つい忘れがちな事実

今冬に入学試験を迎える6年生の子どもを持つ親御さんの中には毎日が悩みの種状態の方もいらっしゃると思います。日々の支援、伴走本当にお疲れ様です。数十年前に受験生としての経験より、昨年親として経験した方がなかなか大変でした。特に何をした訳では無いにも関わらずです。

ふと忘れがちですが、子ども達は塾に居る時はかなりの集中力をもってあり得ないくらいのタスクを次々とこなしています。私もそうでしたが、小学6年生の後半のカリキュラムは質、量ともに充実というか詰め込まれていて小学5年生とは比べものになりませんでした。

そこから数十年経った今の受験生世代の負担は想像するだに恐ろしいです。

親は子どもが塾でこなしている内容の大変さを真の意味で理解できていないかも知れません。もちろん理解する必要は無いのですが、配慮は必要なのかと思います。


努力信者

子どもを中学受験に臨ませる親御さんは、まず資金面や勉強に集中できる環境を提供できる方々でしょう。多くの人が子どもの将来を真剣に考えられてきた方、また自らも才能や努力で物事を切り拓いてきたか一定の結果を残してきた方だと思われます。振り返ると私の両親もこのようなタイプに当てはまります。

親自身の成功体験や後悔などの背景もあり、成し遂げた「努力」や、できなかった「努力」というものの重要性にことさら重きを置く価値観を持たれている場合が多いと感じます。あらゆる目標に対して不足している事を「努力」や「鍛錬」の不足という風に間違った変換をしがちな方もいます。

これって結構微妙なことだと思っていて、努力はもちろん大切ですが努力できる事も才能ですので、なぜ努力が重ねられないのか、と責め立てたところで解は無い場合もあります。以前申しましたがそもそもの目標設定が適切かと言う問題もあります。


親世代との比較

翻って私自身はそこまでコツコツ努力を積み重ねるタイプではなかったので、中学受験の勉強自体はかなり波があったと思います。塾から帰ってきた後の復習などの自宅学習が大嫌いでした。もう塾で散々勉強してきたのにと。

当時と比べるまでは無いですが、我が子も含めて今の中学受験生は更にカリキュラムも洗練されていてやる事も明確で高水準です。たまたま昨年息子に聞いたのですが、過去問を塾で解く際の制限時間などは特に厳し目に設定されていたようです。肌感覚では必要とされる解答の速度などは数十年前当時の約1.5倍の感覚です。その上で様々な情報にも晒されストレスの度合いも相当なものです。

程度の違いはあれこういう努力を中学受験に臨む多くの受験生がこなしているという事実を再認識したいですね。



土砂降りの夜も乾いた昼も

変わらずに歩けるようになりたい

意味も知らない言葉話して

くだらない嘘を並べただけ

僕のことはどうか見ないで

何をしても小さい奴さ

【tired】tiny yawn



もちろん親子の関係なので理想論どおりにはいかないのは百も承知です。