映画作品『ヘルドッグス』が公開中ですが、
その原作小説『ヘルドッグス 地獄の犬たち』シリーズの三作目にして完結編である『天国の修羅たち』を読みました。

深町秋生作品には、“警察小説と犯罪小説の融合”ともいえる作品が少なくありません。
具体的には主人公が二人で、そのうち一人は現職の警察官、もう一人が犯罪者であるパターン。
両者が対立することもありますし、共闘することも少なくない。
『ヘルドッグス 地獄の犬たち』シリーズ第二作である『煉獄の獅子たち』では、現職の警察官と犯罪者とがクライマックスで共闘することになりましたが、
第三作『天国の修羅たち』ではもっと早い段階、物語の中盤から共闘することに。

『煉獄の獅子たち』では、二人の主人公のうち一人は反社会的勢力の構成員であるため、現職警察官である主人公とはまったく違う生い立ちであるのに対し、
『天国の修羅たち』の犯罪者である主人公は元警察官であるため、現職警察官である主人公とのあいだに共通点が。
面白かったのは、現職警察官である主人公が警察官を志すようになった動機が、元警察官(現在は犯罪者)である主人公のそれとかなりの程度共通していること(元警察官である主人公が警察官を志すようになった動機は、第一作『ヘルドッグス 地獄の犬たち』で読者に明かされており、『天国の修羅たち』では繰り返し述べられていません)。
その共通点ゆえ現職警察官である主人公は、元警察官である主人公が経験した内面的葛藤をトレースすることに。

そのような構成であるため、クライマックスにおいて両者の思考や感情がシンクロするのだろうと私は予想しましたし、著者の深町氏は読者がそのように予想するよう巧みに誘導すべく計算したと思われます。

その誘導はフェイントでした。
どんなフェイントであるかは、これから読む人たちのため、ここでは明かしません。

二人の主人公の思考や感情がシンクロする代わりに、深町氏から読者への問いかけがされていると私は解釈しました。
「権力の腐敗が行き着くところまで行き着いた状況であれば、法に則った手段を放棄することが、つまりは暴力によって正義を実現することが、やむにやまれぬ手段として許されえると考えますか? それがもたらす結果さえ、国民の大多数から支持されるのであれば」という問いかけが。

深町氏自らによる回答は、戦闘力の高さで男性読者にとって憧れの対象としての側面をそなえていた元警察官である登場人物が、法に則った問題解決の重要性を再認識することで示されていたと思われます。
正義の行為であると信じざるを得なかった過去の行為(第一作『ヘルドッグス 地獄の犬たち』での行為)を、ストレスをともなうことなく否定するラストシーンでは、当該登場人物だけでなく、読者の精神までもが浄化されることに。

そのため深町氏得意のサスペンスシーンやアクションシーンがいつものごとく軽快なテンポで展開されながらも、ずっしりとした読み応えを感じることができました。
読み応えがずっしりしていている点では前二作と共通していながら、前二作からは想像できないほど爽快な読後感がもたらされ、「このシリーズと出会えて、本当に良かった」と思わされました。

惜しむらくは……
クライマックスで展開されるネットを駆使した劇場型犯罪としての公開私刑の是非について、作中のネット閲覧者たちがどのような反応を示すのか、
腐敗した権力者の言い分を信じる者と、彼らを私的に裁こうとする犯罪者の行為を支持する者とでは、どちらがより多かったのか、SNS投稿の趨勢が描写されていなかったこと。
もっとも、物語を叙述する視点が現職警察官である主人公に一貫して固定されていたため、現実世界におけるネットの傾向から推測せざるを得なかったのは、仕方ないことなのかも。


以下は、『天国の修羅たち』のレビューからはずれる蛇足。

・深町氏は作品だけでなく、ツイッターでも私にとって興味深い発信をする人物。
それが決定的になったのは、ある人物の行いを非難するフォロワーが「小男」という表現を使ったことに対し、深町氏が見せた反応。
「人の身体的特徴を揶揄する表現は許せない」という意味のことを書いたと記憶しておりますが、「人がたくさん殺される作品を書いていながら、人権や公平性を重んじる思考パターンが身に染みついている人なんだな」と確信しました。

・上記のことと関係するかもしれませんし、以前別の作品のレビューでも書いたと思いますが、深町作品からは女性への敬意が伝わってきます。
偽善ではなく、薄っぺらいポリコレでもなく、深いレベルで。
八神瑛子シリーズの常連キャラクターである女性格闘家、『ヘルドッグス 地獄の犬たち』と『天国の修羅たち』に登場する初老の女性(映画版『ヘルドッグス』では大竹しのぶさんが演じるキャラクター)などは特に、多くの男性読者にとって性的関心の対象となり得るようなキャラクターとして描写されていないにもかかわらず、多くのファンがいるに違いないと思わせるほど魅力的。
そのせいか深町作品は、バイオレンスの要素が濃厚であるにもかかわらず、女性読者が多いという印象。
先日、映画作品『ヘルドッグス』の公開記念トークイベント(監督である原田眞人さんと深町氏との対談)を観に行きました。
私は前から二列目の席でしたが、一列目は全員女性、二列目は私以外の男性は一人だけ。三列目と四列目には男性がそれなりにいましたが、全体的には女性の比率が七割前後だったと思います。
映画版に出演した俳優(岡田准一や坂口健太郎)のファンである女性もいたかもしれませんが、以前池袋の書店で開催された深町氏のトークイベントにも女性参加者が多かった。

深町作品には女性主人公ものが多いこと、女性への敬意があふれていることも理由のひとつかもしれませんが、主人公たちが高度な戦闘スキルの持ち主でありながらも、精神的葛藤は等身大であることが大きいかも。
たとえば『ヘルドッグス 地獄の犬たち』の主人公には潜入捜査官という特殊な属性が付与されていますが、各状況に応じ呻吟させられる精神的葛藤は何ら特殊ではない。
「俺でもこの状況だったら、こういうストレスを感じるに違いない」と思わされるほど、迫真の内容かつ繊細な筆致。
物理的アクション描写とならび、繊細な心理描写こそが深町作品の特徴かも。

・映画版『ヘルドッグス』には上記のような繊細な心理描写はほとんどありませんでしたが、主人公の相棒である登場人物が“カルト宗教信者二世”に設定されていた点がかなり面白く、そのためラストシーンのブロマンス要素が味わい深かった。
「この登場人物は親の愛に飢えていて、それゆえ主人公に対し父性愛を求めているんだな」と解釈できて。

我ながら、蛇足が「蛇足」と言えないほど長い……。