このシリーズ、真面目に書こうとしたらかなり長くなりそうです。
もしかしたら途中で飽きてしまうかもしれませんが、書けるとこまで書こうと思います。

思いっきり個人的な話ですが、小学校の6年間のうち、4年間は同じ担任の先生でした。
ちなみに、僕が通ってた学校は一学年に一クラスしかなかったため、先生だけでなく、クラスメートは5年間、まったく同じでした(6年間でないのは、僕が小学2年のときに転校し、その転校先のクラスがそうだったたためです)。

その先生が僕のクラスを担任したのは、小学校の2年生、3年生、5年生、6年生の4年間です。
たしか、僕が小学2年になると同時に、つまり転校すると同時に教師になった、新米の若い女性教師でした。

その先生、とにかく純粋で真っ直ぐな、いや純粋過ぎて真っ直ぐ過ぎる人でした。
そのせいで、僕たちにからかわれることもしばしばでしたが、教師としての経験を積むにつれ、先生をからかってるつもりの僕たちが、逆に手玉に取られたりもするようにもなりました。

小学生の同じクラスを4年間も受け持つとなると、僕たち生徒の成長具合も、その先生はほぼ完璧に把握してました。

書きたいことが多いので、もしかしたら話が前後するかもしれません。

その先生はとにかく、戦争と暴力、あらゆる種類の差別、それに、愛を伴わない性行為を、この世から抹消しようと一人で奮闘してるような人でした。

まず、その先生の暴力への嫌悪感に関して言えば、たとえば、転校生だった僕にとって、その学校に通うようになってからの一ヶ月くらいは、大げさではなく戦いの毎日でした。

僕のクラスには、情緒不安定というか、とにかくすぐ暴力を振るうヤツがいました。
そいつは意味もなく(意味があったとすれば、僕が転校生だったこと、それに真面目でおとなしかったこと、くらい)、僕の顔を殴ってくるようなヤツだったので、僕はやむなく、そいつの肩に肘打ちを放ち、左右の拳で腹を殴ったりもしました。
するとヤツは、僕の顔を爪で引っ掻いたりしたので、これもやむなく、僕はそいつの顔と腹にパンチを一ダースほど叩き込み、グッタリさせたりも。

それらのケンカは休憩中の教室で、あるいは校庭で、さらには下校するときのバスの中でも繰り広げられました。

ある日の下校中のバス、僕たちのケンカを見かねた大学生くらいの男性があいだに割って入り、「もうケンカやめな」と言ってくれたことも(バスの運転手さんがケンカを止めようとしたことは、なぜか一度もありません)。
大学生くらいの男性がケンカを止めようとしてもなお、異常なクラスメートがさらに執拗に僕に殴りかかってきたので、僕はやむなく、頭突きを叩き込んで半分失神させたこともあります。

今思い出しても、ヤツは先天的な異常性をそなえていたとしか思えません。
そんなヤツから自分を守るには、僕には暴力での対抗という手段しかなかったのです。

それでも件の女性担任教師は、異常なそいつだけでなく、僕をも厳しく叱りました。
暴力が嫌いだと言ってるくせに、生徒に対する体罰は厭わない先生でした。
「どんな理由であれ、暴力はいけない。話し合いで解決しようとしなかったRYUYAも、先に殴った彼と同じくらい悪い」と、僕にも体罰をくわえました。

クラスメートたちはクラスメートたちで、転校生の僕ではなく、1年生の頃から同じクラスだった異常なそいつの肩を持ちました。
男子だけでなく、女子も。
あるときは、優等生で、しかも件の担任先生にとって大のお気に入りだった女子生徒から、「あんたが転校してきたせいで、このクラスにケンカが絶えなくなった。頼むから、元の学校にもう一度転校してよ!」と言われたことも。

それでも僕は、その先生の考えを、つまり非暴力至上主義の考えを尊敬していたので、彼女の教えを真に受け、ある日は一方的に殴られるままにしたこともあります。
それで顔中にアザを作って帰ると、今度は親や祖母、さらには叔父から激しく叱られました。
「どうしてやり返さなかった!」と。

僕は、「やり返したら、先生に怒られるから」と説明しましたが、親や祖母、叔父たちは、さらに厳しく僕を叱りました。
「その先生がいくら担任だからって、お前の一生の面倒を見てくれるわけじゃないだろ。自分の身は、自分で守るしかないんだ」と。
それで僕は、担任先生と家族とのあいだで板挟みにあい、どうすればいいのか分からなくなってしまいました。
当時満7歳の僕にとっては、かなりつらい日々でした。
今だから言えますが、転校する前に通ってた学校のクラスメートたちの幻を見て、幻の彼、彼女たちと頭の中で会話することで、精神のバランスを保とうとしたこともあります。
って、そんなことをしてた時点で、精神のバランスを欠いてたわけですが・・・

書きたいことはまだまだありますが、今日はこの辺で。