毎朝毎夕、死ぬ事を覚悟していれば、武士道の自在の境地に達する事ができ、一生失敗することなく、家職をまっとうする事ができるであろう。
難しくて私も判りませんが、まだまだその境地に達していませんので。
武士道とは、死ぬ事と見付たり!
一言で言うとそう言う事です。前文は佐賀藩士田代陣基と言う武士が、佐賀藩士山本神右衛門常朝の言葉を筆記した、 葉隠 と言う全十六巻からなる武士道書です。
彼が好きな言葉の一つです。私より古風な考えを持っています。冬でも靴下を履かないとか、食事も出されたものを、文句も言わずに食すとか、彼は何を目指しているのか私は完全に見えていません。ちなみに今は、靴下は履いています。
そのような武士の生き方を尊敬しているのでしょう。私は武士と言えば
武士は食わねど、高楊枝!
これ位の考えですけどね。
でも私は彼の考え方を尊敬しています。この荒んだ日本国でどこまでその考え方で生きていけるか、いや生きていって欲しいです。
発表日の朝、彼はいつもと変わらずに平常心でいました。内心は違うかもしれませんが?やはり動じずに、平常心そのもの見た目は武士です。
当初は、妻と二人で会場に向かう予定だったのでしょう。私が
「一緒に行くわ!」
と言い本人、妻、三男、私の四人で行くことになりました。電車で行くと二人で往復千円を超えます。それなら車で四人で話をしながら行く方が良いと思ったからです。
私の本心は、万が一にも受かっていたらと言う希望もあったのも事実です。妻もあったと思います。
小さな頃、家族全員で夏になると毎週、毎週、よく和歌山方面に遊びに行きました。今でこそ休みが同じになる事が中々ありません。土曜日、日曜日必ずと言って良いほど誰かの予定が入っています。柔道、講習、仕事、ですから四人でも揃って車に乗る事などめったに無い事なのです。私がハンドルを握り、横に彼、後ろに三男、嫁が乗り込み出発です。
「ドキドキしてきたかぁ?」
との問いに
「全然!近づくとすると思う!」
と彼は答えます。それに後ろから
「緊張しても仕方ないよ!」
嫁の声が無情にも聞こえてきます。
一番緊張しているのは、そう私だったのかもしれません。一抹の不安を胸に抱えつつ車は、西進して鶴橋を過ぎて、下味原の交差点を左折です。そこからは、十分もかかりません。私は、以上に喉が渇いてきましたが、こんな時にコンビニがありません。仕方なく車は、寺田町駅前に着きました。そうその前の公園を超えると、彼の挑んだ校舎があります。現在の時刻九時五十分、そう去年も妻は長兄と来ているのです。ですから十時丁度でなければ、入れない事も知っています。車の中で皆で、待つことにしました。頭の中で時計の音が、
カッチィ!カッチィ!
と聞こえているように、感じて仕方がありません。会話もあまりありません。緊張の中時刻が十時になりました。何人か中学生らしき人間が歩いて向かっています。今年度受験人数は、十七名です。ですから人で混んでいると言う状況ではありません。ですから余計に、明暗が良く分かるのです。妻と彼が校門に吸い込まれると同時に、一人の学生が小走りに歩いて駅に向かっているのを見て、私は三男に
「あの子、あかんかったみたいやな?」
と言うと三男は
「ほんまやなぁ!」
と言い返しました。受かった子は、記念撮影等をし喜びをその場で披露するからです。そのために私と三男は来ているのですから。
彼と、淀川の堤防で相撲をしたことがある。一年生の頃には、楽勝で勝つ事ができました。しかし二年生の後半ぐらいになるとまけてしまいました。彼も鍛えて強くなっていたのです。
彼は二年生の夏に柔道で初段を取り黒帯になりました。まだまだ勝てると思っていましたが、やはり身のこなしが違います。
百メートル走も一年生の頃は、私に挑んできても余裕で勝ちましたが、二年生の後半ぐらいになると私が挑む方になってしまいました。夢の実現のために、心身の鍛練頑張ってください。