PART6の今回はこのシーンです
【この場面のあらすじ】
地区予選決勝での青葉学院のルール違反による再戦、事実上の日本一を決める戦いが始まります。
青葉のスタメンはもちろん全員が一軍。
一方の墨谷はエース松下を負傷で欠いているため、イガラシが先発のマウンドに登ります。
墨谷ナインは事実上の決勝戦という緊張感から自分のプレーができず、初回からミスを連発してしまいます。
青葉に序盤から大量リードを許す苦しい展開。
そんな中、谷口が投球練習を行いますが、その見事な投球ぶりに青葉ナインは動揺を隠せずペースを乱していきます。
徐々に墨谷ナインも平常心を取り戻し、青葉の動揺につけ込んで反撃を開始します。
しかし反撃ムードの折、守備の際に谷口がファールボールを追ってベンチに飛び込み、右手人差し指の爪をはがしてしまいますが、それが後になって骨折していたことが分かります。
谷口の気迫溢れるプレーに感化され、青葉への反撃を強めていく墨谷ナインはとうとう試合を引っくり返してしまいます。
そして迎えた最終回もツーアウト。
イガラシは既に精神的にも体力的にも限界にきていました。
しかし、青葉は容赦しません。
わざとファールにして、イガラシを追い詰めていきます。
イガラシの疲労ぶりに見かねた谷口は、イガラシの代わりに負傷を押してマウンドに上がります。
まともな投球ができないことは百も承知での登板です。
しかし、そんな谷口に対しても青葉は容赦せずファールで逃げます。
そんな汚い青葉のやり方に青葉の応援団からもブーイングングが・・・。
結局最後は青葉も勝負することに・・・。
そして打った打球はセンターへ。
しかし、センターの浅間は立てないほど疲れきっていて、フェンスに横たわっている状態で、打球にも気づいていません。
これがヒットになれば青葉のサヨナラ勝ちになってしまいます。
塁上のランナーはその間にもどんどん生還していきます。
そんな浅間の状況に気づいた墨谷ナインは、全員がその打球を追ってセンターへ走ります。
最後はセカンドの丸井がボールが落ちる寸前で捕球しゲームセット。
墨谷二中は強豪青葉学院を破り、真の日本一の栄冠を手にしたのでした。
原作では、谷口が打ってイガラシがホームインしてサヨナラ勝利というストーリーなのですが、最後はやはりしびれました
センターの浅間の状況を知った墨谷ナインは、1個のボールに向かって全員でそれを捕りに走ります。
この全員で仲間をフォローする姿。
美しいですね
「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン」
という言葉がありますね。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」
このチームプレーの精神を「キャプテン」は教えてくれます。
ちなみに「ワン・フォー・オール(一人はみんなのために)」の訳は正しいようですが、
「オール・フォー・ワン(みんなは一人のために)」
の部分の実際の訳は
「みんなは勝利のために」
らしいですね。
キャプテン谷口一人では勝てません。
または、オールマイティープレーヤーで天才型のイガラシ一人いても勝てないのが野球。
それぞれが力的には劣っていても、1+1が2にも3にもなる。
いわゆる、誰一人価値のない人間はいないのです。
それがチーム、あるいは組織の存在意義であり、チームプレーの素晴らしさだと思います。
一人一人が勝利に向かって自立的に進むこと。
つまり、他人に依存することなく自分の持ち味を発揮し、やれることを精一杯やること。
即ち「プロセス」が重要だと思うのです。
「勝つこと」そのものが重要なわけではないのです。
そこに向かう、それぞれの思いの強さと行動だと思うのです。
このシーンの中で、青葉の部長と佐野(打者)とのやり取りがありましたね。
「目的は勝つ以外にない」ということをこの部長は言ってます。
そして「満足感とは勝った者だけが得られるものだ」とも・・・。
私は「違うだろ
とツッコミ入れたくなりますね
目標は勝つことであっても、「目的」ではないはず。
なぜ野球をやっているのかと聞かれたら「勝つためにやってます」とでもいうのでしょうか
それだったら、野球じゃなくてもいいでしょう。
その勝ちにどれだけの価値があるのか
「勝つ」ことはあくまでも結果。
大切なのはそこに向かう「プロセス」なのだと私は思います。
また、勝った者だけしか満足感が得られないというのも
現に勝負することを許してもらった佐野は生き生きとしているではありませんか
勝って満足も当然ありますが、それは全力で自分のたちの野球をやりきったことが前提条件になるはずです。
汚いやり方で勝っても満足するのは大人だけです。
いずれにしても大人の論理を押し付けているに過ぎないように思います。
青葉の野球は、昨今の青少年スポーツの大人と子供たちの関係を映し出しているようにも思えます。
また、勝負することを許してもらった佐野は
「許してもらった監督のために絶対打つ」
と言ってますね。
この瞬間、部長と佐野の間にちょっとした信頼関係が生まれました。
そう、これなんです
選手を信頼して任せることで、選手のモチベーションは上がります。
そして、相手に向かっていく集中力が生まれます。
やはり、指導者と選手の信頼関係が全てだと思うのです。
それを築けない指導者は、指導者としての資格はないと思っています。
さて、次回は最後のシーンになりますが、原作には一切なかった部分です。
裏ではこんなことがあったんだと改めてジーンときました

【この場面のあらすじ】
地区予選決勝での青葉学院のルール違反による再戦、事実上の日本一を決める戦いが始まります。
青葉のスタメンはもちろん全員が一軍。
一方の墨谷はエース松下を負傷で欠いているため、イガラシが先発のマウンドに登ります。
墨谷ナインは事実上の決勝戦という緊張感から自分のプレーができず、初回からミスを連発してしまいます。
青葉に序盤から大量リードを許す苦しい展開。
そんな中、谷口が投球練習を行いますが、その見事な投球ぶりに青葉ナインは動揺を隠せずペースを乱していきます。
徐々に墨谷ナインも平常心を取り戻し、青葉の動揺につけ込んで反撃を開始します。
しかし反撃ムードの折、守備の際に谷口がファールボールを追ってベンチに飛び込み、右手人差し指の爪をはがしてしまいますが、それが後になって骨折していたことが分かります。
谷口の気迫溢れるプレーに感化され、青葉への反撃を強めていく墨谷ナインはとうとう試合を引っくり返してしまいます。
そして迎えた最終回もツーアウト。
イガラシは既に精神的にも体力的にも限界にきていました。
しかし、青葉は容赦しません。
わざとファールにして、イガラシを追い詰めていきます。
イガラシの疲労ぶりに見かねた谷口は、イガラシの代わりに負傷を押してマウンドに上がります。
まともな投球ができないことは百も承知での登板です。
しかし、そんな谷口に対しても青葉は容赦せずファールで逃げます。
そんな汚い青葉のやり方に青葉の応援団からもブーイングングが・・・。
結局最後は青葉も勝負することに・・・。
そして打った打球はセンターへ。
しかし、センターの浅間は立てないほど疲れきっていて、フェンスに横たわっている状態で、打球にも気づいていません。
これがヒットになれば青葉のサヨナラ勝ちになってしまいます。
塁上のランナーはその間にもどんどん生還していきます。
そんな浅間の状況に気づいた墨谷ナインは、全員がその打球を追ってセンターへ走ります。
最後はセカンドの丸井がボールが落ちる寸前で捕球しゲームセット。
墨谷二中は強豪青葉学院を破り、真の日本一の栄冠を手にしたのでした。
原作では、谷口が打ってイガラシがホームインしてサヨナラ勝利というストーリーなのですが、最後はやはりしびれました

センターの浅間の状況を知った墨谷ナインは、1個のボールに向かって全員でそれを捕りに走ります。
この全員で仲間をフォローする姿。
美しいですね

「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン」
という言葉がありますね。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」
このチームプレーの精神を「キャプテン」は教えてくれます。
ちなみに「ワン・フォー・オール(一人はみんなのために)」の訳は正しいようですが、
「オール・フォー・ワン(みんなは一人のために)」
の部分の実際の訳は
「みんなは勝利のために」
らしいですね。
キャプテン谷口一人では勝てません。
または、オールマイティープレーヤーで天才型のイガラシ一人いても勝てないのが野球。
それぞれが力的には劣っていても、1+1が2にも3にもなる。
いわゆる、誰一人価値のない人間はいないのです。
それがチーム、あるいは組織の存在意義であり、チームプレーの素晴らしさだと思います。
一人一人が勝利に向かって自立的に進むこと。
つまり、他人に依存することなく自分の持ち味を発揮し、やれることを精一杯やること。
即ち「プロセス」が重要だと思うのです。
「勝つこと」そのものが重要なわけではないのです。
そこに向かう、それぞれの思いの強さと行動だと思うのです。
このシーンの中で、青葉の部長と佐野(打者)とのやり取りがありましたね。
「目的は勝つ以外にない」ということをこの部長は言ってます。
そして「満足感とは勝った者だけが得られるものだ」とも・・・。
私は「違うだろ


目標は勝つことであっても、「目的」ではないはず。
なぜ野球をやっているのかと聞かれたら「勝つためにやってます」とでもいうのでしょうか

それだったら、野球じゃなくてもいいでしょう。
その勝ちにどれだけの価値があるのか

「勝つ」ことはあくまでも結果。
大切なのはそこに向かう「プロセス」なのだと私は思います。
また、勝った者だけしか満足感が得られないというのも

現に勝負することを許してもらった佐野は生き生きとしているではありませんか

勝って満足も当然ありますが、それは全力で自分のたちの野球をやりきったことが前提条件になるはずです。
汚いやり方で勝っても満足するのは大人だけです。
いずれにしても大人の論理を押し付けているに過ぎないように思います。
青葉の野球は、昨今の青少年スポーツの大人と子供たちの関係を映し出しているようにも思えます。
また、勝負することを許してもらった佐野は
「許してもらった監督のために絶対打つ」
と言ってますね。
この瞬間、部長と佐野の間にちょっとした信頼関係が生まれました。
そう、これなんです

選手を信頼して任せることで、選手のモチベーションは上がります。
そして、相手に向かっていく集中力が生まれます。
やはり、指導者と選手の信頼関係が全てだと思うのです。
それを築けない指導者は、指導者としての資格はないと思っています。
さて、次回は最後のシーンになりますが、原作には一切なかった部分です。
裏ではこんなことがあったんだと改めてジーンときました
