「一生懸命(いっしょうけんめい)」かお

私が大好きな言葉の一つです笑1

全力で物事に取り組む姿勢というのは
やはり美しい。

人の心を打ちますよねキラキラ



ただ、この「一生懸命」は本来は

「一所懸命(いっしょけんめい)」

らしく、戦国時代の武士たちがご先祖の所
領を命懸けで守ったことに由来するそうで
、切羽詰まった状態にも使われたそうです。

その後、「命懸けでやる」という意味だけが
残り、「一所」が「一生」になったとのこと。

どちらを使っても意味としては間違いでは
ないようです。

いずれも、いわゆる「頑張る」ってこと。



これはあくまでも私の勝手な解釈という
前提で、以下に書いていきます。



敢えて「一所」と「一生」の違いを言うなら
ば、視野の違いではないかと私は思います。



「一所」は視野は狭い。

とにかく、目の前のことに全力を尽くすと
いうイメージです。

「一生」は視野が広い。

先を見通して、生涯にわたって尽くしていく
ことだと思うのです。



子供たちは今の段階では「一所」の方の懸
命でよいと思います。

この「一所」が、そのうち「一生」に変わって
いくはず。

一方、経験もあり見識もある大人は「一所」
の懸命もありつつ、「一生」の方の懸命であ
るべきだと思います。



よって子供たちには、今の段階で多くを要求
しては「一所」についても懸命になれなくなる
ことでしょう。

集中力と創造性を奪ってしまう可能性があ
るからです。



まずは大好きな目の前のことを懸命にやる
こと。

そう、好きではないと一所懸命にはなれない
のです。

だからこそ、大人が必要以上にあれこれ言っ
てはいけないのです。

子供たちの「大好き」と「やる気」を取り上げて
しまうと、もう一所懸命にはなれなくなります。



例えば、こんなことを子供たちに言ったり
しないでしょうか

「そんなことじゃ中・高じゃ通用しないぞ

とか

「今からたくさん練習しないとプロには
なれないぞ



まずネガティブな言葉の時点でアウトで
すが、

「先がたいへんだから、今がんばれ」

っていう意味の言葉では、子供の背中を
押しているのではなく、結果足を引張っ
ているにすぎないと思うのです。



一見、子供の幸せを願っているがゆえの
思いや激励にもみえるのですが、私はそ
うは思えません。

実は言っている大人自身の幸せではな
いのかと・・・。

それが、本当に子どもにとって最高の幸
せの形なのかと・・・。

夢や希望を押し付けてやしないかと・・・。

子供としっかりコミュニケーションが取れ
ていて、子供自身の夢でもあるならばよ
いのです。

ただ、結果的に子供にそう言わせている
ということがなければよいのです。



子供にとっての本当の幸せとは、親が無
理に敷いたレールの上を走ることではあ
りません。

自分自身で主体的に選んだ道を歩むこ
とだと思うのです。

主体的に選ぶ道は、その子が好きなこと
、やりたいことなのです。



好きなことは誰でも一所懸命になるわけ
で、その状況こそがまさに「幸せ」であり、
至福の証しではないでしょうか

まさに「夢中」の状態ですよね。

そのきっかけを与えてあげるのが大人な
のだと思うのです。

偉そうに指図するのが大人ではありません。



この「一所懸命」の積み重ねが、子供自
身の夢を育て、やがて「一生懸命」になっ
ていくのだと思います。

そのためには、大人はヤジ将軍ではなく、
心からのサポーターであって欲しいのですかお



子供たちの「一所懸命」を見守り、失敗に対
して

「そんなの、どってことないよ

「次はできるよ

って、「一生懸命」に背中を押してあげて欲し
いのです。

そうすれば、子供たちは失敗を糧にしていけ
るはず。

その必要がなくなったときは、子供たちは既
に自分の本当の幸せ(夢)に向かって自律し
て進む人間になっていることでしょうおぉ!