風俗店の歴史 | 恵比寿の助教授による裏風俗研究inアメブロ

風俗店の歴史

戦後日本の風俗営業は、おそらく世界にも類例のないほど、多様な展開をとげている。今は亡き風俗店を中心に、その歴史をたどってみたい。

 

 

RAA
終戦後、政府は「進駐軍が良家の婦女を強姦するのではないか」と危惧し、急遽、遊廓・私娼・芸妓屋などの業者を集め、RAAという組織を作らせた。女性は娼妓・芸妓あがりが多かったが、中には新聞広告で集まった素人もいたという。


 

パンパン

売春婦、街娼。 特に進駐軍相手の売春婦。

 


オンリー

進駐軍の特定の相手とだけ交渉をもった売春婦。


 

赤線

GHQの指令による公娼制度廃止以後、戦前の遊廓・私娼などが看板を変えて営業していたもの。1958年の売春防止法施行に伴い、姿を消す。


 

トルコ風呂

個室付きのサウナ風呂。個室であることから、間もなく性的なサービスが行われるようになった。当初は手で男性器に刺激を加える「スペシャルサービス」(おスペ)が主流であった。次第に「本番サービス」を行う店が多くなり、取締り当局も次第に黙認するようになった。中にはプロ意識を持つ女性もおり、「アワ踊り」「マット」などのサービスが次々に開発されていった。 1984年、ソープランドに改称。
なお、本場のトルコ風呂についてはトルコ風呂参照。


 

ピンクサロン

サロンと名がついているので、一応お酒をだすお店。 しかし、実態は口でのサービスを売りとするお手軽風俗。 花びら回転、3回転等独特の言い回しがおおい。なお、意味はサービスをする女の子が変わるという意味である。花びらがつくと、さらに下半身をあらわにするサービスもあるという意味も含まれる。 ぼったくりの店も多く、また店も真っ暗なのが普通でダークな雰囲気がある。 しかし、良心的な店舗も多い。風俗のサービスのある形態の店では最も安価なものにはいるとおもわれる。その分、性病などのリスクも高いといわれている。


 

ノーパン喫茶

喫茶店のウエイトレスが下着を着けずミニスカートをはいていた。はじめはコーヒーを運ぶだけであったが、やがてフロアの奥の方に個室が作られ、この中でフェラチオなどのサービスを行うようになった。1984年の改正風俗営業法が施行されると、フロア+個室という業態に対する規定がないため、営業が認められなくなり、ファッションヘルスなどに転業した。ノーパン喫茶嬢出身のイヴちゃんはにっかつロマンポルノにも出演し人気があった。 ノーパン喫茶の時給は非常に高額であり、これをきっかけに風俗店に足を踏み入れた女性が多数いたと言われる。



マントル

マンショントルコ風呂の略。 普通のマンションで風俗営業をしている。 一種の裏風俗。価格もソープランドよりも高い事がおおく、怖いもの見たさもしくは、好奇心でいくと痛い目にあうことがおおい。


 

ホテトル

ホテルトルコの略。 ホテルで、女の子を呼び出しができる一種の裏風俗の出張サービス。 今ではデリヘル(デリバリーヘルス)といわれる事も多い。 ただし、デリヘルは表向き本番はないことになっている。 またデリヘルは裏風俗ではなく、警察・保健所に届けが出されている。


 

ファッションマッサージ

今のファッションヘルスのこと。


 

SMクラブ

主にマゾ客をサディスト役の女王様がいたぶるMプレイと、サド客がマゾヒスト役の女の子をいたぶるSプレイに分かれる。店・女王様・マゾヒスト役のそれぞれの傾向によって様々なプレイが展開する。主なプレイ内容には、軽い縛り・低温蝋燭などのソフトなプレイから、鞭・ビンタ・蹴り・吊るしなどのハードもの、その他排泄関連のマニアックなものも存在し、客は通常の性風俗に比べて特殊な性向を満たすことが出来る。