年の瀬、みなさんいかがお過ごしでし
ょうか
この時期は、今年を振り返っていらっし
ゃる方も多いかと思います。
今年の最大の出来事としては、やはり
東日本大震災を抜きには語ることはで
きません。
私の知人のご両親やご親戚の方たち
が家ごと流されたりなど、悲惨な話を
耳にするたびに心痛の思いでした
幸い私の住んでいるところは内陸の
ため、食器破損や電化製品が倒れた
り、1~2日の停電や断水で済みました。
一時的な物資不足より、周辺のお店は
軒並み閉店し、一時的な開店時に物資
を求めて並んだりもしました。
でも、沿岸の状況の比ではありません。
これは以前ブログでご紹介した菅原さん
が、大船渡で被災された時の状況をMF
T佐藤さんのブログに投稿したコメントです。
きっかけ作り 2011.4.7大船渡 菅原さん
スクロールして、4月7日の投稿をご覧
ください。
(佐藤さんの記事「親が子どもに伝えるべ
きこと」もジーンとくる内容ですのでこちら
の方もご覧ください
)
私はこれをプリントアウトして、今シーズ
ンの最初の練習時に子供たちに渡し、読
み聞かせました。
同じ被災県に住んでいる者として、そうい
う生活をしている人たちがいるということ。
また、同じく野球が大好きな少年たちが
野球をやりたくてもできない状況にある
こと。
この生々しい状況を是非子供たちに伝
えたかったのです。
だから、今できることを精一杯楽しんで
やろうと・・・。
そして子供たちの気づきを引き出したい
と・・・。
今シーズンは被災地への方々への黙祷
と、この読み聞かせからスタートしました。
菅原さんはコメントの中で
「当たり前のことが当たり前にできること
の素晴らしさに気づいた」
あるいは
「感謝することが足りない自分に気づいた」
と仰っています。
もちろんお子さんたちもそうでしょうし、
被災された方々はみなさん、そういう
境地かと想像します。
壮絶なご経験をされたからこそ、心の
底から実感されたことなのでしょう。
そして、その言葉には説得力があります。
ただ、震災から数ヶ月経った今、あまりに
も「感謝」とか「絆」とかいう言葉が流行
語化し、重みが薄れているような気が・・・。
メディアがこぞって使っているせいなのか、
「感謝しよう(感謝しなさい)」
「絆が大事(みんなでつながろう)」
的な感じで、CMや学校の行事などでも
多用されているような気がします。
あまりにもその言葉が当たり前になると、
そうのうち何も感じなくなってしまうこと
が怖いと私は思っています。
第一、「感謝」なんていうのは強制されて
思うものでもはなく、自然に湧き上がって
くる感情ですからね。
ましてや感謝することが大事、感謝しな
さいという大人自身が本心からそれを感
じて行動しないと何の説得力もありません。
うわべなんかすぐバレてしまいますから。
子供たちへの指導と同じで、「~しろ」と
か「~ねばならない」では、子供たちの
気づきを引き出すことはできないでしょう。
私は菅原さんのコメントを読んで聞かせた
後に、子供たちに素直な感想を聞いてみま
した。
話すことで、あるいは他の子の話を聞くこ
とで気づきが生まれると思ったからです。
ここで、
「だから感謝して野球しなければならない」
とか
「野球できることに感謝しなさい」
とか、一方的に話しても恐らくあまり伝わ
らないのではないかと思います。
特に「感謝」の気持ちは子供たちみんなに
心の底から感じて欲しいです。
ゆえに、決して言葉遊びのレベルになって
しまってはいけない・・・。
大人がしっかりと伝える責任を感じて欲し
いと思っています
ょうか

この時期は、今年を振り返っていらっし
ゃる方も多いかと思います。
今年の最大の出来事としては、やはり
東日本大震災を抜きには語ることはで
きません。
私の知人のご両親やご親戚の方たち
が家ごと流されたりなど、悲惨な話を
耳にするたびに心痛の思いでした

幸い私の住んでいるところは内陸の
ため、食器破損や電化製品が倒れた
り、1~2日の停電や断水で済みました。
一時的な物資不足より、周辺のお店は
軒並み閉店し、一時的な開店時に物資
を求めて並んだりもしました。
でも、沿岸の状況の比ではありません。
これは以前ブログでご紹介した菅原さん
が、大船渡で被災された時の状況をMF
T佐藤さんのブログに投稿したコメントです。
きっかけ作り 2011.4.7大船渡 菅原さん
スクロールして、4月7日の投稿をご覧
ください。
(佐藤さんの記事「親が子どもに伝えるべ
きこと」もジーンとくる内容ですのでこちら
の方もご覧ください

私はこれをプリントアウトして、今シーズ
ンの最初の練習時に子供たちに渡し、読
み聞かせました。
同じ被災県に住んでいる者として、そうい
う生活をしている人たちがいるということ。
また、同じく野球が大好きな少年たちが
野球をやりたくてもできない状況にある
こと。
この生々しい状況を是非子供たちに伝
えたかったのです。
だから、今できることを精一杯楽しんで
やろうと・・・。
そして子供たちの気づきを引き出したい
と・・・。
今シーズンは被災地への方々への黙祷
と、この読み聞かせからスタートしました。
菅原さんはコメントの中で
「当たり前のことが当たり前にできること
の素晴らしさに気づいた」
あるいは
「感謝することが足りない自分に気づいた」
と仰っています。
もちろんお子さんたちもそうでしょうし、
被災された方々はみなさん、そういう
境地かと想像します。
壮絶なご経験をされたからこそ、心の
底から実感されたことなのでしょう。
そして、その言葉には説得力があります。
ただ、震災から数ヶ月経った今、あまりに
も「感謝」とか「絆」とかいう言葉が流行
語化し、重みが薄れているような気が・・・。
メディアがこぞって使っているせいなのか、
「感謝しよう(感謝しなさい)」
「絆が大事(みんなでつながろう)」
的な感じで、CMや学校の行事などでも
多用されているような気がします。
あまりにもその言葉が当たり前になると、
そうのうち何も感じなくなってしまうこと
が怖いと私は思っています。
第一、「感謝」なんていうのは強制されて
思うものでもはなく、自然に湧き上がって
くる感情ですからね。
ましてや感謝することが大事、感謝しな
さいという大人自身が本心からそれを感
じて行動しないと何の説得力もありません。
うわべなんかすぐバレてしまいますから。
子供たちへの指導と同じで、「~しろ」と
か「~ねばならない」では、子供たちの
気づきを引き出すことはできないでしょう。
私は菅原さんのコメントを読んで聞かせた
後に、子供たちに素直な感想を聞いてみま
した。
話すことで、あるいは他の子の話を聞くこ
とで気づきが生まれると思ったからです。
ここで、
「だから感謝して野球しなければならない」
とか
「野球できることに感謝しなさい」
とか、一方的に話しても恐らくあまり伝わ
らないのではないかと思います。
特に「感謝」の気持ちは子供たちみんなに
心の底から感じて欲しいです。
ゆえに、決して言葉遊びのレベルになって
しまってはいけない・・・。
大人がしっかりと伝える責任を感じて欲し
いと思っています
