前回、花巻東の佐藤涼平クンの自殺の
ことを記事に書きました。

そして、それは理不尽な世間に幻滅を
感じたのではないかということについて
も書きました。

実際どうなのか・・・。

それについては知る由もありません。



それに関連することで、何かないかと
探していたら、こんなものを見つけま
した。

これは”監督と甲子園”という本で、
全国の有名監督50人を紹介して
いるノンフィクションです。

監督と甲子園/藤井 利香
¥1,680
Amazon.co.jp

その最初に出てくる広島・広陵の中井
哲之監督の章にこんなことが書かれ
てありました。




卒業生の愚痴もあれこれと聞いている。


多いのは高校時代と、卒業後進んだ先
でのギャップである。


「監督が全然違うんです」なんて言って
くる。


当たり前やんけ、大学の監督は大人を
扱うから違うんで、と。


就職して社会に出たヤツも同じように
悩むようです。


世の中にはいろいろな人がいて、もの
すごく幅がある。


高校のときのようなスタイルでは通用
しないんだって言っても、なかなか納得
しないんです。


でも、その気持ちもよくわかる。


ここでは筋の通らないことはダメ。


男と男の建前なしの3年間なのに、
世の中に出たら人は平気でウソを
ついたり傷つけたり・・・。


そんなことがまかり通っている。


あまりの違いに、挫折感を感じて
しまうのも無理はないことです。


・・・・・・・・・・・・



中井監督という方は、裏表のない
真っ直ぐな方。


選手たちのためなら、立場を顧みず、
泥をかぶれる方です。




今から5年前の選手権決勝の佐賀北戦。


この試合の勝負どころでのストライク・
ボールの判定で高野連に噛み付いた
話は有名です。


選手は懸命になっている。


だから、自身も本気の姿勢で向かって
いく・・・


選手思いで、たいへんな熱血漢で有名
な方で、私が好きな監督さんの一人で
もあります。




この本の一節を読むとやりきれない
思いがします。


純で、真っ直ぐな世界。


そういう人間観が息づいている世界
で育ってきた人。


そういう人は、逆に社会に適応する
力、抵抗力みたいなものが弱いもの
なのでしょうか・・・。


不合理に直面したとき、言い知れぬ
挫折感に襲われるという事実がある
というのは皮肉だと感じます。


正直者がバカを見る社会なのでしょうか。


もし、そうなら嘆かわしいことです。


何が正しくて、何が正しくないのか・・・。


これでは分からなくなってしまいます。


不合理がまかり通る世の中なんて
あってはならないと思います。




私は子どもたちには常に


”みんなには野球だけを教えている
つもり
はないんだ”


”勝つこと、野球が上手くなること以上
に大切なことがある”


”それを、みんなに感じてほしい”


もう、これは私の口癖になっています。




勝つこと、優勝すること、甲子園出場
すること、プロになること・・・


これは夢、あるいは目標ではあるけど
目的ではありません。


そして、それらを実現した人が必ずし
も人生の勝利者ではないと思ってい
ます。




人間として大切な素養を身に付ける
こと。


そして、世のため人のために生きる
ことを最大の価値観とし得る人間
を一人でも多く育てること。


我々指導者に与えられた使命と
は、このようなもっと崇高なもので
あると思っています。




友情など無縁で、他人を蹴落とす
ことししか考えない人間関係。


勝つため、優勝するためなら手段
を選ばない指導方針。

これらが健全と言えるでしょうか




大人の私利私欲の道具となって
いる子どもたち。


そして、それによって作り上げられ
た歪んだ価値観が当たり前の世界。


合理的な指導を受けてきた真っ直ぐ
な人間が、そんな世界の犠牲者に
なっていくのは見てはいられません。




二度と涼平クンのような犠牲者を
出してはいけない・・・。


出さないためにも、指導者はどうある
べきか・・・。


青少年スポーツの原点に戻るべき
ときに来ている。


そう私は思っています。