皆さんこんにちは!

この人を覚えている方、いるでしょうか?

80年代初頭オートバイレースを題材とした角川映画が大ヒット!

そして世の中は空前のバイクブームへと突入!

それから暫く後、僕は2年間の50cc生活を経て
中型にステップアップすると生意気にも
RZ350を購入し更にバイク漬けの日々。

バイク雑誌も数々あったけど貧乏高校生に何誌も買えるはずもなく
「月刊オートバイ」派でした。



もー!
月末近くなると発売日が待ち遠しくて待ち遠しくて指折り数える日々!

勉強なんて手に付かなかった!
(もともと勉強なんかしなかったけど)

そして、その日になると心躍らせ学校帰りに書店へ直行!

この月刊オートバイ誌、当時は広告が多く恐ろしいほどのページ数、
まるで昔の電話帳のようなぶ厚さだったけど
毎号、隅から隅まで穴が開くほど見ました。

その誌面にライダーの1人として登場していたのが 
草間郁夫(選手)さん。

※画像はネットから拝借

 






全日本ロードレース選手権にはRGB500を駆りエントリー。




イエロートップのヘルメット。
誌面や文章から伝わってくるひょうきんで
ユーモアある性格、カッコよさに憧れの人でした。

※画像は拝借


1983年の鈴鹿8耐では非力なドカティ650を駆り出場!

「男には負けるとわかっていても戦わなきゃならねぇ時があんだ!」と、
茨城訛りでカッコよく語ったんだとか(笑)

また、草間さんご本人もプライベートではRZに乗っていることを知り
益々ファンに、、、。

毎月オートバイ誌を見るのがこの上ない楽しみのひとつでした。

(※画像は8耐のものではありません)

※画像は拝借


しかし、それは突然でした。
ある号に草間郁夫さん追悼の記事が、、、。

雨の一般道をRZで走っていたある日、
赤信号を無視して飛び出してきた歩行者を避けようとタクシーに衝突!
帰らぬ人へ、、、。
という内容に絶句しました!

※画像は拝借

※画像中央が草間さん、左はオートバイ誌のオータさん、
 風間さんの姿もあります。


ショックで涙したのは他でもありませんが、
その後、自分のヘルメットを草間カラーに塗る事を決意!

僭越ながら自分が草間さんの代りにイエロートップのヘルメットでRZに乗っていこう!と思ったのです。

早速、マスキングテープと新聞紙、缶スプレーで見様見真似で草間さんカラーを再現!

完成したヘルメットとRZで1ヶ月に渡る北海道ツーリング。



現在も勤務する会社への面接。
上京(引っ越し)もこのヘルメットを被ってRZでやって来ました!

詳細は割愛しますが、
当時このヘルメットを被って面接に来たことがきっかけとなり
今この地で生活しています。

なので現在の生活基盤を築くきっかけになったのが草間郁夫さんなのです。



社会人になり、今度は草間さんフルコピーのスーツをオーダー!



レプリカヘルメットも自己塗装で複数作りました。




バイクはRZからTZ-R、GSX-Rへと変わりましたが
このカラーに合わせてマシンの色を選んだため
スーツとイエロートップのヘルメットは継続。

※87年夏、夜を徹しての帰省途中、SAで休憩中の一コマ



89年夏、帰省先で




その後、GSX-Rの単独事故、廃車となってからはご無沙汰となってしまいましたが

今回 RZの復活を機に久々にイエロートップを制作してみようかな (^^

 

などと密かに考えています



亡くなられて40年が経とうとしてますが僕の人生を大きく左右させた草間郁夫さん!

決して忘れる事はありません。

※画像は拝借


それではまた!