中学受験が大変であること

ハロウィンで街がざわめいている今日も受験生には関係のない話でしょうか。日に日に日が暮れるのも早くなり心なしか焦りを増幅させる気がしていました。
さて、以前お伝えしたように遅くとも新小4(小学校3年生の2月)から通塾し始めるというのが昨今の中学受験界の事実上の基準みたいなものです。
走り始めたらゴールまで走り続けないといけない中学受験において私が難しいな、大変だなと思うことは主に以下のとおりです。

  • 目標(志望校)が高くなりがちなこと
  • 親が支援することの割合が高くなりがちなこと
  • 一生継続する事ではなく、終わりがやってくること

目標の上方修正

他の習い事であれば、始めた時点ではまずそのスポーツや競技、楽器などに慣れることや楽しむことが優先されると思います。通塾開始時点では場合によっては中学受験も同じようなスタンスであったりしますが、その後の毎月のテストの結果で個々の能力が炙り出される事でなぜか一気に競争めいてきます。
元々、勉強が楽しかった子どもでも競争にさらされることでプレッシャーを感じ、しかもテストは色々な形態で様々なタイミングでやってきますので、頑張れる(頑張らなければいけない)機会が次々と現れます。
これらを背景として、親も巻き込みながら更なる高得点、上位の順位を目指さなければならない空気感が醸成されます。
例えばサッカーが好きで始めたとして、ルールを覚えボールに親しんだかくらいの数カ月後にはなんだか全国大会への出場が目標になる。始めてから1年後には更に2年後の全国大会で上位進出を目指すことに目標が上方修正されてしまう、といった風でしょうか。大人である親が少なくない支援を行うのも特徴です。
普通に考えると目標設定からして異常というか、かなりの熱狂ぶりのような気さえします。サッカーではセンス、才能とされ「他者との違い」が許容される部分でも、受験勉強では努力、意思(やる気)と読み換えられて、みんながみんな険しい旅路を往くことになります。

大会に参加するだけでも凄いのに

どんなに時間を費やし、色々な知識、解法を会得してもそれらを使う入試本番はわずか数回、時間にして数週間程度。加えて中学進学以降は直接的には使わない能力をその数週間程度の為に要求されるのが中学受験です。
そういった刹那的とも言える中学受験だからこそ、かかる工数、費用に「見合ったものにしたい」とする大人の意向が、より苦しみを与えるかたちになってしまいます。
本来は大きな大会に参加するだけでも十分凄いのに、必ず結果が問われるのが、そしてその結果が最大限に重要視されるのが中学受験の厳しいところなのかと思います。


何もない僕たちに なぜ夢を見させたか
終わりある人生に なぜ希望を持たせたか
なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか
それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい
それとも、きれいかい 答えてよ
【愛にできることはまだあるかい】RADWINPS


乗り込んだが最後、途中下車できなかった中学受験という列車でも終着駅(志望校合格)には到着します。どの終着駅に到着しても、そこで旅が終わるわけではないのだと思います。
そこからは徒歩かもしれないし、自動車かもしれませんが旅は続くというか、手段を変えてまた新たな旅が始まるというのが本当のところだと思っています。