
小さな町の片隅、瀟洒なマンションを見上げた時は何も気づかなかった。
部屋は何階だったか、そんなことも覚えていない。
ただ通された場所は、とてつもなく広かった。
入る前には普通のマンションだったはずなのに、中はまるで大名屋敷か、大地主のお屋敷みたいなただただ広い日本間が広がっている。
目に入るのは畳ばかり、薄ら暗い四方はよくわからないけれど板張りの建具で仕切られているようにも感じる。
ただ何もない空虚な空間、彼女が案内してくれるのはそんな部屋ばかりだった。
「ずいぶん広いおうちなのね」
怯えた気持ちに気づかれないようにそういうと
ただ彼女は笑って
「ひとりきりでは持て余してしまうの」
そんなふうに呟いた。
ご主人は単身赴任中で、週末に帰ることもあれば帰らないこともあるらしい。
それは淋しいわね、なんて話を軽く合わせるくらいしか出来なかった。
その薄暗い果てない部屋が恐ろしくて。
彼女はやはりうす暗いダイニングの大きな食卓でお茶を進めてくれたけれど、怖いと思い始めたらそれはどうにもならなくて帰りたくてたまらなくて。
偶々かかったご主人からの電話を潮時に、そそくくさと席を立った。
次の週末、帰ったご主人と海外旅行にいくらしくて、
大きなトランクけだがその淋しい片隅に目立つものだったわ
逃げるように外に出て、一つ通りを渡り切ったところで、振り返ったら
やっぱりそこはありふれたマンションの建物だったから、やっぱりあの部屋はどうしたっておかしい。
この目が狂っていたので、なければあんな広さはありえないし
それにね、
また一言言葉を切るとなかなか続きは聞こえてこない。
それにね
窓の外が…
窓の外が、海みたいに波が打ちよせてたの
そこは海辺の町でもなかったのに。
それから彼女はまた長いこと黙り込んでしまったので、もう話は終わったのか、と思ったけれど。
席を立つ様子はなかったので、じっとその白い顔をみつめていた。
少しやつれただろうかと考えながら。
まるで時間が止まったように物音ひとつないままだ。
…暗い部屋も、波の打ち寄せる窓も怖かったけれど
でも一番怖かったのは、彼女の古い、抽斗のたくさんついた物入れみたいな戸棚だったわ
そこだけぎっしりと煌びやかな色の洪水
ランチョンマットかなにかだと思うけれど、布が目いっぱいつめこまれていてね
極彩色を閉じ込めたみたいだった。
ぽつぽつとそう語り終え、彼女は夢から覚めたみたいに
ようやくいつもみたいに笑う。
ごめんなさい、もう夕食の支度をしなくっちゃ
それから時間は動き始め、日常が戻った。
BY Blue