前回、大きな気づきがあり、心の中に
一筋の光と方向性が見えたことについ
て書きました。
それについて私のコーチになった経緯
や経歴、悩みも含めて1~3幕に渡っ
てカミングアウトしていきたいと思います。








遡ること今から2ヶ月前の10月中旬頃
のことでした。
実は監督と子供の接し方や指導のあり
方で大ゲンカ
をしてしまったのです
原因は今までの積もり積もったことが
あったのですが、とにかく普段の態度
何とかならないのかと・・・
あいさつしても返すことはない・・・。
コミュニケーションない(一方的・頭ごなし)・・・。
子供たちをあおってばかり・・・。
ミスを怒鳴る(上手くいって当たり前)・・・。
結果でしかものをいわない・・・
負けを子供の責任にする・・・
野球の実績でしか人を評価しない・・・
・・・・。
挙げたら切りがありません。
「そんなことで子供たちのパフォーマン
スなど引き出せるわけがない
」
「何が青少年健全育成か
」
と大激論を交わしてしまいました
しかも、他の父兄や一部の子供たち
も聞こえるところで・・・。
もちろん監督には分かってもらえず
物別れに終わりましたが、売られた
ので見境なく買ってしまいました
あとで父兄と子供たちには謝りましたが
(さすがに自己嫌悪でした~
)
しかし、監督との距離は未だ縮まっ
ているわけではありません。
ここまでで分かると思いますが、監督
は私と正反対の価値観を持った「超」
が付く現代では珍しい頑固オヤジです
ちなみにうちのチームは、今の監督
がチームの創始者で、何十年とその
ポストを歴任してきました。
そして、コーチはというと団員の子の
父親から選任され、その子が卒団と
同時に交代する形になっています。
だから、私も今のチームでのコーチ
の任期はあと1年足らずなんです。
そんなことで、前任のコーチの方も
相当監督には手を焼いていたことは
知っていました。
そして、コーチに裁量権がないことも。
周囲のご父兄たちも、歴代のコーチ
もそうだったと思いますが、何か
「腫れ物に触る」
ように監督と接してきた感があります。
監督は普段から他を寄せ付けない
オーラをに醸し出していますから
ただ私はそういう環境にずーっと疑問
感じてきましたが。
息子は小学校1年生から今のチーム
に入り、私もそれがきっかけでチーム
の手伝いを始めました。
そして今の6年生が4年生(息子3年生)
のときに、正式ではありませんが4年生
以下の担当コーチとなりました。
当時の5・6年生の人数が多かったため、
4年生以下は対外遠征などには帯同せず
、残って練習を見ることになったわけです。
監督からは個別に要請があったわけでも
なく、練習メニューのことなども一切話が
なかったので全て私の裁量でやってました。
何とか飽きさせまいとメニューはとにかく
頭を悩ませ、競争を取り入れるなどして
子供たちと一緒になって楽しんでました
今思うと、当時の頃が一番楽しく子供
たちも目を見張るスピードで上手くなっ
ていったように思います
特に監督からは何も話はなかったとは
いえ、
「完全に任せてもらっている
」
という使命感と責任感、そして充実感が
あり、子供を教える難しさ・面白さを感じ
始めていました
だから当時は、私が現役の時はしたこと
もない野球についての技術やルールなど
を勉強しては教えたりもしてました。
(今思うと、使命感が強すぎて教え魔に
なっていたように思います
)
そんな感じで1年が過ぎ、5年生以下と
なって新人戦を迎えた時のこと。
つまり、当時の6年生主体から5年生以
下に主体が変わった時のことでしした。
主体が変われば監督ですから、試合で
は当然5年生以下を指揮することになり
ます。
ただ私の方が5年生以下のことは監督
より知っているという自負がありました。
そして、ある程度任せてもらっていると
思っていました。
なので、今までの練習の様子や実力
から、スタメンやポジションなどの提案
したのですが、オール却下・・・
またコーチとしてベンチに入りし、エラー
した子を励ますのですが、
「そんなんじゃ甘い
」
「厳しく言わないとその子は分からない
」
と言っては、エラーをした子をベンチに
引っ込めてしまうし・・・・
結果1つは勝ったものの2回戦で敗退
私はそれまで、主役はみんなであること
、野球とは楽しいものであることを子供
たちに教えてきました。
もちろん、それまでも子供たちにどういう
言動をする監督かは私も知っていました。
また、先輩たちがビシビシ言われるシーン
を私が担当した子たちも見ていて知って
いたと思います。
しかし、初めて監督の指揮の元で試合を
した子供たち・・・。
明らかに戸惑っていました・・・。
かわいそうなことをしてしまったなと・・・
そして、そもそも任せてもらっているという
のは私の勝手な思い込みだったと・・・。
しかし、気持ちはすぐには切り替えること
は出来ません。
私の心が迷走の始まりを告げた瞬間でも
ありました
「お前は監督じゃない、勝手な言動はするな
」
人の話に耳を傾けることもなく、認めて
もくれない・・・
その頃からでしょうか、監督に心の中
で不信任案を提出し始めたのは・・・。
当時はまだ我慢強さ>正義感でした。
それに、大人同士のいざこざは子供
たちにもよくないと思い、自分の気持ち
を封印し、表面上は上手くやろうと・・・。
しかし、結果それが先述のような監督
との確執につながっていこうとは当時
は思いもしませんでした








この続きは第2幕にて・・・・
一筋の光と方向性が見えたことについ
て書きました。
それについて私のコーチになった経緯
や経歴、悩みも含めて1~3幕に渡っ
てカミングアウトしていきたいと思います。








遡ること今から2ヶ月前の10月中旬頃
のことでした。
実は監督と子供の接し方や指導のあり
方で大ゲンカ


原因は今までの積もり積もったことが
あったのですが、とにかく普段の態度
何とかならないのかと・・・

あいさつしても返すことはない・・・。
コミュニケーションない(一方的・頭ごなし)・・・。
子供たちをあおってばかり・・・。
ミスを怒鳴る(上手くいって当たり前)・・・。
結果でしかものをいわない・・・
負けを子供の責任にする・・・
野球の実績でしか人を評価しない・・・
・・・・。
挙げたら切りがありません。
「そんなことで子供たちのパフォーマン
スなど引き出せるわけがない

「何が青少年健全育成か

と大激論を交わしてしまいました

しかも、他の父兄や一部の子供たち
も聞こえるところで・・・。
もちろん監督には分かってもらえず
物別れに終わりましたが、売られた
ので見境なく買ってしまいました

あとで父兄と子供たちには謝りましたが

(さすがに自己嫌悪でした~

しかし、監督との距離は未だ縮まっ
ているわけではありません。
ここまでで分かると思いますが、監督
は私と正反対の価値観を持った「超」
が付く現代では珍しい頑固オヤジです

ちなみにうちのチームは、今の監督
がチームの創始者で、何十年とその
ポストを歴任してきました。
そして、コーチはというと団員の子の
父親から選任され、その子が卒団と
同時に交代する形になっています。
だから、私も今のチームでのコーチ
の任期はあと1年足らずなんです。
そんなことで、前任のコーチの方も
相当監督には手を焼いていたことは
知っていました。
そして、コーチに裁量権がないことも。
周囲のご父兄たちも、歴代のコーチ
もそうだったと思いますが、何か
「腫れ物に触る」
ように監督と接してきた感があります。
監督は普段から他を寄せ付けない
オーラをに醸し出していますから

ただ私はそういう環境にずーっと疑問
感じてきましたが。
息子は小学校1年生から今のチーム
に入り、私もそれがきっかけでチーム
の手伝いを始めました。
そして今の6年生が4年生(息子3年生)
のときに、正式ではありませんが4年生
以下の担当コーチとなりました。
当時の5・6年生の人数が多かったため、
4年生以下は対外遠征などには帯同せず
、残って練習を見ることになったわけです。
監督からは個別に要請があったわけでも
なく、練習メニューのことなども一切話が
なかったので全て私の裁量でやってました。
何とか飽きさせまいとメニューはとにかく
頭を悩ませ、競争を取り入れるなどして
子供たちと一緒になって楽しんでました

今思うと、当時の頃が一番楽しく子供
たちも目を見張るスピードで上手くなっ
ていったように思います

特に監督からは何も話はなかったとは
いえ、
「完全に任せてもらっている

という使命感と責任感、そして充実感が
あり、子供を教える難しさ・面白さを感じ
始めていました

だから当時は、私が現役の時はしたこと
もない野球についての技術やルールなど
を勉強しては教えたりもしてました。
(今思うと、使命感が強すぎて教え魔に
なっていたように思います

そんな感じで1年が過ぎ、5年生以下と
なって新人戦を迎えた時のこと。
つまり、当時の6年生主体から5年生以
下に主体が変わった時のことでしした。
主体が変われば監督ですから、試合で
は当然5年生以下を指揮することになり
ます。
ただ私の方が5年生以下のことは監督
より知っているという自負がありました。
そして、ある程度任せてもらっていると
思っていました。
なので、今までの練習の様子や実力
から、スタメンやポジションなどの提案
したのですが、オール却下・・・

またコーチとしてベンチに入りし、エラー
した子を励ますのですが、
「そんなんじゃ甘い

「厳しく言わないとその子は分からない

と言っては、エラーをした子をベンチに
引っ込めてしまうし・・・・

結果1つは勝ったものの2回戦で敗退

私はそれまで、主役はみんなであること
、野球とは楽しいものであることを子供
たちに教えてきました。
もちろん、それまでも子供たちにどういう
言動をする監督かは私も知っていました。
また、先輩たちがビシビシ言われるシーン
を私が担当した子たちも見ていて知って
いたと思います。
しかし、初めて監督の指揮の元で試合を
した子供たち・・・。
明らかに戸惑っていました・・・。
かわいそうなことをしてしまったなと・・・

そして、そもそも任せてもらっているという
のは私の勝手な思い込みだったと・・・。
しかし、気持ちはすぐには切り替えること
は出来ません。
私の心が迷走の始まりを告げた瞬間でも
ありました

「お前は監督じゃない、勝手な言動はするな

人の話に耳を傾けることもなく、認めて
もくれない・・・

その頃からでしょうか、監督に心の中
で不信任案を提出し始めたのは・・・。
当時はまだ我慢強さ>正義感でした。
それに、大人同士のいざこざは子供
たちにもよくないと思い、自分の気持ち
を封印し、表面上は上手くやろうと・・・。
しかし、結果それが先述のような監督
との確執につながっていこうとは当時
は思いもしませんでした









この続きは第2幕にて・・・・
