「あんたが残っているんで正直びっくりしてるよ。」
宿の小僧にそう言われて、男は少し困り顔だ。
「ハロウィーンの夜が過ぎたから、もうここには戻らないと思ってたんだ。なのに今晩の宿代をもらってしまっていたからさ、ちょっと悪かったかなって思ってた。」
黄金の蜂蜜酒をちびちびやりながら、男はシーツをとりかえている小僧をながめる。
「君までおれを超常現象だと思っていたとは知りませんでしたよ。」
男はドールハウスで使うぐらいの小さな瓶をとりだして、大きな手で器用に蓋をあけ 匂いをかいでうっとりとしながら答えた。
「でも、行ったんでしょ?うわさの場所へ?」
「行きましたよ 招待していただいたのでね、パーティーだということでしたし。」
「・・・で、どうだった?」
興味津々まるだしのどんぐり眼を見開いて、小僧の手が止まっている。
「なかなか、すごかったですよ。まさにこの世のものならざる集まりといいますか。
信じてはいなかったんですが、幽霊とか、ゾンビとか、想像の世界の怪物の実在とか。
でも、いましたね。魔女なんかも、普通にいるようで。」
そしてふ、と、遠い目をして言った。
「彼らはどういう心境で、ああして現れるんでしょうかねぇ。
ここに生まれて消えたことへの愛惜なのかな。」
男はまたちびりと酒をやる。
「たかだか数千年の歴史の中でねぇ・・・」
この客は、ときどきそんなふうにおかしなフレーズを会話に入れてくるから疑ったのだ、ヤバイのが来たって。小僧は心の中でつぶやいた。
「よく何事も無く帰って来れたね。人間がその宴に交ざったらひどいめにあわされるんだと思っていたよ。」
「そんなことはありませんでしたよ。幹事の方の後押しもありましたしね。」
男はそこで眉をひそめ
「ただ、みんな深夜0時の時の鐘とともに次々に消えてしまったりしてね。
お開きなんだと思って撤退してきたんですよ。」 小僧はうそ寒くなりながら聞いていた。
消えて行く闇の者たちが、男をみながら叫んでいたのを思い出す。
なぜ消えないのか、薄れていかないのか、おまえは何者なのかと。
男は懐から石笛をとりだして、おもむろに吹きはじめた。
知っている曲なのか知らない曲なのかわからない。
小僧は聞き入る。ふしぎな音色だ。
石器時代とか、そういった荒削りな形の石の笛からこんな音が出るなんて。
「楽しむ余裕のある死人たち、おかしなことだ。」
何を考えているのか。
「真の恐怖に御用心を。」
男はぽつりとそう言った。
ぞくりとした。小僧はそそくさとベットを整え おやすみなさいのあいさつをして部屋を出ようとしたのに、
後ろから呼び止められてしまった。
「早朝に、出発します。勝手に行きますから見送りは結構ですよ。」
「あ・・・、はいわかりました。 よい旅路を。」
うっすらと夜が明けてきても小僧は眠れずに、自分のふとんにまるまって聞き耳をたてていた。
あの旅人はまだ出て行った様子は無い。二階の階段は人が通ると軋んでそれとわかるから、間違いない。
自分がなぜ緊張しているのかわからない。でも。
冷たい霧の中に、あの石笛の音色がかすかに聞こえた。
そして男の声が何かを唱え。
「いあ、いあ、はすたぁ、はすたぁ、くふあやく、ぶるぐとむ、ぶぐとらぐるん、ぶるぐとむ、あい、あい、はすたぁ」
一瞬だけ、宿を揺るがす強風が吹いたが、それきり音がしなくなった。
朝になって、旅人の部屋へ行ってみた小僧がみつけたものは、
蜂蜜の香りのする小さな小さな瓶だけだった。
By.Purple