中学受験の親の伴走、受験界隈では子どもの成績と並んで悩みの二大巨頭のような気がします。古い話で恐縮ですが、私も含めた今受験に向かう子どもの親世代の中学受験の時はここまで親の関与が取り沙汰されることも無かったように記憶しています。
私の1990年代の中学受験をした際には、両親の意向なのか例え小学生であっても自分の受験なので少なくとも勉強面に関しては自分が主体的に取り組む、分からないところは塾と相談して取り組むべし、と言った感じでした。事実、受験に向けて親から何をしなさいとか、こうすべきだ、とかは一切言われませんでした。
一度だけ母親に「算数の問題見せて」と言われたので見せましたが「難しいね、きちんと塾で勉強しようね」と言われてそれっきりでした。国公立大学の理系学部卒の母でも中学入試の問題は取っ付きにくく、仕事で忙しかった事もありそのような合理的な判断をしたのでしょう。以降終始そのようなスタンスでした。
但し、その代わりどんなに遠方の出張から飛行機などで帰宅しても、日々の家事のルーティンをこなし、翌朝7時には必ず朝食が出て家族全員で食べる事は徹底されていました。仕事、家事、子育てもこなすには一定の合理化と段取りが必要な事を多分父親含めた家族が理解していました。
その延長での私の中学受験でしたので私は私で自分なりに塾のカリキュラムに沿った形で自宅学習のルーティンを設定していました。6年生後期は目覚まし時計をセットし前日の復習を朝に、学校帰ってきてからは朝終わらなかった分をこなし、早めの夕食を食べて食器を洗って塾に向かっていました。その進め方で両親に何か言われた事はありません。
私の大学と職場の後輩で日能研に通っていた人が見せてくれた、約20年前の6年生後期の彼自作のスケジュール管理表を見る機会がありましたが、彼の場合は更に凄くて「これ誰が作ったの?」と聞いたくらいそこには自律的な学習法が確立されていました。まだこなすべき試験勉強が今ほど大量ではなく、小学生が自主的に組み立てる事ができる良き時代だったのかも知れません。
ただ、今の中学受験の問題の質や難易度は高く、その為の準備に費やす時間や教材の量、幅が大きく増えているのは事実です。なかなか小学生の独力でコントロールするのにはハードルが高いと思います。これらの教材の整理や複雑な日程管理の一部は親の伴走の範囲だとは思いますし、1990年代と比較して必要性が確実に増した部分です。
この部分のサポート(とは言ってもこれが大変で、子どもがやれていない、やっていない場合はつい口を挟みたくなります)の範囲に留めるのが距離感としてはお互いに良いのかなとも思ったりします。
時には一見成績不振を気にしておらず呑気に映る我が子ですが、そういったデリケートな部分を一番意識しているのは本人だと言うことは再認識したいですね。