N.N 京都府 京都ノートルダム女学院高等学校
受験科:通信クラス(全講習会が含まれています)
多摩美術大学 グラフィックデザイン学科 現役合格
多摩美術大学 情報デザイン学科 情報デザインコース 現役合格
多摩美術大学 統合デザイン学科 現役合格
「デザイナーになりたい」
デザイン関係の仕事に就く両親の影響もあって、
小さい頃からデザインの道に憧れを持っていました。
高校に入ってから、本格的に美大受験を視野に入れ、
地元の画塾でデッサンを始めることにしました。
ところが、デッサンはちっとも楽しいと感じることが出来ず、
週1の授業でさえその3時間が退屈で憂鬱で、
サボって遊ぶことも多かったです。
しかし、その一方でデザインへの想いは少しずつ具体的になり始め、
地元の京都にも美大芸大はたくさんあるけれど、
デザインをやるならやはり
てっぺんの東京で学びたい!という気持ちが大きくなってきました。
その頃、地元の画塾の先生から、
東京の美大は課題の傾向もまったく違うので、
ぜひ長期の休みには東京で講習を受けて来てほしいと促され、
高2の夏、初めて東京の予備校へ行ってみることにしました。
そこは大人数の大手予備校で、浪人生ばかりのコースに突然入れられ、
烏口てなに?溝引き?水張りてどうやんの?と初めての事だらけで
ずっと周りを見渡してばかりだったことを覚えています。
良い物を盗んで上手くなれという教育方針なのか
講評は上位作品の良い所を褒め倒すばかりで、
そこに届かない自分はこれから何を成すべきか
まったく見当もつけられず途方に暮れるばかりでした。
春。
夏の失敗を教訓にもう一度東京での予備校探しを試みてくれていた母が、
高3になる春休み
「なんかようわからんけど
むっちゃ凄そうやし
ここの春期講習受けてみよ!」
と提案してくれたのが、渋谷美術学院でした。
初めてそこを訪れた日、
地元の画塾よりも夏に行った大手予備校よりも小さな部屋でとても驚きました。
その小さな白い部屋で初日にデッサンの授業を受け、
初めての手のデッサンにしてはわりと描けてる方ではないか!
と自惚れながら講評棚に作品を置きました。
いきなり並び替えが始まって、
私の作品はまたたく間に下段に持っていかれ、
20/150点という素晴らしい点数まで頂き、
私の自信は即刻、初日にして粉々に砕かれてしまいました。
この学院では、順位の並べ替えだけでなく
実際に入試でつくであろう点数まで付けられます。
シビアではありますが、その時点に於ける自分の実力がはっきり判り、
以後張り合いにもなりました。
衝撃的な渋美スタートではありましたが、
講評は、良い所も悪い所も一人一人時間をかけて
丁寧にコメントをもらえたので、
少人数なところが自分に合っていると感じ、
ここでなんとか頑張ってみようとギアを切り替えました。
渋美では自分の作品だけでなく、
他人の作品の長所短所からも学べることが沢山ありました。
デザイン系の本が豊富な図書室もあり、休み時間や放課後にも
この資料のページを繰り頭の中のファイル作りを心がけました。
春期講習ではアトリエでの制作だけでなく、
学院生全員で銀座のギャラリーを回ったあとに
そこで見てきた作品や街にインスピレーションを得て、
自分の好きなデザインをする、という楽しい遠足もあります。
ギャラリーでは山本先生や他の先生、そしてギャラリストの方が
作品や展示の内容、デザイナーさんが普段はどんな人なのか?
などを説明をしてくれます。
沢山のグラフィックを見て刺激を受け、デザインの難しさ楽しさを知り、
移動の時間で学院の人達とも仲良くなれて、とても充実した一日でした。
あっという間に春期講習最終日はやってきました。
そこで、ついに講評で自分の作品が上段に初めて乗り思わず頬が緩みました。
でも上段に乗っただけだったので、
つぎの夏期講習の時には1位を取ろうと心に決めて、
渋谷美術学院の通信教育を申し込み、地元の京都に帰りました。
通信では毎回もの凄い量の課題が出ます。
学校の勉強に加えて地元の予備校と塾との両立で
何度もめげそうになりましたが、
ブログで更新されるライバル達の頑張っている姿を見て、
負けていられないと励むことが出来ました。
訪れた夏。
渋美での夏期講習は9~16時だった春期から
更に授業時間が3時間増えて20時までの
1日9時間の集中授業になります。
お尻が椅子の形になってしまうかと思うくらいの日々がスタートしました。
最初は9時間だけでも長いと思っていたのですが、
最後の方は放課後を含めると毎日12時間位予備校にこもっていたと思います。
休みも少なく睡眠不足のハードな毎日でしたが、
講師の先生方や浪人生の方との為になる話や
受験エピソードを色々聞く事が出来て参考になり、
徐々に影響も受けていったのかもしれません。
もっとやらなあかん。という気持ちが芽生えてきました。
そして「多摩美に進みたいかも」という漠然とした憧れだったものが
次第に「多摩美のグラフで学びたい」という確実な目標へと変わって行きました。
しかしそれと同時に、肝心の実技はそんなにすぐには向上せず焦りもありました。
特に、デッサンはいつも同じ点を指摘され続けていたように思います。
強い黒が乗せられず、バルルの幅が広げられないのがずっと悩みでした。
同様にデザインも中々点数が安定しなかったのですが、
ついに念願の1位を取れたときは本当に嬉しくて、
ようやくここまで来た・・・。
なんとかなるかもしれない、という希望らしきものを実感することが出来ました。
そして、またあっという間に講習会は終わってしまいました。
秋。
渋美の通信を課題を通して、苦手克服と自分の手法の確立を模索。
この頃、学校、勉強の塾、地元の画塾、渋美の通信・・・
まったく手一杯な毎日でしたが、気持ちの方は意外にブレなくなっていました。
もう、やる事も目的もはっきりしていました。
そして、迎えた冬。
冬期講習はさすがに入試目前のピリピリした重い空気を想像していたけれど、
緊張の中にもたまの雑談で笑ったり、面白い講評でまた笑ったりと、
固くなりすぎず一つ一つの課題に全力投球できていたような気がします。
しかしながら意気込みは良かったものの、
冬期講習ではデッサンもデザインも点数はずっと不安定なままで、
なかなか不安な状態から逃れることが出来ませんでした。
全国から約1000人の人が受験し10分の1の人しか受からへんなら
学科も実技もどれも完璧じゃないとあかんのに
「どれも不安や、どうしよう」と頭の中で無限大の不安がループし続けていました。
大晦日にはとうとう高熱まで出てうなされ、
病み上がりモードで直前講習を迎えることになりました。
直前講習
心機一転、弱点克服のために毎日浪人生の方のとなりの席を取り、
この人よりも強い黒を乗せれるようにしようと日々心がけるようにしました。
やっと気持ちだけでなく行動で「攻める」ことができるようになったのだと思います。
しかしながら、今日こそは彩度のある色が乗せられたと思って、
いざ講評棚に並べて見ると周りの描き込みや彩度、
発色の良い黒には負けてしまっていて、
自分の中で最大の筆圧を乗せているはずなのに・・・・、と悔しかったです。
けれどある日から、
先生に「色は弱いけど雰囲気は良い。」と言ってもらえるようになりました。
「全員が同じデッサンをする必要はない。」
「弱い」は良くないけど「繊細」な作品を目指せばいい」とアドヴァイスを頂き、
強い色が乗せられないなら私はその弱点を武器にして、
優しい雰囲気のデッサンを目指したら良いのかと気付けました。
その日あたりからずっと苦手意識のあったデッサンが、
楽しいと思えるようになっていました。
夏はデザインはいいけどデッサンが、、と言われていたのに
今度はデッサンは伸びたけど、デザインが絶不調。
突破口が見つからず、もがく日々が続きました。
私は平面的なベタ面で構成されている画面が好きで
そればかりをやっていたのですが、
余程計算された色面分割や色の響きあいやインパクトがないと
周りの人達の立体的で迫力のあるおもしろい画面に負けてしまう。
それでも自分の好みでないことを無理やるのは嫌だったし、
先生たちも好きな方向で私が伸びることが出来るように指導してくれました。
その頃から平面的なベタ面だけでも動きが感じられるデザインを目指すようにしました。
心の整理がついて、覚悟を持って臨めるようになれたのが良かったのか、
年明けからのスランプ状態をようやく脱することができました。
入試直前ではデザインもデッサンも、たまに1位を取れるようになって、
ようやく自信も少しつき、心の迷いを払って入試に挑む事が出来ました。
入試が始まる前日に「送り出し」というものがあり、
先生方から心のこもったお手紙をぎょうさんいただきました。
自分を信じて好きにやってこい!!!というメッセージにとても励まされ、
その手紙を試験前に見ることでリラックスし、本番に挑むことができました。
多摩美術大学グラフィックデザイン学科の試験課題を見て
初めは困惑したのですが、渋美でよく言われていた
「入試問題だと思わず、デザイナーである自分に仕事の依頼があったと思って
クライアントが喜ぶものをつくれ!」という言葉を思い出して、
入試だからこれはダメかもしれない、入試でこんなことやったら・・・
ということは考えず
自分の好きなデザイン、やりたいこと、つたえたいことを出し切りました。
とは言え、やり切ったものの自信があるわけでもなく、
合格発表までの時間は気をまぎわらせることに必死でした。
発表当日、合格掲示板に自分の番号を見つけた時は
本当に嬉しくて母と抱き合って号泣しました。(笑)
何度見ても、実感がなく、
何度も何度も何度も何度も何度も何度も番号を見直しました。
念ずれば通ず。
本当に諦めなくてよかったと思った瞬間でした。
渋美が教えてくれるのは、
大学合格へのプロセスというより、デザイナーになるプロセスです。
予備校の型にはめるのではなく、
一人一人の個性を伸ばす方法を一緒に考えてくれました。
いつも遅い時間まで親身になって相談に乗ってもらったり、
片付けの時などに皆で話す他愛無い話が楽しくて、
ハードなスケジュールも乗り越えることが出来たのだと思います。
大人数の予備校や地元では出来なかった
同じ夢を持った気の合う友達が出来たのも、
少人数制の渋美だからこそだと思います。
個人個人の距離が近いので、学院生同士で
ここもうちょっとこうした方が良いんちゃうかな?とか
素直な意見を言い合い切磋琢磨できるのも、
渋美の魅力の一つだなと思います。
いつも励まし応援し続けてくれた母、
常に的確なアドバイスで導いてくれた父、
応援し続けくれた地元の友達、学校や塾の先生、
沢山の人の支えがあったからここまで来られたと思っています。
そして、
デザインについての大事なこと、いっぱい教えて下さった
渋谷美術学院の先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。
渋美を選んで本当に良かったです。
これがゴールではなく、これから渋美で学んだことを踏まえて
これから大学や社会で沢山学んでいきたいと思います。
本当に本当に本当にありがとうございました。
いつか山本先生を超えるようなグラフィックデザイナーになれるよう頑張ります!!!
〆
