ダメ指導者が子供たちに望むこととは
どういうものが挙げられるでしょう

自分の言うことを聞くこと(口答えしないこと)。

自分の思った通りに動くこと。

自分を機嫌良くさせること。

・・・。

つまり、自分の都合の良いように動く
ことを望んでいることと思います。

自分が満足いけばそれでよいのです。

要するに自分の野球ロボットになること
を望んでいるのです。

子供たちのことはどこへ追いやってしま
ったのでしょうか


こういう類のバカ指導者は自分のイメー
ジしたプレーやチームのありた方にはめ
ようと頑張ります。

そして、その通りにならないとイライラし
ます。

精神的・肉体的暴力を振るい、挙句の果
ては上手くできない子=落第者のレッテ
ルを貼ってしまいます。



そういう環境で育ってきた子たちはどうな
るでしょうか

恐らく、指導者の機嫌を損ねないような、
指導者が喜ぶ「良い子」になってしまい
ます。

そして、常に萎縮した状態で、思い切っ
たプレーも出来ず、何事も無難に収め
ることに終始します。

だから、考える力も育たず、全て指示が
ないと動けない「チャイルドロボット」が誕
生してしまうのです。

「没個性教育」の成れの果てでしょう。

そもそも子供たちがスポーツをやる意義
とは何かを今一度考える必要があると思
います。



私は、一人の人間として自立し、将来社
会の一員として生きて行くための素養を
身に付ける場だと考えます。

つまり、その子の持っている個性を確立
し、その中で自己判断や自己コントロー
ルができることが望まれます。

決して、「大人の言うことを聞く従順な子」
を育てることが目的ではないと考えます。



ゆえに大人の価値観を押し付けるのでは
なく、その子自身の価値観を確立させて
あげること。

そして、子供自身が自律的に動けるように
導いていくことが必要だと思うのです。

その為には、子供たちに考えさせること。

そして失敗を恐れず行動させてあげること。

良くも悪くも、その子をまるごと認めてあげ
ることだと思います。

つまり、人としての「個」を引き出し、それを
大切にする指導が最も理想と考えます。



とかく、日本でのスポーツ活動においての
考え方として、「個」を出すことをよしとしな
いという風潮があるのではないでしょうか。

即ち、チームのため、学校のため、会社の
ため、国のために自分を殺して尽くすことが
美徳とされてきた。

それが、独裁的な指導者を生む背景にも
なっているような気がします。

だから、上からの命令・指示は絶対、どんな
理不尽なことも従わなければならない・・・。

これではまるで軍隊ではないですか・・・自衛隊

そのことがスポーツの目的ではないはずかお



例えば、バントのサインが出ている状況。

打者の子は、相手守備陣の極端な前進守
備を見て、バントは適当でないと自ら判断
してヒッティングに変えたとします。

これは、監督の指示に背いた形にはなりま
すが、自ら考えて行動したその子を私なら
認めてやりたいと思います笑1

例え失敗して重殺を食らったとしてもです。

あるいは、それが勝負を決する重要なプレ
ーだったとしてもです。



そのプレーで、その子の成長を感じ取るこ
とができたことが何よりの収穫ですからね笑1

私なら、こういった場合指導者冥利に尽き
ると、手を叩いて喜びますねwa-i*



恐らく、私のブログを読んで

「きれいごとを語っているだけだ」

「理想論に過ぎない」

「現実をもっと子供たちに学ばせるべきだ」

と感じる方もいると思います。



ですが、我々大人が理想を追わないという
のは単なる言い訳で、それこそが最大の怠
慢のように思います。

確かに現実も大切です。

でも、理想を追い求めるプロセスが大切で
はないかと私は思います。

その追い求めた結果が良くも悪くも現実と
なっているだけに過ぎません。

ゆえに理想もなく、先に現実ありきで物事を
進めるのは適切ではないと思います。

また、現実が大切だと最もらしく言う人ほど、
往々にして理想のかけらも持っていない輩
が多いように思います。



それに我々大人が、勝利とか名誉とかの獲
得のために理想を封印してしまったらどうな
るでしょうか

そんな背中を見て育つ子供たちが、将来こ
の日本を素晴らしい国に作り上げていくこと
ができるのでしょうか

まずは、子供どうこう言うよりも大人自身が
省みる点が多く存在するように思われます。