みなさん、おはようございます
夏の甲子園もいよいよ開幕しましたね
気候も暑いですが、球児の戦いも熱い
第94回大会はどんなドラマが見られる
か楽しみです
野球のプレーだけでなく、周囲の応援
も熱いですね。
とりわけ父兄などの関係者の応援や
協力っていうのは、今ではなくては
ならないもの。
でも、我々が子どもの頃ってあまり親
が関わっていたという記憶がありません。
それだけに、父兄の過剰なまでの声援
や異常なまでの世話焼き(おせっかい)
などは興ざめするものがあります。
ましてや、指導者に口出ししたり、自分
の子どものことで意見や懇願など正直
ありえないことです。
でも、それが現実です。
現に近くでも、それで指導者が交代した
り(させられたり)、内部分裂が起こって
いるチームがあるという噂を耳にします。
いったい誰のための野球なのでしょうか
それもこれも親の過剰なまでの子ども
への期待、あるいは思惑が裏にある。
そこに原因の一つがあるのではないか
と思うのです。
分かります。
自分の子どもが成功してほしい。
そういう気持ちは親ならだれでも持って
いるのは当然であることは。
自分も人の子の親ですから。
しかし、それが過剰であればあるほど、
子どもへの精神的な負担も大きくなる
ことに気づくべきだと思うのです。
幼い心がそれに押しつぶされている
のです。
そして持っている才能を開花すること
なく、競技人生を終えてしまう子さえ
いるということを知るべきです。
親があれこれと干渉することや、過度
に期待することを、子どもは本当に望
んでいるでしょうか
果たして、それが本当に子どものため
になるでしょうか
子どもはそんな環境で自立した人間
として成長できるでしょうか
親が期待をかければかけるほど、強く
関わろうとすればするほど、子どもは
その期待に応えようとします。
そして、その期待を裏切るようなことを
してしまった場合、恐らく自分を責める
でしょう。
自信をも失ってしまうかもしれません。
親は決して悪気はない。
むしろ子どものためを思ってやって
いることは至極当然のこと。
何も子どもを追い詰めようとしている
わけではないのに、結果的に追い
詰めてしまっていることの方が多く
ないでしょうか
それが原因で、大好きなことに対し
てもやる気を失ったり、挫折したり、
非行に走ったってしまったり・・・。
こうなると親子間の考えのギャップ
が生み出した悲劇とでも言えるでしょう。
でも、だいだいの親は気づいていない。
「うちの子に限って・・・」
「うちの子は才能がある・・・」
「うちの子はやればできる・・・」
「ただ、頑張りが足りないだけ・・・」
それって、本当でしょうか
やってできること、やってできない
ことがあると思います。
何でも
「とにかく頑張れ 頑張れ
」
「やればできる、できないことなんてない
」
なんていうことはありえないと
思うのです。
そこは親(指導者も)がしっかりと、
子どもの力を見極め判断すること
が必要ではないかと思います。
大人は、とかく子どもが失敗しない
ように失敗しないようにと、先回り
しがちです。
そして、あれこれ手をかける。
言い過ぎる。
大人の威厳を保ちたいのか分かり
ませんが、そういうケースが多く見ら
れます。
自分のチームの親でも、そういう方
がいます。
試合中でも自分の息子がミスをして
落ち込んでいるところに、叱咤が飛
ばします。
もちろん自分の子どものためを思
ってやっているつもりなんでしょうが。
そういう親を持つ子は往々にして、
自信なさげ(下を向いている)
ミスが多い
素直でない(アドバイスを聞き入れる
ことができない→伸びない)
という傾向にあるような気がします。
やはり家庭環境というのは大きい
と改めて感じます。
失敗を回避させるように先回りする
のではなく、その失敗をプラスに
転換させるようにもっていくのが
大人の役目だと思います。
失敗=財産
ならば、大いに失敗を認め、そこから
這い上がる子どもたちを陰で支える
のが大人の本来の姿勢のような気が
してなりません。
「エラーしてしまった」
「三振してしまった」
「レギュラーになれなかった」
「ベンチ入できなかった」
「負けてしまった」
それがなんなのでしょうか
そんなの小さなことではありませんか
とるに足らないことではありませんか
そんなことより、子どもたちの頑張り
を素直に認めてあげること。
「頑張れ 頑張れ」
「まだ足りない まだ足りない」
ではなく、
「頑張ったね」
「よくやったね」
「すごいよ」
そうすることで、子どもも自分なりに
やっている
「もう一人の自分」
を認めるようになることでしょう。
大人には大人の世界があるように
子どもには子どもの世界があります。
いくら大人といえども、そこにずけず
けと入り込む権利などありません。
そこを勘違いしないでほしいのです。
親の期待。
そんなもの今すぐ捨ててください。
そして、必要以上に手をかけることを
控えてください。
子どもは一時的に困るでしょう。
悩むでしょう。
でも、そのときが成長する大きな
チャンスなのです。
自ら考えることを始めたときが、
成長へのスタートラインに立った
と言えるでしょう。
そして、親があれこれ言わなくても、
他の人(指導者、あるいは仲間)
が手を差し伸べてくれるもの。
特に仲間同士でそういう関係ができ
あがったときは、「最強の絆」が生ま
れるような気がします。
その方が、親がどうこうと関わるより
も、子どもはスムーズに成長できるの
ではないかと思うのです。
「親だから」
子どもの教育や成長はに対して、そう
いう使命感は当たり前のように、だれ
でも持っているもの。
でも、親だって人間。
親だけでできることって限られている
はずです。
むしろ親も頑張り過ぎず、
「大丈夫 大丈夫」
「ここで、キミのこと見ているから・・・」
「何があってもどってことないよ」
そういう姿勢を貫くことができれば、
へんなこだわりもストレスも感じなく
なります。
そして、心の底から一緒に子どもと
楽しむことができるのではないかと
思います。
その方が子どもも心地よいはず。
そして、順調に伸びていくことでしょう。
要するに、親にとっても子どもにとって
WIN‐WINの関係になるということなの
です。
もう一度言います。
「子どもへの期待は捨ててください
」
その方が、絶対楽しいですから

夏の甲子園もいよいよ開幕しましたね

気候も暑いですが、球児の戦いも熱い

第94回大会はどんなドラマが見られる
か楽しみです

野球のプレーだけでなく、周囲の応援
も熱いですね。
とりわけ父兄などの関係者の応援や
協力っていうのは、今ではなくては
ならないもの。
でも、我々が子どもの頃ってあまり親
が関わっていたという記憶がありません。
それだけに、父兄の過剰なまでの声援
や異常なまでの世話焼き(おせっかい)
などは興ざめするものがあります。
ましてや、指導者に口出ししたり、自分
の子どものことで意見や懇願など正直
ありえないことです。
でも、それが現実です。
現に近くでも、それで指導者が交代した
り(させられたり)、内部分裂が起こって
いるチームがあるという噂を耳にします。
いったい誰のための野球なのでしょうか

それもこれも親の過剰なまでの子ども
への期待、あるいは思惑が裏にある。
そこに原因の一つがあるのではないか
と思うのです。
分かります。
自分の子どもが成功してほしい。
そういう気持ちは親ならだれでも持って
いるのは当然であることは。
自分も人の子の親ですから。
しかし、それが過剰であればあるほど、
子どもへの精神的な負担も大きくなる
ことに気づくべきだと思うのです。
幼い心がそれに押しつぶされている
のです。
そして持っている才能を開花すること
なく、競技人生を終えてしまう子さえ
いるということを知るべきです。
親があれこれと干渉することや、過度
に期待することを、子どもは本当に望
んでいるでしょうか

果たして、それが本当に子どものため
になるでしょうか

子どもはそんな環境で自立した人間
として成長できるでしょうか

親が期待をかければかけるほど、強く
関わろうとすればするほど、子どもは
その期待に応えようとします。
そして、その期待を裏切るようなことを
してしまった場合、恐らく自分を責める
でしょう。
自信をも失ってしまうかもしれません。
親は決して悪気はない。
むしろ子どものためを思ってやって
いることは至極当然のこと。
何も子どもを追い詰めようとしている
わけではないのに、結果的に追い
詰めてしまっていることの方が多く
ないでしょうか

それが原因で、大好きなことに対し
てもやる気を失ったり、挫折したり、
非行に走ったってしまったり・・・。
こうなると親子間の考えのギャップ
が生み出した悲劇とでも言えるでしょう。
でも、だいだいの親は気づいていない。
「うちの子に限って・・・」
「うちの子は才能がある・・・」
「うちの子はやればできる・・・」
「ただ、頑張りが足りないだけ・・・」
それって、本当でしょうか

やってできること、やってできない
ことがあると思います。
何でも
「とにかく頑張れ 頑張れ

「やればできる、できないことなんてない

なんていうことはありえないと
思うのです。
そこは親(指導者も)がしっかりと、
子どもの力を見極め判断すること
が必要ではないかと思います。
大人は、とかく子どもが失敗しない
ように失敗しないようにと、先回り
しがちです。
そして、あれこれ手をかける。
言い過ぎる。
大人の威厳を保ちたいのか分かり
ませんが、そういうケースが多く見ら
れます。
自分のチームの親でも、そういう方
がいます。
試合中でも自分の息子がミスをして
落ち込んでいるところに、叱咤が飛
ばします。
もちろん自分の子どものためを思
ってやっているつもりなんでしょうが。
そういう親を持つ子は往々にして、
自信なさげ(下を向いている)
ミスが多い
素直でない(アドバイスを聞き入れる
ことができない→伸びない)
という傾向にあるような気がします。
やはり家庭環境というのは大きい
と改めて感じます。
失敗を回避させるように先回りする
のではなく、その失敗をプラスに
転換させるようにもっていくのが
大人の役目だと思います。
失敗=財産
ならば、大いに失敗を認め、そこから
這い上がる子どもたちを陰で支える
のが大人の本来の姿勢のような気が
してなりません。
「エラーしてしまった」
「三振してしまった」
「レギュラーになれなかった」
「ベンチ入できなかった」
「負けてしまった」
それがなんなのでしょうか

そんなの小さなことではありませんか

とるに足らないことではありませんか

そんなことより、子どもたちの頑張り
を素直に認めてあげること。
「頑張れ 頑張れ」
「まだ足りない まだ足りない」
ではなく、
「頑張ったね」
「よくやったね」
「すごいよ」
そうすることで、子どもも自分なりに
やっている
「もう一人の自分」
を認めるようになることでしょう。
大人には大人の世界があるように
子どもには子どもの世界があります。
いくら大人といえども、そこにずけず
けと入り込む権利などありません。
そこを勘違いしないでほしいのです。
親の期待。
そんなもの今すぐ捨ててください。
そして、必要以上に手をかけることを
控えてください。
子どもは一時的に困るでしょう。
悩むでしょう。
でも、そのときが成長する大きな
チャンスなのです。
自ら考えることを始めたときが、
成長へのスタートラインに立った
と言えるでしょう。
そして、親があれこれ言わなくても、
他の人(指導者、あるいは仲間)
が手を差し伸べてくれるもの。
特に仲間同士でそういう関係ができ
あがったときは、「最強の絆」が生ま
れるような気がします。
その方が、親がどうこうと関わるより
も、子どもはスムーズに成長できるの
ではないかと思うのです。
「親だから」
子どもの教育や成長はに対して、そう
いう使命感は当たり前のように、だれ
でも持っているもの。
でも、親だって人間。
親だけでできることって限られている
はずです。
むしろ親も頑張り過ぎず、
「大丈夫 大丈夫」
「ここで、キミのこと見ているから・・・」
「何があってもどってことないよ」
そういう姿勢を貫くことができれば、
へんなこだわりもストレスも感じなく
なります。
そして、心の底から一緒に子どもと
楽しむことができるのではないかと
思います。
その方が子どもも心地よいはず。
そして、順調に伸びていくことでしょう。
要するに、親にとっても子どもにとって
WIN‐WINの関係になるということなの
です。
もう一度言います。
「子どもへの期待は捨ててください

その方が、絶対楽しいですから
