いよいよセンバツの組み合わせも
決まり、球春本番を迎えます
岩手代表 花巻東は強豪大阪桐蔭
と決まりました
花東はセンバツ直前の関西遠征で
報徳学園など強豪校と6試合を行
い全勝したそうです。
大谷次第ですが、かなり仕上がり
は良さそうですね
これはかなり期待できそうです
ところで、唐突ですが佐藤涼平クン
をご存知でしょうか
高校野球ファンなら知っている方も
多いと思います。
3年前、雄星とともにセンバツ準V
に輝いたときの2番センターを守って
いた選手です。
ご存知ない方はこちらを
涼平クンは震災で大きな被害のあった
沿岸の宮古の生まれ。
幼い頃に父親を亡くし、母子家庭で
育ちました。
身長155cm。
恐らく、当時甲子園出場選手の中では
最低身長だったと思います。
ナイナイの岡村に似て、可愛い顔した
選手でした。
花東といえば、県内の有力選手が集
まる強豪校です。
涼平クンより身体も大きく、実力も
上の選手ばかり。
涼平クンは、自分の生きる道を模索
します。
そして、習得したのが動画にもある
ファールにする技術。
それと、俊足を生かした走塁の技術
でした。
私も涼平クンのファール打ちを生で
観たことがあります。
投球を自分の懐のギリギリのところ
まで引き込みます。
そして、見事なまでに3塁ベンチに
打ち込むのです。
ファールが放たれる度に、”オー”
っていう歓声が上がっていたのを
憶えています。
相手投手は、長距離打者以上に、
こういう打者はイヤでしょうね。
涼平クンは花東卒業後、日体大へ
進学します。
そして、大学2年生だった昨年の
7月でした。
信じられない突然の悲報が・・・。
”佐藤涼平自殺”
野球部寮の近くの路上で首を吊った
そうです。
ホント信じられませんでした・・・。
でも、なぜ・・・
ちまたでは、
高校時代とのギャップに耐えられなかった
とか
周囲のいじめに遭っていた
とか・・・
いろいろとうわさはあります。
これはあくまでも私の憶測です。
高校時代とのギャップ。
これについて述べるならば・・・。
あまりにも理想の教育環境に身を
置いていた涼平クン。
しかし、社会は必ずしもそういう
ところばかりではありません。
いろいろな人間がいます。
そして、いろいろな思想が存在
します。
理想と現実のギャップに耐えられ
なかったのではないかという見方
があります。
ここで、花東野球をご紹介します。
花東野球は一言でいうと
”真っ直ぐな野球”
花東は全てにおいての日本一を目指
しています。
練習への取り組み方はもちろんのこと、
あいさつ、整理整頓、全てにおいて
です。
そして当たり前のことを当たり前に
やることをとにかく徹底します。
それが”気づき”を生み、信頼関係
を生み、自信を生み、強い精神を育む。
佐々木監督の指導方針です。
ゆえに花東の全力疾走とカバーリン
グは有名です。
”そこまでやるか”を花東はやるん
です。
それは実際の試合を観ていれば分か
ります。
内野ゴロで一塁駆け抜けた後でも
スピードを緩めません。
また、カバーリングはただ走って
移動するだけでなく、しっかり捕球
体制に入ります。
全力疾走は相手へプレッシャーを
かけます。
またはカバーリングは、仲間への
安心感を生みます。
だから、エラーを恐れずに果敢に
プレーできるのです。
得てして無駄に終わるカバーリング。
でも、万が一のために彼らは徹底
するのです。
”小事が大事を生む”
だから、小さいことを積み重ねる
ことにこだわるのです。
そしてベンチでの雰囲気は狂気。
味方が凡退しようが、打たれようが、
笑顔でハイタッチです。
それは、戻ってくる伝令ともやるのです。
”良い流れを呼ぶ”
”運を味方に付ける”
たとえ、相手との戦力差があろうが、
それを取り組む姿勢でカバーする。
とにかく、元気がある
とにかく、楽しんでいる
花東野球は観ていて元気をもらえるし、
私にとっては
”This is the baseball”
地元からも愛される岩手県出身の選手
だけで構成される”戦う集団”です。
涼平クンは、そんな花東野球を象徴
するような選手でした。
そんな環境で育った涼平クンは、世の
中そんなところばかりではないという
ことを知ったのかも知れません。
それは一点の曇り(理不尽さ)もない
指導をされてきた涼平クンにとって
はかなり悩んだのではないか。
そういう話も聞こえてくるのです。
また、いじめという説。
これもあくまでも憶測です。
高校時代甲子園出場。
そして春準V、夏4強という実績を
引っ下げての進学だったわけです。
当然それを妬む人間もいたことで
しょう。
得てして野球強豪校出身の選手は
レギュラーになるため、仲間を蹴
落とすことばかり考えている。
仲間がケガをすればよいとまで
考える輩がいると聞きます。
仲間を大切にし、仲間と共に協力
して一つの目標に向かって精進
すること・・・。
こういった、スポーツの崇高な
精神がどこかへ行ってしまって
いるのです。
そういう歪んだ人間関係は
いじめをも生み出すことでしょう。
日体大の”いじめ体質”についても
報道しているメディアがありました。
涼平クンはそれに巻き込まれてし
まったのではないかと・・・。
動画にもありますが、ケガで一
旦下がった後、場内の拍手ととも
に笑顔で守備位置に走る涼平クン。
そしてホッと胸をなで下ろす母親。
そんな光景を見るたび、私は涙が
止まりません。
なぜ、20歳の若さで逝ってしま
ったのか・・・。
人生まだまだこれからだったの
に・・・。
本当に、本当に無念でなりません。
今年も花東は全国制覇を狙って
甲子園に乗り込みます。
涼平クンら先輩が成し得なかっ
た全国制覇。
是非実現して欲しい。
花東の野球はこんなに素晴らしい
んだということを全国に知らしめ
て欲しいと思っています。
センバツは花巻東の戦いぶりに
是非ご注目ください。
生で観戦できるのなら是非球場で。
観ているこちらも楽しくなる。
そして応援したくなる。
花東はそんなチームなんです。
最後に
天国の涼平クン
キミが出て以来のセンバツだ
後輩たちはやってくれる
きっとキミの無念を晴らしてくれる
天国で安心して観ててくれ
改めて、佐藤涼平クンのご冥福を
お祈り申し上げます。
決まり、球春本番を迎えます

岩手代表 花巻東は強豪大阪桐蔭
と決まりました

花東はセンバツ直前の関西遠征で
報徳学園など強豪校と6試合を行
い全勝したそうです。
大谷次第ですが、かなり仕上がり
は良さそうですね

これはかなり期待できそうです

ところで、唐突ですが佐藤涼平クン
をご存知でしょうか

高校野球ファンなら知っている方も
多いと思います。
3年前、雄星とともにセンバツ準V
に輝いたときの2番センターを守って
いた選手です。
ご存知ない方はこちらを

涼平クンは震災で大きな被害のあった
沿岸の宮古の生まれ。
幼い頃に父親を亡くし、母子家庭で
育ちました。
身長155cm。
恐らく、当時甲子園出場選手の中では
最低身長だったと思います。
ナイナイの岡村に似て、可愛い顔した
選手でした。
花東といえば、県内の有力選手が集
まる強豪校です。
涼平クンより身体も大きく、実力も
上の選手ばかり。
涼平クンは、自分の生きる道を模索
します。
そして、習得したのが動画にもある
ファールにする技術。
それと、俊足を生かした走塁の技術
でした。
私も涼平クンのファール打ちを生で
観たことがあります。
投球を自分の懐のギリギリのところ
まで引き込みます。
そして、見事なまでに3塁ベンチに
打ち込むのです。
ファールが放たれる度に、”オー”
っていう歓声が上がっていたのを
憶えています。
相手投手は、長距離打者以上に、
こういう打者はイヤでしょうね。
涼平クンは花東卒業後、日体大へ
進学します。
そして、大学2年生だった昨年の
7月でした。
信じられない突然の悲報が・・・。
”佐藤涼平自殺”
野球部寮の近くの路上で首を吊った
そうです。
ホント信じられませんでした・・・。
でも、なぜ・・・

ちまたでは、
高校時代とのギャップに耐えられなかった
とか
周囲のいじめに遭っていた
とか・・・
いろいろとうわさはあります。
これはあくまでも私の憶測です。
高校時代とのギャップ。
これについて述べるならば・・・。
あまりにも理想の教育環境に身を
置いていた涼平クン。
しかし、社会は必ずしもそういう
ところばかりではありません。
いろいろな人間がいます。
そして、いろいろな思想が存在
します。
理想と現実のギャップに耐えられ
なかったのではないかという見方
があります。
ここで、花東野球をご紹介します。
花東野球は一言でいうと
”真っ直ぐな野球”
花東は全てにおいての日本一を目指
しています。
練習への取り組み方はもちろんのこと、
あいさつ、整理整頓、全てにおいて
です。
そして当たり前のことを当たり前に
やることをとにかく徹底します。
それが”気づき”を生み、信頼関係
を生み、自信を生み、強い精神を育む。
佐々木監督の指導方針です。
ゆえに花東の全力疾走とカバーリン
グは有名です。
”そこまでやるか”を花東はやるん
です。
それは実際の試合を観ていれば分か
ります。
内野ゴロで一塁駆け抜けた後でも
スピードを緩めません。
また、カバーリングはただ走って
移動するだけでなく、しっかり捕球
体制に入ります。
全力疾走は相手へプレッシャーを
かけます。
またはカバーリングは、仲間への
安心感を生みます。
だから、エラーを恐れずに果敢に
プレーできるのです。
得てして無駄に終わるカバーリング。
でも、万が一のために彼らは徹底
するのです。
”小事が大事を生む”
だから、小さいことを積み重ねる
ことにこだわるのです。
そしてベンチでの雰囲気は狂気。
味方が凡退しようが、打たれようが、
笑顔でハイタッチです。
それは、戻ってくる伝令ともやるのです。
”良い流れを呼ぶ”
”運を味方に付ける”
たとえ、相手との戦力差があろうが、
それを取り組む姿勢でカバーする。
とにかく、元気がある
とにかく、楽しんでいる
花東野球は観ていて元気をもらえるし、
私にとっては
”This is the baseball”
地元からも愛される岩手県出身の選手
だけで構成される”戦う集団”です。
涼平クンは、そんな花東野球を象徴
するような選手でした。
そんな環境で育った涼平クンは、世の
中そんなところばかりではないという
ことを知ったのかも知れません。
それは一点の曇り(理不尽さ)もない
指導をされてきた涼平クンにとって
はかなり悩んだのではないか。
そういう話も聞こえてくるのです。
また、いじめという説。
これもあくまでも憶測です。
高校時代甲子園出場。
そして春準V、夏4強という実績を
引っ下げての進学だったわけです。
当然それを妬む人間もいたことで
しょう。
得てして野球強豪校出身の選手は
レギュラーになるため、仲間を蹴
落とすことばかり考えている。
仲間がケガをすればよいとまで
考える輩がいると聞きます。
仲間を大切にし、仲間と共に協力
して一つの目標に向かって精進
すること・・・。
こういった、スポーツの崇高な
精神がどこかへ行ってしまって
いるのです。
そういう歪んだ人間関係は
いじめをも生み出すことでしょう。
日体大の”いじめ体質”についても
報道しているメディアがありました。
涼平クンはそれに巻き込まれてし
まったのではないかと・・・。
動画にもありますが、ケガで一
旦下がった後、場内の拍手ととも
に笑顔で守備位置に走る涼平クン。
そしてホッと胸をなで下ろす母親。
そんな光景を見るたび、私は涙が
止まりません。
なぜ、20歳の若さで逝ってしま
ったのか・・・。
人生まだまだこれからだったの
に・・・。
本当に、本当に無念でなりません。
今年も花東は全国制覇を狙って
甲子園に乗り込みます。
涼平クンら先輩が成し得なかっ
た全国制覇。
是非実現して欲しい。
花東の野球はこんなに素晴らしい
んだということを全国に知らしめ
て欲しいと思っています。
センバツは花巻東の戦いぶりに
是非ご注目ください。
生で観戦できるのなら是非球場で。
観ているこちらも楽しくなる。
そして応援したくなる。
花東はそんなチームなんです。
最後に
天国の涼平クン
キミが出て以来のセンバツだ
後輩たちはやってくれる
きっとキミの無念を晴らしてくれる
天国で安心して観ててくれ

改めて、佐藤涼平クンのご冥福を
お祈り申し上げます。