薬理活性とギブズエネルギー (2) ~分子間力~ | 創薬メモ

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創薬化学、有機化学、有機合成について書き進めていきます。

薬物とタンパク質は多くの場合、

非共有結合的な分子間相互作用によって結合する。

 

薬物とタンパク質が接近すると、誘導適合 (Induced fit) が生じる。

これにより、タンパク質と薬物がそれぞれ、錯形成に有利なコンフォメーションに移行する。

 

 

■ ギブズエネルギーと薬理活性

 

「ターゲットタンパク質に対する化合物の薬理活性を向上する」

これは、錯合体のギブズエネルギーを安定化することに他ならない。

 

実際のところ、適切に薬物をデザインすると、

ギブズエネルギーの安定性が改善され、

タンパク質と薬物の錯形成が促進される。

 

ギブズエネルギーは、以下の式で表現される。

 

 

ギブズエネルギーは、エンタルピー項とエントロピー項の総和で決まる。

 

創薬化学者は、初期の構造活性相関研究を通じて、

薬物-タンパク錯合体のギブズエネルギーに関する理解を深める。

 

ただし、系全体の最安定構造を決めるのは、薬物とタンパク質の相互作用だけではない。

タンパク質や薬物の付近に存在する「水分子の関与」が重要になることもある。

 

■ 活性向上のための2つのアプローチ

 

上記のギブズエネルギーの式より、薬物の薬理活性を向上する上で、

「2つのアプローチ」が存在することが分かる。

 

1. エンタルピー項(ΔH)の安定化を用いたアプローチ

2. エントロピー項(ΔS)の増大を用いたアプローチ

 

創薬化学者は、自身の化合物とターゲットタンパク質の親和性を高めるために、

「タンパク質と化合物の間に働く分子間力」を巧みにデザインする。

これにより、薬理活性と選択性の向上を計画する。

 

ドラッグデザインに用いる大半の分子間力。

これは、エンタルピー項の安定化を狙ったものである。

 

たしかに、エントロピー項に寄与する安定化要因もある。

例えば、水分子の再配向によって生じる疎水性相互作用などである。

しかしながら、ドラックデザインで基本となるのは、

やはり、エンタルピー項に着目したアプローチではないかと思う。

 

※ エンタルピー項を主体としたドラッグデザインが重要である背景

 

Drug Discov. Today 2008, 13, 869.

J. Med. Chem. 2010, 53, 5061.

Expert Opin. Drug Discov. 2017, 12, 363.

Drug Discov. Today 201823, 605.

 

本エントリーでは、エンタルピー項に寄与する分子間力の概要について述べる。

 

■ 分子間力の分類

 

分子間力を考える上で、2つの異なる分類法がある。

 

A: 物理化学的な要因に基づく分類

B: 構造的特徴に基づく分類

 

Aの分類を用いると、分子間力は以下のように整理される。

 

1. 静電力

2. 誘起力

3. 分散力

4. 交換反発力

5. 電荷移動力

 

上記は、物理化学的な要因、物理化学的な考察に基づく分類である。

 

一方、Bの分類を用いると、以下に示すように、

様々な名称の分子間力が定義されることになる。

 

・水素結合

・π/π相互作用

・CH/π相互作用

・OH/π相互作用

・NH/π相互作用

・カチオン/π相互作用

・アニオン/π相互作用

・ハロゲン結合

 

etc...

 

分類Bは、構造的な特徴に基づいて、分子間力を定義したものである。

しかし、その引力の主体は静電力や分散力であり、固有の引力があるわけではない

 

要するに、分類Bの各分子間力は、

分類Aの各引力が複合的、協同的に働くことで、

結果的に生じる相互作用として考えることができる。

 

【例1】

 

水二量体における水素結合について考える。

これは、ab initio分子軌道計算によって、以下のように計算されている。

 

Chem. Phys. Lett. 1993, 211, 101.

 

静電力: -25.8 kJ/mol

交換反発力: +21.3 kJ/mol

電荷移動力: -3.7 kJ/mol

誘起力: -4.5 kJ/mol

分散力: -9.2 kJ/mol

 

⇒ 水素結合: -21.9 kJ/mol (total)

 

分類Bに基づくと、水素結合というのは「単一の分子間力」である。

しかし、分類Aの視点から水素結合を再解釈すると、意味合いが全く変わってくる。

ここでの水素結合の正体とは、4つの引力と1つの斥力の重ね合わせである。

 

次に、引力として寄与する4つの相互作用(反発力以外)の比を求めてみる。

 

静電力 : 電荷移動力 : 誘起力 : 分散力 

 

= 25.8 : 3.7 : 4.5 : 9.2 

≒ 59.7% : 8.6% : 10.4% : 21.3%

 

水分子の二量体における水素結合の引力においては、

静電力の寄与が約6割、電荷移動と誘起力の寄与がそれぞれ1割くらい、

分散力の寄与が2割くらいということが分かる。

 

水素結合の主体は静電力であるが、電荷移動力、誘起力、分散力の寄与もある。

そして、交換反発力のような「斥力」の寄与も含まれるわけである。

 

【例2】

 

以下は、ベンゼンとアセチレンのCH/π相互作用に関する報告例である。

計算は、CCSD(T) 法により行っている。

 

Phys. Chem. Chem. Phys. 2008, 10, 2584.

 

結果は、以下の通りである。

 

Ees: -7.11 kJ/mol (静電力)

Eshort: +6.69 kJ/mol (軌道間相互作用: 交換反発、電荷移動、誘起力の寄与)

Ecorr: -11.1 kJ/mol (電子相関: 主に分散力)

 

Eint: -11.5 kJ/mol (合計)

 

詳細は割愛するが、CH/π相互作用は、

分散力が重要な寄与を持つ分子間力であることが読み取れる。

 

教科書や論文によっては、分類Aと分類Bを混同して用いているケースがある。

厳密に言えば、これはおかしい。

 

分類Bの表現はあくまで「結果」であって、「原因」ではない。

エネルギー安定化の理由や原因を説明する場合、

分類Aで示した5つの分子間力に基づいた説明を加えるべきである。

同じように見える分子間力でも、内訳(内部構成)が異なる可能性があるからである。

 

もっとも、分類Bは直感的に理解しやすい。

なにより、結晶学的な知見ともよく符合する。

そんなわけで、日常的によく使われている。

 

創薬化学や有機化学の研究現場においても、

分類Bの表現の方が好まれる傾向にあるようである。

 

分類Bで定義された各分子間力は、物理化学な側面から再解釈することが出来る。

この点を承知しておくことが、とりあえずは重要であると思われる。

 

本エントリーでは、分類Aで示した5つの分子間力の概要について述べる。

 

■ 分子間力の概要

 

1. 静電力 / Electrostatic force

 

静電力は、分子の静的な電荷分布の間に働くクーロン相互作用である。

分子の重心などに設置した電荷や多極子として近似すると、

多極子展開によって記述できる。

 

以下に代表的な例について示す。

組合わせによって、距離依存性方向依存性が異なるところがポイントである。

 

・イオン結合 / 電荷と電荷の間に働く静電力

 

距離依存性: 1/r

方向依存性: ×

熱力学的寄与: ΔH

 

典型的なイオン結合は、約 -20 kJ/mol 程度である。

距離に対する依存性が小さく、長距離まで相互作用が及ぶのが特徴である。

また、電荷同士の相互作用であるため、方向依存性を持たない。

 

以下は、双極子や四重極子が関与するケースである。

 

・イオン-永久双極子結合 / 電荷と双極子の間に働く静電力

 

距離依存性: 1/r2

方向依存性: ○

熱力学的寄与: ΔH

 

・永久双極子-永久双極子結合 / 双極子と双極子の間に働く静電力

 

距離依存性: 1/r3

方向依存性: ○

熱力学的寄与: ΔH

 

・イオン-永久四重極子結合 / 電荷と四重極子の間に働く静電力

 

距離依存性: 1/r3
方向依存性: ○
熱力学的寄与: ΔH

 

・永久双極子-永久四重極子結合 / 双極子と四重極子の間に働く静電力

 

距離依存性: 1/r4
方向依存性: ○
熱力学的寄与: ΔH

 

・永久四重極子-永久四重極子結合 / 四重極子と四重極子の間に働く静電力

 

距離依存性: 1/r5
方向依存性: ○
熱力学的寄与: ΔH

 

双極子や四重極子が関与するケースでは、静電力にも方向依存性が生じる。

また、組み合わせの種類によって、距離依存性にも違いが生じてくる。

 

例えば、四重極子同士の静電力は、距離の-5乗に依存する。

イオン結合に比べると、長距離でより急速に減衰する。

双極子相互作用は、電荷同士のイオン結合に比べると、短距離的な力であると考えられる。

 

電荷-双極子、双極子-双極子結合は、イオン結合に比較すると弱い。

約 -4 kJ/mol ~ -20 kJ/mol 程度である。

 

静電力はバリエーションが豊かで、距離依存性や方向依存性も多様である。

有機化合物における分子間相互作用のあらゆる場面に関与してくる。

 

2. 誘起力 / Induction force

 

誘起力とは、分子の持つ電荷や双極子が原因で生じる電場により、

もう一方の分子が誘電分極することによって生じる引力である。

 

以下に代表的な例について示す。

 

・イオン-誘起双極子結合 / 電荷と誘起双極子の間に働く誘起力

 

距離依存性: 1/r4
方向依存性: ×
熱力学的寄与: ΔH

 

・永久双極子-誘起双極子結合 / 双極子と誘起双極子の間に働く誘起力

 

距離依存性: 1/r6
方向依存性: ×
熱力学的寄与: ΔH

 

カチオン/π相互作用など、イオンと中性分子の相互作用においては、

誘起力の寄与が大きくなる。

 

誘起力の距離依存性は大きい。

一方、方向依存性は比較的小さい。

 

3. 分散力 / Dispersion force

 

中性分子においても、電子の運動により、瞬間的に電荷が偏ることがある。

この電荷の偏りが原因で生じた電場により、もう一方の分子が誘電分極を起こす

この時、両者の間に働く相互作用を分散力と言う。

 

分散力は、誘起双極子-誘起双極子相互作用とも呼ばれる。

ファンデルワールス力と混同されているのを時々見かけるか、

こっちの言葉は、分子間に働く相互作用全体を指す。

 

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※補足 ファンデルワールス力の定義

 

ファンデルワールス力は、

以下のような特徴を持つ分子間力のことである。

 

1. 双極子と双極子の相互作用
2. 双極子とそれによる誘起双極子との相互作用
3. ロンドン分散力

 

1 は、双極子が関与する静電力のことである。

2 は、誘起力のことである。

3 は、分散力のことである。

 

ただし、ファンデルワールス力の定義では、

電荷が関与する静電力は定義に含まれない

歴史的には重要な言葉であるが、個人的には混乱する場合が多い。

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分散力は距離の影響を大きく受ける。

一方で、方向依存性は小さい。

 

距離依存性: 1/r6
方向依存性: ×
熱力学的寄与: ΔH

 

4. 交換反発力 / Exchange repulsion

 

交換反発力は、短距離で働く強い斥力である。

これは、分子軌道における被占軌道同士の重なりによって生じる。

 

被占軌道同士が相互作用すると、分子軌道は下図のように変化する。

 

 

被占軌道同士の相互作用によるエネルギー変化量は、ΔE* - ΔE で与えられる。

この時、ΔE* は常に ΔE よりも大きくなる。

つまり、被占軌道同士が相互作用すると、必ず斥力が生じるわけである。

これは、軌道相互作用における最も基本的な原理の一つである。

 

我々はよく、「置換基の立体障害」だとか、「分子間の立体反発」という言葉を使う。

この立体障害や立体反発の起源こそが、この交換反発力なのである。

 

距離: 短距離

方向依存性: △ / 異方性を持つことがある
熱力学的寄与: ΔH

 

5. 電荷移動力 / Charge transfer force

 

電荷移動力は、分子軌道の重なりが原因で、分子間に生じる引力のことである。

 

交換反発力は、被占軌道同士の重なりによって生じる斥力であった。

一方、電荷移動力は、被占軌道と空軌道の重なりによって生じる引力である。

したがって、交換反発力同様、基本的には短距離力である。

 

 

電荷移動相互作用においては、被占軌道と空軌道のエネルギー差が小さく、

かつ、分子軌道の重なり積分が大きいほど、エネルギーの安定化は大きくなる

 

電荷移動力によって形成される複合体は、電荷移動錯体と呼ばれる。

被占軌道を提供する分子をドナー、空軌道を提供する分子をアクセプターという。

 

遷移金属における配位結合などの特殊な例においても、

電荷移動力が重要な寄与をすることが知られている。

 

至適な距離: 相互作用する両原子のファンデルワールス半径の和より短い

方向依存性: ○
熱力学的寄与: ΔH

 

■ 最後に

 

本エントリーでは、分子間力の簡単な概要について述べた。

ここで述べたのは、物理化学的な分類の方である。

 

ドラッグデザインにおいて、分子間力の知見を生かすのは、実際のところかなり難しい。

ケースバイケースであるし、ターゲットタンパクの構造が分からない場合も多い。

有機合成化学者にしてみれば、ウダウダ考えず、実験で白黒をつけた方が早い場合も多い。

化合物を合成し、アッセイをすれば、正直者の大自然が答えてくれるのである。

 

しかし、分子間力に関する視点が、アイデアの創出につながることもある。

分子間力の知識は、間違いなく重要なものであり、ドラッグデザインの基礎となる。

分子間力における距離依存性や方向依存性について知るだけでも、かなり違うと思う。

 

分子間力の一般論を、どのようにして創薬の現場に活かしていくか。

探索への応用も含めて、しつこく追究すべき領域なのではないかと思う。

 

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■ 前回の記事

薬理活性とギブズエネルギー (1) ~薬理活性の定量化~

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