原点に返って、グーグル和解案を検討し、自社の方針を確定しよう | こんな本があるんです、いま

原点に返って、グーグル和解案を検討し、自社の方針を確定しよう

<7・22会員集会配付資料>


●5分でわかるGoogle問題●
流対協が「オプトアウト推奨」へ至る流れ──こんな感じで考えてきました


1.グーグルは、無断で書籍をかっぱらった。電子的に。図書館の蔵書等を使って広範に。片 っ端から。
2.全米作家協会と全米出版社協会は、当然文句をいった。

3.また、蓋を開けてみると、かっぱらいの規模があまりにも広範だった。
4.ところで、アメリカには、「公正使用(フェアユース)」という考え方があるらしい。
5.グーグルは自分のやったことはそれだと主張した。
6.グーグルのやったことが「公正使用」と認定されてしまったら、全米作家協会や全米出版 社協会は、いろんなものを取りっぱぐれることをおそれたらしい。
7.なので、「集団訴訟(クラスアクション)」を使って「和解」しようとした。公害の被害者 や、欠陥商品をつかまされた消費者の救済に使われる方法で。

8.この「集団訴訟」というのは、“いち抜けた”といわない限りその利害関係者とみなされる らしい。
9.加えて、今回の「集団訴訟」の「和解」「案」は、通常用いられる「集団訴訟」とは違って 複雑らしい。
10.複雑さの原因1つ目は、与えた過去の被害だけでなく、与えるであろう未来の被害につい ても取り決めているらしいこと。
11.複雑さの原因の2つ目は、ベルヌ条約によって、この「和解」「案」が成立すると、グーグ ルがかっぱらった書籍の、ほぼ全世界の著作権者に適用されるらしいこと。
12.ただ、この「和解」の「集団」から抜けなくても、お金は払ってくれるらしい。いつにな るかはわからないが。
13.また、この「和解」の「集団」から抜けなくても、グーグルがかっぱらった書籍の電子デ ータは、削除の要請が出来るらしい。グーグルを信用すれば。
14.アメリカでの「和解」「案」が、「和解」となれば、日本の出版社にとっては複雑さが増す。
15.日本においては、出版社の著作隣接権(著作者に準ずる権利)が認められていないからだ。
16.だが、グーグルがかっぱらったのは、“片っ端から”なので、現在販売中の書籍も電子化さ れている。

17.で、どうするか。
18.流対協は「オプトアウト(=除外)」(=いち抜けた)を推奨している。
19.“何かおかしい”と思うものには、“うん”といわない伝統のせいだけではない。
20.端的にいうと、“ドロボーはドロボー”とちゃんと言おうということだ。
21.片っ端から人のものを盗んで平気というのは、”野蛮(=非文明的)”な状態だ。
22.片っ端から人のものを盗んでいるいう自覚がないのは、“子ども”(=欲望を抑えられない) だ。
23.教え諭そうではないか。
24.文明と大人を。



●原点に返って、グーグル和解案を検討し、自社の方針を確定しよう●


 グーグル和解案は内容も構造も複雑であり、理解しがたい。また、それぞれ、和解当事者(原告、被告とも)たちが、自分たちの成果を主張することで、なおさら、和解案の実像を遠ざけている。以上のことから、結果として、著作権者(著者と出版社を意味して使う、以下、略)は、和解案に賛成するか、反対するか、その判断を困難にしている。

 まずは、和解案の構造を整理し、何を判断の基準にすればいいのか、問題を整理する。

 つぎに、9月の除外期間までにわれわれが何をすべきかについて、提起する。


その1 和解案の構造を解剖する


1 和解案の構造(時系列に見る)

 時系列、簡単にいえば、過去と現在と未来である。
 グーグル和解案は、時間軸で見れば、過去と現在と未来のことが書かれている。それを整理してみる。

 ※過去について
 過去のこととは、それは、グーグルが契約図書館と契約を結び、許諾を得ることなくスキャニングしたことである。そして、この行為の代償として、1冊60ドルという和解金がある。原告団から見れば、グーグルからの賠償金であると主張でき、その成果を誇ることができる。
 しかし、ここには重大な落とし穴がある。和解の代償というべきものだろう。
 果たして、図書館が蔵書を他者の利用を前提に、著作権者に無断で契約を結んだことは、著作権上、許容されるのか、という問題である。この問題は、今後の図書館のあり方を左右する問題であったにもかかわらず、とりあえず、封印された。

 ※未来について
 一方で、未来のことが書かれている。
 スキャニングし、デジタル化したデータの利用については、それぞれに細かな取り決めがされており、その管理を新たに設立する和解レジストリが行うとある。
 グーグルから見れば、60ドルは、実は賠償金でない。図書館プロジェクトのためのデジタル化権の買取金に変身する(和解案参加の大多数は和解レジストリに引き続き留まるだろうからである)。これは、図書館データベースを運用していくための初期投資であるといえる。
 見る立場を変えれば、正反対になる。なんで、こんなペテンのようなすれ違い
がおこるのだろうか。
 それをつなぐのが、利益金の分配である。
 それは、もしも、将来、利益が上がったときの利益の分金配がデジタル化権の顔をしているからである。それを信じるからこそ、デジタル化権が、著作権者からグーグルにただで巻き上げられても、一部を除いて、深刻な反対はおきていない。未来永劫、著作権が切れるまでただ取りかもしれない可能性があっても、そのことにあまり言及していない。

 ※現在について
 現在とはなにか。
 グーグルによる、われわれの書籍のデジタル化(2009年1月前の図書館からの提供書籍)は、これからも数年続く、現在進行形の作業である。その作業の進行状況は、かろうじて、和解サイトのリストで、ある時点の過去の作業完了を見ることができる(時間の特定がなく、いつの過去をさすのかは明らかにされていない、一般に言う過去でしかない)。
 和解に参加すると、デジタル化を止められるのではないかという誤解があるが、グーグル和解案に、グーグルと図書館が結んだ契約を拘束できる内容は書かれていない。すなわち、絶版であろうが、販売中であろうが、グーグルのデジタル化を禁止させる項目はない。間に合ったときだけ、尊重する、と書かれているだけであり、尊重の意味も特定されていない。


2 和解案の構造(その特殊性─クラスアクションの適用)

 この和解案は、クラスアクションが適用されている。この適用も極めて異例のものだという。
 それは、未来をも対象にしているからである。
 アメリカで行われているクラスアクションは、消費者が被った広範で、ひとり一人は小さな被害を救済するために、発案された。本来、単独で裁判を起こせるほどの被害額にならない消費者を救済するためであった。
 今回のグーグルによる著作権侵害も、対象被害者はアメリカ国内に限っても、極めて多数に上る。その意味では、クラスアクション適用による、被害者救済も自然なことではある。
 しかし、和解案が、和解レジストリからデジタル化サービスの規定を含んでいるために、極めて異例のものになってしまっている。過去に起こったことだけでなく、未来に行うことも含んでいるからである。果たして、クラスアクションになじむ事案なのかの議論がアメリカで起きているのは、当然あるといえるだろう。


3 和解案の構造(クラスアクションの適用で派生したことその1 著作権不明書籍への適用)

 クラスアクションの適用は、その性格のために、当事者の特定は極めて例外的である。方式が、オプトアウト方式になり、参加したくない人だけが、除外の手続きをとる。そのため、グーグルにとって、極めて有利な結果を生んでいる。大量の著作権不明書籍を労せずして、和解案の中に、囲い込めるようになった。クラスアクションの適用は、「自分たちが主張したものだ」と、作家組合の弁護士は言明したが、Googleも笑いが止らぬ利益を上げることになる。そして、和解案には、最恵国待遇条項があり、非独占的といいながら、常に、著作権者から一番いい条件でのデジタル利用が可能になっている。この点は、Googleにとって、他の新規参入者を阻止するために、きわめて有利に働いている。司法省が、独禁法で調査を開始したとのことだが、当然だろう。


4 和解案の構造(クラスアクションの適用で派生したことその2 海外への適用)

 実は、和解案(本文)には、海外著作権者について一言も言及されている箇所が存在しないという。海外著作権者に言及しているのは、和解案ではなく、ニューヨーク南部地区連邦地裁の、表書きの注意書きだけである。そもそも、和解案そのものが、海外著作権者を視野に入れていなかったためである。和解原告団が、当初の締め切りである5月5日までに来日しなかったのは、当然だっただろう。そんなものが、果たして、海外著作権者に拘束力があるだろうか。
 この和解案に、海外への拘束力が果たしてあるかは、非常に疑わしいのは事実である。海外各国で反発が起きているのも、極めて自然である。
 また、4で言及した著作権不明書籍は海外にも適用されている構造になってしまっている。


5 和解案の構造(和解案対象の範囲)

 そもそもの発端は、グーグルと図書館が交わした契約にあった。日本では、慶応図書館が参加した。契約内容は類推することしかできないが、図書館が提供した書籍をグーグル側がデジタル化し、双方でデジタルデータを保持するものであるらしい。図書館側にとっては、蔵書を費用をかけることなくデジタル化できるのが利点であり、グーグルは、図書の収集の時間と手間をかけることなく、デジタル化し、そのデータを活用できる利点がある。
 しかし、和解案は、図書館プロジェクトでGoogleが無断スキャニングした全書籍に対するものではない。
 この和解案は、Googleがどのような書籍をスキャニングしたのかということに、興味を示していない。要は、今後活用できるであろう分野を特定し、和解案対象書籍として双方が合意したと類推するしかない。
 漫画や、子どもの本が和解案対象書籍にはいっていないから、安心だと考えてはいけない。和解リストには、Googleが無断スキャニングした書籍が、リストアップされるのだ。
 和解案対象書籍というのは、ただ単に、弁護士たちが選んだ言葉だと考えた方が、実態に合っている。



その2 和解案の当事者性について─誰が和解案対象者なのか


1 絶版書籍しか存在しないはずの和解案の当事者は、著作権者である

 この和解案は、誰が、和解案の対象者であるのか、誰にも判然としない、不可思議な案である。和解案が、グーグルが行った無断スキャニングによって被害を受けた書籍の全てを対象としていないことはすでに述べた。和解案は、和解対象書籍の分野を特定し、そのなかの絶版書籍を対象としている。文面では、極めて明確である。
 和解案を作成する際に、グーグルが違法行為に限りなく近いことを行っていたということを文面に残すわけにはいけないという、現実的な問題があったはずである。グーグルによれば、違法行為を行ったから、和解したわけではないからだ。だから、グーグルは、たとえあとで販売中と解ったとしても、絶版と判断していたという、作文するしかなかったのである。講談社編集総務局は、このドグマに見事にはまってしまった。
 合意された和解案に基づき、今後のグーグルのデジタル化作業も、それを前提に行われていけば、グーグルのお題目は、その内実も伴うというものだ。しかしながら、和解管理人の和解リストにあげられてくるのは、無断スキャニングの書籍であり、和解案に規定されたこととは、無関係にアップされてくる。グーグルのお題目を信じるととんでもないことになる所以である。そして、和解案は、グーグルを拘束するほどの強制力を持った項目が存在していない。かならず、抜け道がある。そうでなければ、自ら作った和解案を破ることになってしまうからだ。
 そして、オプトアウト方式のために、本来、和解対象書籍になるはずのないものが、和解対象書籍になる可能性が、確実に存在する。なにしろ、2008年発行の書籍まではいっているのだから。

 以上をまとめると、和解案の規定に関係なく、グーグルに無断スキャニングされた書籍の著作権者が、当事者にさせられることは、疑いの余地はない。対象分野の規定も、絶版であるか販売中であるかも無関係である。当事者となるかどうかは、ただひたすら、和解リストをチェックするしか確かめようがない。当事者になってしまうのかどうかは、和解リストで確かめるしかない構造になっている。
 この点において、講談社がかつて自社の著作権者に出した通知は間違っているのである。販売中の書籍の存在が有る限り、出版社が主体的に関わるのは、商売上、当然のことである。
 和解対象書籍であると和解案に規定されている書籍の範囲と、和解管理人が管理している書籍リストは大幅にずれがあり、出版社が責任を持って防衛しなければならない販売中の書籍も、和解管理人の管理リストに存在しているのである。和解リストには、確かに絶版書籍が存在する。その意味で、講談社の通知は正しい。しかし、販売中の書籍も数多く存在していることに、講談社の通知は、無力であり、著作権者にも、自社にも、不利益を与えるだろう。
とにかく、和解リストにアップされる書籍の著作権者と、販売中であるなら、なおさら、出版社が当事者とならざるを得ないのだ。


2 書協主要会員社の沈黙

 多くの書協会員社は、現場社員の不安をよそに、沈黙を守っている。それは何故なのか。一つには、前述した、講談社文書にみられる和解案に対する当事者性にある。しかし、自社の販売中の商品の営業を妨害されることに、黙っている業界などあるだろうか。これは、著作権法以前の問題である。如何なる出版契約であっても、それが口頭による契約であっても、著作権者から、出版の許諾を受けている。その契約を脅かす行為に、声を上げるのは、当然、著作権者から期待されている行為である。自社の商品を守れない業界に、確かに未来はない。
 二つ目は、もっといい加減な理由による。
 そして、一番目の理由と裏腹の関係にある。自社の和解案に対する当事者性に確信を持てないために、著作権者の手続きを代行すれば、和解金の支払いと、黙っていれば自動的に参加になるし、非表示にさえすれば、自社の書籍が守れるではないかというものである。
和解原告団の来日による「成果」によって、この立場は、補強されたらしい。
「成果」とは、books.or.jpのデータにグーグルが、初期値を絶版から販売中に変えるというものだ。これで、デジタル化を止めさせられるのではないかという、期待だ。
この論は、書協の期待とは裏腹に、二つの致命的な弱点を持つ。
 第一点は、連邦地裁チン判事に提出される和解案は、如何なる変更もないという点である。和解案の文面は一字一句の変更もない、と作家組合の弁護士は流対協に明らかにしている。ということは、リップサムビスであり、せいぜい得意の「尊重する」という精神条項なのだ。残念ながら、強制力を持たない。
 第二点は、販売中とわかっても、その前にデジタル化が済んでいれば、グーグルが従う条項は存在しないのだ。
 両方を合わせても、ザルなのである。日本の政治資金規正法と政治家の関係を思い出させる。それでも「成果」というしかないのだろう。
 付け加えて、著者の手続き代行が如何なる根拠を持つのかも不明である。出版契約の関係でいえば、書協会員社の中でも、かなりの落差が存在する。著作権の2次利用について、明確に確保されている出版社とそうでない出版社がある。そして、そのことを書協は会員社にアナウンスしていない。これは、危険なことだ。


3 出版社の主体性

 自社の商品が、無断スキャニングされて、それを商売にしようという相手に、どこまで、卑屈になればいいのであろうか。
 和解案を取りまとめた原告被告両者は、当然にもできるだけ多数の参加を望んでいる。そのため、世間には、絶版書籍の活用だといい、その実、グーグルが無断スキャニングした全部の書籍の著作権者の参加を前提としている。
 絶版書籍と、販売中の書籍について、和解案上の区別はない。建て前は、絶版書籍だけなのだから。違いは、図書館プロジェクトのサービス上の違いでしかない。権利が著作権者にしか帰属していない書籍と、著作権のアナログ権(出版権)を利用している書籍について、デジタル化権の区別はないということである。



その3 参加するか、しないかの判断の基準は何か


1 和解案をアメリカの著作権者たちが選んだ理由

 和解原告団たちは、来日の際、自分たちは、和解案を勝ちとったんだと力説していたが、しかし、その内容を見れば、主導権はグーグルに握られていたと思われる。。であるなら、なぜ、原告団たちはこの内容の和解案に満足しなければならなかったのだろうか。
 最大の問題は、図書館プロジェクトに基づくグーグルの作業が、裁判に関係なく、どんどん進行していったことにあるのではないかと、推測される。
 アメリカにおけるフェアユースの規定、検索サイト分野でのグーグルの米国での圧倒的優位性があったとしても、作業の進行は焦りを生んだと思われる。


2 日本の著作権者、出版社に妥当なのか

 先にも述べたが、この和解案は、米国国内向けに作られている。海外著作権者のことは、想定もされていなかった。原告団たちに、言い分はあるだろう。闘ったのは自分たちで、自分たちが解決策を見つけたのだから。国内仕様は仕方がないと。であるなら、クラスアクションの適用も、米国国内に限るのが当然だろう。しかし、彼らはそうしなかった。海外の著作権者を守ると称して。
 では、米国内向けに作られた和解案が、海外著作権者にどういう不都合があるのだろうか。
 JVCAの鈴木弁護士によれば、大きな問題のひとつに、和解レジストリが米国内にしか置かれてないことにあるという。そして、紛争が起き、決着がつかない場合、和解案ではニューヨークの仲裁協会を使うと規定され、ここが1日5千ドルぐらいかかるらしい。よほどのことでなければ、実質、泣き寝入りの構図だ。こんなシステムでいいのだろうか。


3 和解案に参加するはどういうことか

 和解案に参加するということは、著作権者と出版社は、グーグルとの関係が間接的になるということだ。グーグルは、煩わしい苦情に頭を悩ます必要もなくなる。間に和解レジストリが入るからである。グーグルにとっては、大いにメリットになるだろう。その反面、著作権者は、グーグルに直接文句を言えなくなる。ストリートビューの紛争を思い起こしてみよう。苦情は、直接グーグルに言うことが出来た。それで、グーグルもある程度、考慮せざるを得なくなり、改善策を出してきた。図書館プロジェクトのサービスが始まるといったい、どういうことになるか。興味あるところではある。間接的な関係は、お互いに信頼関係がなければ、本来、機能しにくいものだ。その悪条件を克服できるだろうか。


4 参加しないということはどういうことか

 今回の和解案に参加しないで、その利益も享受しないで、グーグルにやりたい放題にされて、それが正しい選択なのか、損するだけではないか。オプトアウトは早まったのではないか、という意見があるらしい。
 さて、この言説は正しいのか。
 今回の和解案に参加しないで、めでたく和解案がニューヨーク地裁で認められと仮定してみよう。何がどうなるだろうか。
 グーグルは、図書館データベースの合法性を獲得することになる。
 と同時に、参加した著作権者は、無断スキャニングを不問にすることになる。
 そして、データベースの運用とサービスが始めに米国で始まる。
 和解案に参加しない人たちは、蚊帳の外だ。本当に大丈夫なのか。
 参加者を特定し、法的に認められた図書館データベースは、承認された書籍のデータのみを搭載していることを前提にして、消費者に課金することが出来る。ということは、不参加者の書誌データ以外のものを搭載して、サービスを行うことは出来ないということだ。搭載を放置していたら、せっかく獲得した合法性を脅かすことになる。不法に集めたデータで消費者から金を取るのは、さすがの米国でも不法行為だろう。皮肉なことに、和解案が成立することによって、グーグルの無定見なデータ利用は、少なくとも、不参加者には適用できないという強制力が働く。これは和解案にでてくる「尊重する」などという精神条項ではない。裁判にもちこまれれば、グーグルは必ず負けるだろう。デジタルデータ利用に関するグーグルの遵法精神を見れば、不参加者は、実は、蚊帳の外ではなく、蚊帳の内なのであり、参加者が外になる。守られる人が守られないで、守られるはずのない人が守られる、実に変な話だ。こんなことも、相手がグーグルならではであろう。



その4 さて、自社の立場をどうとるか


1 和解案が認められることの意味は何か

 米国の著作権者にとって、米国市場は、圧倒的だろう。彼らにとって、1冊60ドルという金額は、余儀なくされた選択だったとしても、安いものだったに違いない。決断には勇気が必要だったはずである。米国のアナログ市場を直撃するのは間違いないからである。
 一方、日本の出版社と著作権者の多くは、おおらかなものである。米国の著作権者に同情を寄せる余裕すらある。本当にそうなのか。米国市場だけのことを考えていないか。
 米国の著作権者と出版社の追いつめられた立場を考えるならば、同じ条件で自己を省みることだ。それは、日本で図書館プロジェクトのサービスが始まるときを考えるということだ。アメリカでは、同意し、連邦地裁が認めると同時に図書館サービスが始まる。日本では、導入時期に時間差はあるとしても、違うものだと考えるのは、錯覚に過ぎない。立場は、アメリカの出版社、著作権者と同じなのだ。
 グーグルは、始めから、世界展開を表明している。今回の和解案が、米国に限っているとしているのは、連邦地裁と、原告団だ。グーグルは、そのことにまったく言及していない。グーグルにとっては、とりあえずは米国の合法性だけで十分なのだ。世界各国で和解案を作るわけではない、著作権者との和解は1回で充分なのだ。
 日本で、図書館プロジェクトが導入された場合に、果たして、1冊60ドルが予期しないお金だと喜んでばかりはいられないだろう。米国の著作権者たちに同情を寄せている余裕などない。取らぬたぬきの皮算用は、してはいけない。アメリカで同意した図書館プロジェクトのサービスを日本では認めないとすることは難しい。どういう論拠で反対していくのであろうか。結局、米国での賛成、黙認は、日本でも同様になっていくだろう。


2 流対協のオプトアウトの呼びかけの意味

 流対協は、販売中の書籍について、オプトアウトすべきである、と呼びかけた。論拠は、その当事者性であるのはすでに述べた。そのことは、現在も変わりはない。
 とはいえ、当初からこの呼びかけに確信があったわけではない。よくわからない話にはのらない、よく解らない契約書にハンコは押すな、というありがたい家訓(?)からである。結果的に、それは正しかったといえる。
 それはなぜか。
 第一に、今回の和解案が唯一のものである、という立場をとる必要がないからである。
 今回の和解案は、米国の著作権者たちが、米国という悪条件の元で合意したものだ。彼らが、米国においては、唯一のものだと誇ることに根拠はあるだろう。しかし、それを、日本にそのままもちこむ必要はないのである。
 具体的に、図書館プロジェクトによるサービスがどの程度のアナログ市場への影響を持つのか、米国の展開を分析してからでも遅くはないのだ。
 いずれにせよ、今後の数年間は、グーグルという巨大企業にとっても、米国の著作権者にとっても、図書館プロジェクトデータベースの行く末も、そして、我々にとっても、日本上陸のスケジュールを推測すると、予断を許さない時間となるだろう。ちょうど、著作権者へのグーグルの支払いが始まるころには、その推移が見えてくるだろう。
 グーグル和解問題は、一過性の問題と思い違いをしてはいけない。アナログ市場とデジタル市場の折り合いをつける今後の数年間として、考える方が適切だ。我々の存在自身もかかっているのだ。


3 オプトアウト書籍の決着の付け方

 現在、流対協の呼びかけは、日本の出版社に広がっている立場とはいえない。そんな少数で、巨大企業であるグーグルに立ち向かえるのだろうか。うかつに、呼びかけに同意して、大丈夫だろうか。和解金をとりはぐれたあげく、グーグルに無視されたら、どうするのか。裁判には、巨額の費用がかかると原告団の弁護士は言っていたではないか。別の和解案など絵空ごとではないのか。
 いろんな疑問が存在するだろう。
 グーグルは、大量の書籍を平然と無断スキャニングした恥知らずな企業であるとしても、親の敵でも、不倶戴天の敵でもない。いずれ、オプトアウト書籍について、折り合いをつける必要がある。
 それは、いつだろうか。そんな時があるのか。
 そんな時とは、グーグルが解決したほうがいいと考えたときであろう。実は、米国の場合と同様だ。米国の場合も、グーグルが必要としたから、和解案は作られたのだ。そうでなければ、まだ裁判を争っていただろう。それは、グーグルが、図書館プロジェクトを日本に上陸させるときと思われる。
 ストリートビューの展開の過程が参考になる。条件をクリアしたところから、順次、導入し、条件が合ってなかったら逆に撤退している。日本上陸も同様な過程を踏むことになるだろう。いずれ、課金サービスを含む図書館プロジェクトデータベースサービスを導入するはずである。グーグルにとってこのときにネックになるのがオプトアウト書籍であり、漫画協会に見られる、アメリカでの解決を認めない人たちの存在だ。なぜなら、グーグルの無断スキャニングを不問にしていないからである。日本でも、合法性は必要なのだ。データベースにオプトアウト書籍のデータは搭載していないと主張しても、無断スキャニングは、免罪されていないからである。この問題をクリアしないことには、サーバーを日本に置かないと主張してもグーグルは、日本に導入できない。図書館プロジェクトを日本で認めないということは、日本の大学、団体、企業、あらゆる機関、団体が顧客になることに対しても許さないということも、明らかにしておく必要があるだろう。
 日本上陸は遠い先ではない。米国での成果によって、テンポは決まるだろう。意外に早いかも知れない。
 いずれにしても、グーグルは、日本上陸までに解決する必要に迫られるだろう。


4 アナログ市場とデジタル市場の関係

 グーグル和解問題は、アナログ市場とデジタル市場の狭間の現地点でのひとつの回答だ。原告団の言うとおり、模範解答かもしれないし、そうでないかもしれない。まだ、誰にもわからない。なぜなら、書籍市場だけでなく、新聞、テレビなどさまざまな既存の市場でこの問題に直面し、答えは出ていないからだ。ここで、改めて、両者について考えてみよう。
 デジタル市場の特徴…それは、手法の革命だ。大量のデータを一度に扱えるし、目的の情報に早く、それも低廉に到達する手段を与えてくれる。これは、なによりも、他に先んじる情報が必要だった金融市場で席巻した。そして、決済手段を導入することで、物販の世界に、それに付随することで広告の世界で新たな手法を開拓した。グーグルの今日の基盤はこれで作られた。デジタル市場は、日々、巨大になっているが、基本的には、価格優位性を元に付加価値をつけながら、伝統的手法を駆逐することで成長してきた。手法の優位性が原動力であって、現在もそうである。アナログに変わりデジタルの手法がデジタル独自の世界を作り出している分野はまだ、ごく少ない。
 アナログ市場…デジタル的手法の低廉なサービスの提供は、アナログ市場に深刻な影響を与えている。出版界でも製造のおいて低廉なコストを享受した時もあったが、デジタルの手法は、アナログ市場の収縮をもたらしている。電子ブック、デジタル辞書、さまざまな取り組みもされているが、満足すべき結果をもたらしているものはほんのわずかの例でしかない。まだまだ手探りの状況だ。
 しかし、あたらしいモノをつくり出しているのも、まだ圧倒的にアナログ市場の側だ。ここに、お互いのネックがある。片方を完全に駆逐するわけには行かないのだ。どこかで均衡点を見つけていくしかない。
 その場合、局面によって、デジタル市場の主役が変わることも理解しておかなければならない。主導していくのが、ずっとグーグルだと考えるわけにはいかない。誰が、何が、デジタル市場を主導していくか、誰にもわからない。我々に出来ることは、デジタル市場に対応していく準備を怠らないことだろう。


5 日本上陸に準備をしよう

 いずれ、グーグルと決着を付けるとしても、日本の出版社と著作権者に、デジタル化権とは何かを、具体的に問いかけたことは貴重な機会だったといえる。著者の著作物は、出版という行為を媒介することで、さまざまな権利を発生させる。あらためて、出版社は、そのことを、自覚させられたといえるだろう。


A
出版契約が変わるのだ。JPCAの出版契約か、それに準じた契約書に変えていこう。


B
これまでに出版された書籍について、著者の同意を受けられるものは、権利保全しよう。


C
絶版という概念を極力排除していこう。デジタルデータがあれば、長期品切れ本も、デジタル市場で復活させることは出来る。


D
自社のデジタルデータを常に確保しておこう。


E
われわれになじむデジタルサービスを開発していこう。そのための、パートナーを開拓していこう。オンデマンド本にするには敷居の高い、眠っている書籍の復活の手法を開発していこう。