私の得意は、誰かの不得意。
私の不得意は、誰かの得意。
だから、補い合って、助け合って生きていけたら、世界はまぁるくしあわせになる。

そう思っていたけど、私は、心のどこかで
『私の得意で、誰かを助けたい』
そう、思ってた。

自分が、何かしたい。貢献したい。助けたい。
そっちばかりで、助けてもらうことに、目を向けてなかった。

それってね、つまり、私は傲慢だった。ってことに気づいたんだよ。

出来ないことを助けてもらうのは、相手の才能を引き出すことになるから、存在価値があるし、今のままでパーフェクトなんだよ。って、思ってたし、そう言ってきたけど、私は出来る自分でいたかった。
その方が価値があって、スゴいと思ってた。
だから、出来ない自分はダメで、出来る人になりたかった。

私が出来ないことを、周りでジャンジャン片付けてくれる人がいて、その人たちが自分の才能に気づいて、キラキラ輝いていく。
それが、私の才能かも⁉︎

私には、人を育てる才能があるらしいんだけど、何も私が教える必要はなくて、私といると、相手が勝手に才能を見出していく。
そんな方法もあるのかもね♬

出来ることも出来ないことも、どっちも才能‼️