舟ノ川・イブキ嵓谷遡行(2002年10月13・14日)


山域   :紀伊半島・大峰山脈、2万5千分の一地形図「弥山」「釈迦ケ岳」
山行形態:沢登り
お勧め度:★★★★(ほとんどが巻き。でも、その巻きも登攀要素が高い)


【概要】

イブキ嵓谷は両岸を何十メートルもの岩盤に挟まれながら大峰・明星ケ岳の南西に鋭く食い込んでいく沢である。
時間短縮の為に今回は桶側ノ滝はパスし、湯又に車を置いて林道を2時間ほど歩いて直接イブキ嵓谷出合に入谷しようということだった。しかし、出合に出るのに意外と時間を食ってしまい、出合に着いたのはそのまま林道ゲートからの入谷と変わらなかった。
この沢の核心は何と言っても黒滝の巻きで、頭に抜けるのに6時間を要した。左岸ルンゼを登るのだが、落石が多い上、登るに従い立っていき、登攀としてもそこそこ難しいものだった。下山は1700M付近から沢を離れ尾根を左にトラバースし、湯又からの登山道を下っていった。



 

【記録】
 メンバー:Hさん、Tさん、コージ&シブ

10月13日

前日、朝岡ジムで軽く汗を流した後、コージ家で晩飯を頂いて仮眠を取る。
4:30に大和高田を出発。気付かないうちに日は短くなっているようで、外はまだ真っ暗。五條で朝飯用のおにぎりを買いにコンビニに寄るが、ボートを積んだ車が数台泊まっている。釣りだろうか?連休なのか、168号線はいつもとなく車が多い。

猿谷ダムを過ぎ、宇井で国道を離れ県道篠原宇井線に入る。30分ほど走ると左手の丘に集落が見え、社らしき建物がたっていた。ここで無形文化財に指定されているあの“篠原踊り”が寒い冬の夜に奉納されるのだった。

舟ノ川は入谷と分岐した後、またその奥で二分する。ここが湯又で、三ツ嵓谷のある日裏山谷と七面(地獄)谷に分かれる。私たちが到着して程なく、Hさん・Tさんが到着。簡単に挨拶を交わして、そそくさと準備を始める。林道を歩いていると、後ろから車がやって着た。Hさんが思わず声を掛ける。どうも同じ会の知り合いの人らしい。私たちと同じイブキ嵓に入る、との事だった。

イブキ嵓谷出合にて


                                                   イブキ嵓谷出合に
本流を離れ、イブキ嵓谷に入ると、たちまち両側の壁が立ってきて廊下となる。しばらく行くとその廊下のドン突きに20Mの滝が現れ行く手を阻む。巻くポイントを探しながら、後戻りして行く。両側どの壁も立っていて見ている限り、巻けそうにもない・・・と思っていると右岸に浜矢さんがルンゼを見付け、「ここを登ろう」と言う。Hさんはリードでカムやハーケンなどで支点を取りながら、スムーズムに登っていく。下で見ていると、不意に左岸の岩壁から人が2人懸垂下降で降りてきた。さっき林道で会った人たちだった。登ったが行き詰まったので引き返してきたらしい。降りてきたその岩壁は到底人が登れそうに見えないところだった。

 

セカンドで私がルンゼを登り始めるが、登ってみると易しい所だった。1ピッチ登った所で、再びザイルを出して、今度はトラバース。獣の踏み跡なのか、結構歩き易い。突然、バリバリとものすごい音がして岩が沢に落ちて行った。どうも対岸を巻いてるあの人たちが落石をしたらしい。下にいたと思うと、ゾっとする。
 

20M滝を越したと思われる所で、今度は下降ポイントを窺いながらトラバースしていく。ルンゼを越したところで不意に岩盤が途切れ、眼下に河原が見えた。そこで沢がちょうど左折している所だった。一同思わず声を上げ、斜面を下っていく。沢床に着くと、みんな水を飲んで行動食を取った。午後2時前、出発以来何も口にしてなかった。

しばらく河原歩きが続く。一箇所小さな淵があり巻こうかとも迷ったが、泳ぐ方が簡単なので、水に飛び込む。沢はゴーロ帯になって傾斜がややキツクなる。巨岩を巻いたり、乗り越したりしながらやり過ごしてくと、二俣がありその左手に20Mの滝。Hさんが振り向いて「シブちゃん登らへんか?」と聞く。

よく見ると、滝の右手がゴツゴツしていてホールドが豊富そう。これなら行けると思い、ハーケン、ナッツ・カムなどを受け取ってリードで登らせて貰う。始めは階段状で問題なし。しかし、落ち口に出るところが少しやらしく、支点が取りたかったがリスもクラックも見付からない。迷った挙句、右足を小さなスタンスに乗り込んで両手はプッシュ、その間に左足を上げて何とかそこを超えた。しかしその喜びも束の間、そこを越えると目の前には釜がありその先にはツルツルの滝が・・・。泳いで取り付こうとするが、足場がなく、滑ってたちまち釜の中に落ちる。三度ほどチャレンジしてみたが登ることができず、コージ君に登ってきて助けて貰うことに。その間に、さっきの人たちが追いつき左岸を巻き始める。それを見たHさん・Tさんも登るのは止めて彼らに続いて巻き始めた。

コージ君は一度は失敗するが、滝の右を何とか登って、私をザイルで引き上げてくれた。巻きも大変だったようで、私が登ったのと同じくらいに二人も巻き終えて滝の頭で合流した。

気が付くともう4時を回っていて、そろそろテン場を探さなければならない。予定では黒滝の上部で幕営だが、とても無理だ。明日の為に行けるところまで行こうということで、歩き始めるが、秋の沢の日暮れは早い。たちまち、日が陰ってきて、ヒンヤリとした風が廊下に吹き始める。伏流が再び流れを取り戻した砂地の場所で幕営することにした。


10月14日

翌日は4時に起床。米を炊いて釜飯にするが、昨夜ビールやつまみ、その上焼きそば(コージ製)やビーフシチュ(Hさん製)をたらふく食べたので、あまり食欲がない。予定通りにテントを撤収し6時に出発し、程なく行くと河原の中央に岩の塔が立っていてインゼルを形成している場所に出た。両側には見上げるような岩壁がそそり立って沢は再び廊下となる。廊下の突き当たりで沢は突然右折して30mの滝を掛ける。正面はガレ沢、左手の岩盤からは40mほどの滝が流れ落ちていた。滝はとても登れそうにないので、正面のガレを登る。

正面のガレをしばらく登り、上まで詰めずに滝の高さを窺いながら途中で滝の方へトラバース。岩盤のリッジ上に出、リッジに従って登って行く。途中でHさんが懸垂で降りて下を偵察してきたが、登れるかどうか分からないナメ滝が連続している、との事。ルンゼが入ってきた所で見晴らしのよい場所があったので下を覗いて見たが、まだ先に登れそうにない大きな滝があった。その大きな滝を巻き終わった所で河原が見えたので、懸垂下降で沢床に出た。

傾斜のあるゴーロ帯をハアハア言いながら登っていくと、前方に大きな嵓がそそり立ち、途方もない高さから水が霧散させながら流れ落ちていた。80mあるという黒滝だ。水量は少ないが、その高度は圧倒的だった。大岩の上にしゃがんだり、真下につっ立ったりしてめいめい呆けたように滝を見上げる。さあ、これからが核心の黒滝の巻きだ。

黒滝80m80m


 

小休止した後、左岸の斜面をルンゼ目指して登り始める。次第に岩盤が現れ始め、上から時々、小さな落石も出始める。フォールラインを避けて、一人づつ登っていく。岩屑の堆積した斜面を登り詰めると、そこにルンゼが現れた。ザイルを出して登ることにする。

1ピッチ目、小さな落石はあったが、問題なく全員登り切る。しかし、その上が立っていて、どうしよう?と迷う。Hさんは、左手のバンドを滝の頭に出れないか偵察に行くが、無理だと引き返してくる。Hさんはザックを置いて今度はルンゼの左手のクラックを偵察に行く。ここなら行けそうだ、ということでHさんが登ったザイルをフィックスして登る。一箇所、被ったところがあって、立ち木にすがって乗り越した。ザイルをまた出し際どいトラバースでルンゼに戻った。Hさん・コージ君はそこを荷上げで突破した。

Tさんリードでルンゼを登り始める。時間短縮の為にもう一本ザイルを出して私がルンゼの左手を登るが、ホールドや支点になるような岩の割れ目も、根子もないので苦労する。
ふと見ると、上でTさんがザイルが流れないと叫んでいる。1ピッチ登った所でTさんの登ってるラインと合流し、Hさんに登って来てもらう。

Tさんは最後のルンゼの乗り越しに手間取ってるようだ。HさんがTさんの所まで登ってアドバイスに行く。Tさんはそれで何とか超えたようで、Tさんのザイルをフィックスし、大きなザックを背負ってるHさんはそれをゴボウで切り抜ける。次に私が登り始めるが、その最後の乗り越しは被っていてゴボウでもなかなか登れない。2回テンション掛かけてしまった。残置ハーケンに何とか左足を上げることができ、やっとのことで登り切ることができた。ラストのコージ君、あんな重いザックを背負ってそこを一体どう登ったのかと後で聞くと、「気合で登った」とただ一言。黒滝の巻きで6時間要した。

滝の上部に出、そこで遅い昼御飯。黒滝下で食べた大福モチ一個以来食べる余裕がなかった。クッキーが胃に染み入るように美味い。少し行くと沢は左折しておりそこに40Mの滝が懸かってる。ザイルを出せば登れそうだが、右の尾根を登って巻く。再び沢に戻り、小滝を快調に登りながらグングン高度を稼いで行く。1700M付近から沢を離れシカの踏み跡を伝って左の稜線に登る。その稜線は信じられないほど静かで、辺りにはトウヒの木々が生い茂り、あちこちの枝の先で小鳥たちが飛び跳ねているのが見えた。紅葉を始めている木々もあり、傾きかけた太陽に輝いていたのだった。

しばらく、その稜線にしゃがみ込んで、めいめい無口に景色を眺める。「やっぱり沢が好きやな」とふと思う。みんな何とも言えない充実感に浸っているのだろう。月夜に照らされながら登山道を下り、湯又に戻ったのは午後7時だった。

 


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