キャッチボールはなぜ野球の基本なのでしょうか
他のブロガーの方から頂いたご意見に、
「キャッチボールは体幹を使うので、基礎となる体幹の力を鍛えるため」
というのがありました
確かに野球の筋肉は野球で作るものと言われています。
ましてや小学生の時代は一つのスポーツだけでなく、
いろいろな遊びを経験させる必要があります。
その遊びを通して、楽しみながら基礎体力や敏捷性
などの神経系を鍛えていくことが必要だとされて
います。
よく「心技体」という言葉が使われますが、今回は
「心」
とキャッチボールの関わりに焦点を当て、私なりの
見解を書いていきたいと思います。
「なぜキャッチボールが基本なのか
」
を語る際、忘れてはならないのは技術以上に大切なもの。
それは根底にある「考え方」だと私は思うんですね。
例えば、無死か一死で、三塁にのみ走者がいます。
打者が三塁ゴロを打ちました。
三塁走者はホームへ向かって猛然とスタートを切りました。
三塁手はゴロを捕球して、すぐさま捕手へバックホーム送球しました。
この時三塁手は捕手のどこを狙って投げるべきなのでしょうか
あるいは、無死か一死で、走者が満塁の場面です。
打者が三塁ゴロを打ちました。
三塁走者はホームへ向かって猛然とスタートを切りました。
三塁手はゴロを捕球して、すぐさま捕手へバックホーム送球しました。
この時三塁手は捕手のどこを狙って投げるべきなのでしょうか
同じバックホームでも状況の違いで、狙って投げる位置も
変わってきます。
先例ではタッチプレーになるため、捕手が走者にタッチの
しやすい位置に投げたい。
つまり膝を折って送球を待つ捕手の膝の当たりを狙うべきです。
また、後例ではフォースプレーで一塁転送してダブルプレー
を狙う場面です。
だから、ホームを踏んで立つ捕手の肩、あるいは胸の高さに
送球するべきだと思います。
つまりこの場合、三塁手は捕手が次の動作に移りやすいように、
状況に応じて狙う位置を変えるという
「心くばり」
が必要ということなのです。
要するに何が言いたいかというと、
勝利という目標に向かって助け合い、協力し合うという
仲間同志の「思いやり」や「気配り」の精神。
それこそが
「キャッチボールの精神」
だということ。
狙ったところに投げられるようにするための技術練習。
あるいは、単なる肩慣らしという考えの人もいるかも
知れません。
でもキャッチボールはそれだけではありません。
相手と協力して一つのプレーを完成すること。
そして、それを積み上げながら、ともに同じ「勝利」
という目標にに向かって進む喜び。
キャッチボールは心技体の「心」と「技」を両側面
を持っています。
そして、野球の基礎的部分を持っているからこそ、
「野球の基本」
と言えるのだと思います。
ところが勝利至上主義の指導者は、子供たちを早く
上手くさせたいと思っています。
そして結果を求めます。
結果が全てと考えている。
結果にしか興味がない・・・。
つまり、結果や技術的な要求を強いるあまり、大切な
精神を子供たちに説いていないのではないのでしょうか
あるいは指導者自身が、そのような大切な精神を理解
していないのではないでしょうか
子供たちに、野球の根底にある本質をきっちり説明
できてこそ、一人前の少年野球指導者だと私は思う
のです。
「指導者は教育者であるべき」
私はごくごく当たり前のことだと思っていますが、
いかがでしょうか
【シュガーの今日のひと品】
甲子園の心を求めて(ふたたび)

¥1,260
楽天
タイトルは「甲子園の心を求めて」ですが、大切な
「野球の精神」について書かれています。
「勝つ」ことは大事なことです。
でも、それ以上に大切なことは何かを、この本は気づ
かせてくれました。
「技は心なり」
この本に書かれている印象的な言葉。
これが子供たちを指導する上での私の礎となっています


他のブロガーの方から頂いたご意見に、
「キャッチボールは体幹を使うので、基礎となる体幹の力を鍛えるため」
というのがありました

確かに野球の筋肉は野球で作るものと言われています。
ましてや小学生の時代は一つのスポーツだけでなく、
いろいろな遊びを経験させる必要があります。
その遊びを通して、楽しみながら基礎体力や敏捷性
などの神経系を鍛えていくことが必要だとされて
います。
よく「心技体」という言葉が使われますが、今回は
「心」
とキャッチボールの関わりに焦点を当て、私なりの
見解を書いていきたいと思います。
「なぜキャッチボールが基本なのか

を語る際、忘れてはならないのは技術以上に大切なもの。
それは根底にある「考え方」だと私は思うんですね。
例えば、無死か一死で、三塁にのみ走者がいます。
打者が三塁ゴロを打ちました。
三塁走者はホームへ向かって猛然とスタートを切りました。
三塁手はゴロを捕球して、すぐさま捕手へバックホーム送球しました。
この時三塁手は捕手のどこを狙って投げるべきなのでしょうか

あるいは、無死か一死で、走者が満塁の場面です。
打者が三塁ゴロを打ちました。
三塁走者はホームへ向かって猛然とスタートを切りました。
三塁手はゴロを捕球して、すぐさま捕手へバックホーム送球しました。
この時三塁手は捕手のどこを狙って投げるべきなのでしょうか

同じバックホームでも状況の違いで、狙って投げる位置も
変わってきます。
先例ではタッチプレーになるため、捕手が走者にタッチの
しやすい位置に投げたい。
つまり膝を折って送球を待つ捕手の膝の当たりを狙うべきです。
また、後例ではフォースプレーで一塁転送してダブルプレー
を狙う場面です。
だから、ホームを踏んで立つ捕手の肩、あるいは胸の高さに
送球するべきだと思います。
つまりこの場合、三塁手は捕手が次の動作に移りやすいように、
状況に応じて狙う位置を変えるという
「心くばり」
が必要ということなのです。
要するに何が言いたいかというと、
勝利という目標に向かって助け合い、協力し合うという
仲間同志の「思いやり」や「気配り」の精神。
それこそが
「キャッチボールの精神」
だということ。
狙ったところに投げられるようにするための技術練習。
あるいは、単なる肩慣らしという考えの人もいるかも
知れません。
でもキャッチボールはそれだけではありません。
相手と協力して一つのプレーを完成すること。
そして、それを積み上げながら、ともに同じ「勝利」
という目標にに向かって進む喜び。
キャッチボールは心技体の「心」と「技」を両側面
を持っています。
そして、野球の基礎的部分を持っているからこそ、
「野球の基本」
と言えるのだと思います。
ところが勝利至上主義の指導者は、子供たちを早く
上手くさせたいと思っています。
そして結果を求めます。
結果が全てと考えている。
結果にしか興味がない・・・。
つまり、結果や技術的な要求を強いるあまり、大切な
精神を子供たちに説いていないのではないのでしょうか

あるいは指導者自身が、そのような大切な精神を理解
していないのではないでしょうか

子供たちに、野球の根底にある本質をきっちり説明
できてこそ、一人前の少年野球指導者だと私は思う
のです。
「指導者は教育者であるべき」
私はごくごく当たり前のことだと思っていますが、
いかがでしょうか

【シュガーの今日のひと品】
甲子園の心を求めて(ふたたび)

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タイトルは「甲子園の心を求めて」ですが、大切な
「野球の精神」について書かれています。
「勝つ」ことは大事なことです。
でも、それ以上に大切なことは何かを、この本は気づ
かせてくれました。
「技は心なり」
この本に書かれている印象的な言葉。
これが子供たちを指導する上での私の礎となっています



