子供たちはネガティブな結果を恐れ、
本来持っている野球の楽しさを実感
できずにプレーしています。
私も過去ログで書いてきましたが、
これはまぎれもなく
「勝利至上主義」
を方針としたチーム作りを優先する
大人の責任であることは間違いあり
ません。
人間がやることだからミスは日常的
に起こるものであるはずです。
勝ち負けだって、1対1での勝負だから
どちらかが勝って、どちらかが負けるわ
けです。
だから、どちらになるか確率は50%。
高い確率ですよね。
なのにそれが許されない環境下で育
ってきた子供たちは、負けることやミ
スに対して厳しく叱責されてきました。
勝つことが全てと考える指導者は全く
容赦はありません。
負けやそれに繋がるミスをしたことに
対し、厳しく戒め、挙句の果ては体罰
を与えます。
勝利至上主義者は、そうやって自らの
指導の稚拙さを棚に上げ、やりたい放
題・・・。
これって、ある意味子供という弱者を
よいことにいじめ、あるいは虐待をして
いるのと同じですよね
そういう経験を繰り返してきた子供たち
はどういう行動を取るでしょうか
自分が戦犯扱いされるのは耐え難い
わけですから、自然に「保身」へと心
は働きます。
ゆえに極力失敗を避けるような思い切
りのないプレーをするような思考回路
ができあがります。
怒鳴られるくらいなら、初めから無難
に済ませた方がよい。
すでに、自分のための野球ではなく、
監督・コーチが満足する都合の良い
野球に成り下がっています。
これでは、子供たちは一人の人格あ
る人間としてではなく、奴隷やロボット
に等しい扱いをされているも同然。
子供たちから野球の楽しみを取り上
げ、勝ちたいという薄っぺらい自己
満足のためにそれを利用する大人。
そんな独善的な指導者が未だに多
く存在しているという現実。
それこそが、日本のスポーツ界を衰
退させてしまっている原因の一つに
なっているような気がしてなりません。
オリンピックなどの国際大会でのここ
一番の日本人アスリートの勝負弱さ。
これは幼い頃から勝つこと、結果を残
すことこそ全てという環境の中で育っ
てきた弊害ではないかと思うのです。
本来はスポーツをして感じる達成感や
、もっと上手くなりたいという向上心を
醸成していって欲しいはずなのです。
でも、そういう環境で育ってきた子に
とっては、スポーツとは
「辛く、苦しい人生修行」
という価値観しかありません。
大人がそういう価値観を植え付けてし
まっているのです。
だから心の底から楽しめず、大舞台
では
「負けたら、ミスしたらどうしよう・・・」
という呪縛に苛まれ、いざというところ
での勝負弱さを露呈してしまうのです。
だからこそ大人はスポーツとは楽しい
もの、心からワクワクするものだという
ことを子供たちに伝えなければなりません。
大人が目先の勝利にこだわり、リスクを避
けるような戦術に終始することで、子供たち
もそういう術を自ずと身に付けていくのです。
つまり、前回書いたような「逃げる」子供
たちが出来上がっていくということなのです。
逃げていては何も始まりません。
まずは大人が大きく方針転換する必要が
あります。
勝利至上主義から
「挑戦奨励主義」
への転換です
失敗に寛容になり、チャレンジすることを
奨励する考えです。
そうすることで子供たちが自ら考え、自ら
の意志で決断し、勇気を持ってプレーす
る・・・。
結果はどうであれ、チャレンジしたことを
評価する環境こそが、子供たちにとって
の最良の環境だと思っています。
ここで私が述べているのは、決して勝つ
ことを目指すことがよくないということで
はありません。
勝つことを目指すということは、大きなモ
チベーションになることは確かですし、そ
れもまたスポーツの本質だと思っています。
あくまでも、勝つことを目指す中で、失敗を
恐れずにチャレンジすることを奨励してあげ
て欲しいということなのです。
そして、チャレンジが失敗に終わったとして
も、そのことを認めてあげて欲しいのです。
そうすることで、子供たちは失敗を糧にして、
さらに飛躍していくのだと思っています。
本来持っている野球の楽しさを実感
できずにプレーしています。
私も過去ログで書いてきましたが、
これはまぎれもなく
「勝利至上主義」
を方針としたチーム作りを優先する
大人の責任であることは間違いあり
ません。
人間がやることだからミスは日常的
に起こるものであるはずです。
勝ち負けだって、1対1での勝負だから
どちらかが勝って、どちらかが負けるわ
けです。
だから、どちらになるか確率は50%。
高い確率ですよね。
なのにそれが許されない環境下で育
ってきた子供たちは、負けることやミ
スに対して厳しく叱責されてきました。
勝つことが全てと考える指導者は全く
容赦はありません。
負けやそれに繋がるミスをしたことに
対し、厳しく戒め、挙句の果ては体罰
を与えます。
勝利至上主義者は、そうやって自らの
指導の稚拙さを棚に上げ、やりたい放
題・・・。
これって、ある意味子供という弱者を
よいことにいじめ、あるいは虐待をして
いるのと同じですよね

そういう経験を繰り返してきた子供たち
はどういう行動を取るでしょうか

自分が戦犯扱いされるのは耐え難い
わけですから、自然に「保身」へと心
は働きます。
ゆえに極力失敗を避けるような思い切
りのないプレーをするような思考回路
ができあがります。
怒鳴られるくらいなら、初めから無難
に済ませた方がよい。
すでに、自分のための野球ではなく、
監督・コーチが満足する都合の良い
野球に成り下がっています。
これでは、子供たちは一人の人格あ
る人間としてではなく、奴隷やロボット
に等しい扱いをされているも同然。
子供たちから野球の楽しみを取り上
げ、勝ちたいという薄っぺらい自己
満足のためにそれを利用する大人。
そんな独善的な指導者が未だに多
く存在しているという現実。
それこそが、日本のスポーツ界を衰
退させてしまっている原因の一つに
なっているような気がしてなりません。
オリンピックなどの国際大会でのここ
一番の日本人アスリートの勝負弱さ。
これは幼い頃から勝つこと、結果を残
すことこそ全てという環境の中で育っ
てきた弊害ではないかと思うのです。
本来はスポーツをして感じる達成感や
、もっと上手くなりたいという向上心を
醸成していって欲しいはずなのです。
でも、そういう環境で育ってきた子に
とっては、スポーツとは
「辛く、苦しい人生修行」
という価値観しかありません。
大人がそういう価値観を植え付けてし
まっているのです。
だから心の底から楽しめず、大舞台
では
「負けたら、ミスしたらどうしよう・・・」
という呪縛に苛まれ、いざというところ
での勝負弱さを露呈してしまうのです。
だからこそ大人はスポーツとは楽しい
もの、心からワクワクするものだという
ことを子供たちに伝えなければなりません。
大人が目先の勝利にこだわり、リスクを避
けるような戦術に終始することで、子供たち
もそういう術を自ずと身に付けていくのです。
つまり、前回書いたような「逃げる」子供
たちが出来上がっていくということなのです。
逃げていては何も始まりません。
まずは大人が大きく方針転換する必要が
あります。
勝利至上主義から
「挑戦奨励主義」
への転換です

失敗に寛容になり、チャレンジすることを
奨励する考えです。
そうすることで子供たちが自ら考え、自ら
の意志で決断し、勇気を持ってプレーす
る・・・。
結果はどうであれ、チャレンジしたことを
評価する環境こそが、子供たちにとって
の最良の環境だと思っています。
ここで私が述べているのは、決して勝つ
ことを目指すことがよくないということで
はありません。
勝つことを目指すということは、大きなモ
チベーションになることは確かですし、そ
れもまたスポーツの本質だと思っています。
あくまでも、勝つことを目指す中で、失敗を
恐れずにチャレンジすることを奨励してあげ
て欲しいということなのです。
そして、チャレンジが失敗に終わったとして
も、そのことを認めてあげて欲しいのです。
そうすることで、子供たちは失敗を糧にして、
さらに飛躍していくのだと思っています。