中学受験生である6年生は長くて短い夏休みを終え、息つく暇も無く9月からの怒涛のスケジュールに巻き込まれているはずです。時代が違うと言えばそれまでですが30数年前の自分が中学受験した際には夏合宿、夏期講習のまとめテストを終え、確かにスケジュールはタイトになってはいましたがここまである種切迫していたかな?とふと思いました。
もしかしたらこれは時代のせいもありますが、そもそも受験生であった自分(=小学生、子ども)とそれを見守る親(=40代半ば、大人)の違いも大きいのでしょうね。
ジャネーの法則はあくまでも主観に基づいた心理学の視点からの法則ですが、それによると12歳と40代半ばではおよそ時の流れが4倍程異なるようです、子どもの方が日々の生活で与えられる刺激も多く時の流れがゆっくりしているようです。つまり大人の1時間が子どもにとっては4時間に感じられるという事です。逆にすると、子どもにとっての1週間は大人の感覚では4週間、約1ヶ月。子どもにとっての3ヶ月は大人にとっての1年と考えればイメージがつきやすいのでしょうか。
大人の感覚だと入試本番まで残り4ヶ月強の差し迫って感じる今日この頃だとしても、子どもにとってははるか先の未来の感覚である可能性もあります。もちろん子どもの性格や成長度合いによって相当違うのでしょうけど。
この辺りに秋以降の親子喧嘩の大元が隠れているのかも知れません。体力も人生での経験も、そして時間軸が全く異なる子どもを中学入試本番に向かわせる伴走が難しいのは当然ですね。
じゃあ、いつ本気出すのか、ラストスパートするのか?が問題ですが、個人的な見解では入試本番で「これまでやってきた事を自信を持って適度な緊張感でやり切ること」ができたらそれを以て「本気出した」で良いと思います。
別記事でも書きましたが、受験終了後に塾生で集まった際のアンケート、「いつから本気出した」では年明けというのが最多の回答でした。
子ども自身に「入試に合格する」と言った経験が無い中でその成果をイメージしてラストスパートを求めるのは結構酷な話です。
私が言うラストスパートは親側がTO DOを整理して思い切った取捨選択を行う事を意味しています。
子どもの受験が終わり安全な場所からの理想論と言われても仕方ないのですが、やはり振り返ってみて色々学ぶ事もあったとの思いとあまり肩に力が入り過ぎても逆にうまくいかなかった事が多かった事への反省からです。
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ことごとく今回も言葉だけじゃ足りない
ありもしない風景を思い描いては迷うということ
悩むということ
生きるということに対して問うということ
【生きる -Reflection Eternal LHW? Remix】不可思議/wonderboy
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−元ネタはご存知谷川俊太郎の「生きる」で、今中学受験をしようとする小学6年生が生まれる前の曲です。生きる事に悩んだり頑張る事に疲れた時に、聞き流すようにポエトリーリーディングの世界を覗いてみるのもいかがですか