私自身を変えることで活路を見出そうと
した私でしたが、そのためにはもう1つ
のこだわりを捨てる必要がありました。
それは、チームの全員の子を野球を上手
にさせよう、社会に通用する人間に育てよ
うというこだわりです。
コーチという立場としては、このように考え
るのは当然のことと思うかもしれません。
私もそう思っていました。
でも、私の場合その思いが強すぎることが
自分を苦しめていることに気づきました。
私は意気に感じるのはよいのですが、その
思いが強くなると、勝手に全てを自分で背
負ってしまうというクセがありました・・・。
以前もブログで書いたように、今の6年生が
4年生の時から、4年生以下の担当コーチ
として子供たちを見てきました。
当時は5・6年生の人数が多く、遠征なども
帯同せず4年生以下は残って練習というこ
とが多かったのです。
監督は5・6年生を主体として見ていたので、
当時は4年生以下のことは私の方がつぶさ
に把握していました。
また、練習メニューの指示などは一切監督
からはなく、関知をする様子もなかったため、
私が全て考えてやっていました。
壁当てノーエラー、スリッパ捕球など、本で
読んでよさそうだと思ったものはどんどん
試していきました。
また、ルールの勉強会や練習ノートをつけ
させて練習量を競争させたりと、とにかく好
き勝手にいろいろやってました。
また、コンバートされたポジションにやる気
を見い出せず悩んでいた子と、雨の真下
そのポジション練習をしたこともありました。
一人一人の悩みを聞いては、一緒にその
子と考え、行動を共にすることで解決して
いこうとしていました。
そして次第に私は
「この子たちは私が一番よく知っている」
「この子たちは私の教え子だ」
という強い気持ちが芽生えてきたんですね。
でも、それはその子たちが新人戦の時期
になって監督の目が向くようになってから、
「これはお前のチームでじゃない、勝手
なことをするな
」
「・・・・・

」
この一言で何か今までのことが崩れていく
ような感じさえしました。
信頼して任せてもらっていたわけではなく、
単に自分の目が行き届かないからというだ
けの話だったことが分かったんです。
確かにそうです。
そう勝手に思い込んでいたのは私。
しかしこれは私のチームではないけれど、
監督ものものでもなく、子供たちのもの。
子供たちが何を望んでいるかを理解し
そこに導くのが指導者なはず。
だから監督といえども、自分の一存で
決めるのではなく、コーチの意見に
耳を傾ける必要があるはずなのです。
しかし、そんなことを聞き入れる人では
ありません。
当時はそれでも監督のフォロワーにな
ろうと必死でしたが、気持ちの切り替え
などできませんでした
全てにおいて監督より、私の方が進んで
いるという自負と子供たちへの思いがそう
させていたんだと思います。
今回自分を変える上で、菅原さんとくう
さんのコメントが非常に大きなきっかけ
となったことは前回書きました。
そんな中、もう一つ思い出した話があり
ました。
それは、MFT佐藤さんがおっしゃって
いた話ですが、このようなことでした。
「子供たち全てを変えようなんてい
うのは無理だし、考えない方がよい
と思います」
「結局、子供たちは圧倒的に両親
と一緒にいる時間の方が長いわけ
です」
「だから親の影響の方が強いわけ
だから、週2回程度の指導で子供
たちを一人前にしようとするのは難
しいのです」
つまり指導者として頑張り過ぎても何
ともならないことがあるから、そこは一
線を引いて考えるべきだと・・・・。
おっしゃる通りでした。
それを肌で感じるも、勝手にそれが私
の使命だと思ってやってきました。
ただそれが、結局自分の首を締めると
同時に、子供たちの創造性を奪う結果
にもなってしまっていたのかなと・・・。
いわゆる当時は完全に「教え魔化」して
しまっていましたから
今思うに、使命感というよりそういう自分
に酔っていたのかも知れません・・・
以来、私は何も言わず只々、見守るよう
になりました。
言いたいのを我慢してひたすら・・・。
そして、以前ブログでも書いた指導の3M
「見つける」
「認める」
「見守る」
を自分の中のオキテとして、徹底するこ
とに努めるようにしました
「教えないコーチ」への変身です。
そうすることで、精神的にも楽になるし、
また違う世界が見えてくるんですよね
恐らく今までは気づきようもなかった
子供たちの特徴が見えてくるんです。
熱血漢コーチの変身に子供たちも戸
惑っていたとは思うのですが、そのう
ち慣れてくることでしょうし
また、私はこれにより、どうでもよいこ
とを口うるさく言う監督に対して、精神
的優位に立つ意味合いもありました
こだわりを捨てることができたからこそ、
新たな自分を手に入れることができる。
これは、つまり
「何かを捨てなければ、新たなことは
身に付かない」
ということなのでしょう。
これは以前もご紹介したハート催眠心理
研究所 田中元気先生から教えていただ
いたことです。
「捨てる勇気を持つ」
非常に大切なことなのではないでしょうか
した私でしたが、そのためにはもう1つ
のこだわりを捨てる必要がありました。
それは、チームの全員の子を野球を上手
にさせよう、社会に通用する人間に育てよ
うというこだわりです。
コーチという立場としては、このように考え
るのは当然のことと思うかもしれません。
私もそう思っていました。
でも、私の場合その思いが強すぎることが
自分を苦しめていることに気づきました。
私は意気に感じるのはよいのですが、その
思いが強くなると、勝手に全てを自分で背
負ってしまうというクセがありました・・・。
以前もブログで書いたように、今の6年生が
4年生の時から、4年生以下の担当コーチ
として子供たちを見てきました。
当時は5・6年生の人数が多く、遠征なども
帯同せず4年生以下は残って練習というこ
とが多かったのです。
監督は5・6年生を主体として見ていたので、
当時は4年生以下のことは私の方がつぶさ
に把握していました。
また、練習メニューの指示などは一切監督
からはなく、関知をする様子もなかったため、
私が全て考えてやっていました。
壁当てノーエラー、スリッパ捕球など、本で
読んでよさそうだと思ったものはどんどん
試していきました。
また、ルールの勉強会や練習ノートをつけ
させて練習量を競争させたりと、とにかく好
き勝手にいろいろやってました。
また、コンバートされたポジションにやる気
を見い出せず悩んでいた子と、雨の真下
そのポジション練習をしたこともありました。
一人一人の悩みを聞いては、一緒にその
子と考え、行動を共にすることで解決して
いこうとしていました。
そして次第に私は
「この子たちは私が一番よく知っている」
「この子たちは私の教え子だ」
という強い気持ちが芽生えてきたんですね。
でも、それはその子たちが新人戦の時期
になって監督の目が向くようになってから、
「これはお前のチームでじゃない、勝手
なことをするな

「・・・・・



この一言で何か今までのことが崩れていく
ような感じさえしました。
信頼して任せてもらっていたわけではなく、
単に自分の目が行き届かないからというだ
けの話だったことが分かったんです。
確かにそうです。
そう勝手に思い込んでいたのは私。
しかしこれは私のチームではないけれど、
監督ものものでもなく、子供たちのもの。
子供たちが何を望んでいるかを理解し
そこに導くのが指導者なはず。
だから監督といえども、自分の一存で
決めるのではなく、コーチの意見に
耳を傾ける必要があるはずなのです。
しかし、そんなことを聞き入れる人では
ありません。
当時はそれでも監督のフォロワーにな
ろうと必死でしたが、気持ちの切り替え
などできませんでした

全てにおいて監督より、私の方が進んで
いるという自負と子供たちへの思いがそう
させていたんだと思います。
今回自分を変える上で、菅原さんとくう
さんのコメントが非常に大きなきっかけ
となったことは前回書きました。
そんな中、もう一つ思い出した話があり
ました。
それは、MFT佐藤さんがおっしゃって
いた話ですが、このようなことでした。
「子供たち全てを変えようなんてい
うのは無理だし、考えない方がよい
と思います」
「結局、子供たちは圧倒的に両親
と一緒にいる時間の方が長いわけ
です」
「だから親の影響の方が強いわけ
だから、週2回程度の指導で子供
たちを一人前にしようとするのは難
しいのです」
つまり指導者として頑張り過ぎても何
ともならないことがあるから、そこは一
線を引いて考えるべきだと・・・・。
おっしゃる通りでした。
それを肌で感じるも、勝手にそれが私
の使命だと思ってやってきました。
ただそれが、結局自分の首を締めると
同時に、子供たちの創造性を奪う結果
にもなってしまっていたのかなと・・・。
いわゆる当時は完全に「教え魔化」して
しまっていましたから

今思うに、使命感というよりそういう自分
に酔っていたのかも知れません・・・

以来、私は何も言わず只々、見守るよう
になりました。
言いたいのを我慢してひたすら・・・。
そして、以前ブログでも書いた指導の3M
「見つける」
「認める」
「見守る」
を自分の中のオキテとして、徹底するこ
とに努めるようにしました

「教えないコーチ」への変身です。
そうすることで、精神的にも楽になるし、
また違う世界が見えてくるんですよね

恐らく今までは気づきようもなかった
子供たちの特徴が見えてくるんです。
熱血漢コーチの変身に子供たちも戸
惑っていたとは思うのですが、そのう
ち慣れてくることでしょうし

また、私はこれにより、どうでもよいこ
とを口うるさく言う監督に対して、精神
的優位に立つ意味合いもありました

こだわりを捨てることができたからこそ、
新たな自分を手に入れることができる。
これは、つまり
「何かを捨てなければ、新たなことは
身に付かない」
ということなのでしょう。
これは以前もご紹介したハート催眠心理
研究所 田中元気先生から教えていただ
いたことです。
「捨てる勇気を持つ」
非常に大切なことなのではないでしょうか
