別称メガシティ遊撃隊・・・・

シブい!!・・・が食生活のことである。最近の自分の食を揶揄すればこうなる。

最近家で食事をとらないことが多く、また手持ちの金が減ってきた。

そろそろ奨学金が下りるからそれでつなげるだろうと重い、振込み日前日にすべての金を消費した


が、翌日その奨学金が振り込まれていない・・・


・・・・・・・・。その日は10円のガム一個で凌いだ。深夜帰宅し、冷蔵庫にある残り物を一掃する。すきっ腹で長時間過ごした上に、大量に食べたため気持ちが悪い。しかし、翌日もし奨学金が振り込まれていなくとも、一日以上は凌げるだろう。


そして翌日の今日、またしても奨学金が下りてない。学生会館の奨学課に聞くと、「4月と5月だけ特別で、4月は21日に下りるんです」と軽く言われる・・・・。


・・・・・・・・・。

「育英会ぶっ殺す!!」・・・いや普通に確認していない自分が悪いのです。


「情報更新は現代社会人の粋と知れ」21日まで身をもって学習できそうである。いかに大量のものを食べてもThat's all right!なこの胃を擁しつつ21日までどう凌ごうか?そろそろ自ら弁当をこさえようかとかなり真剣。できるだけ節約された、かつ不定期な食事・・・

かつてのチェ・ゲバラか中国紅軍か。ゲリラ@食事が今ここに都会に彷徨することになる・・・!!


中国では「よい兵士ほどよく食べる」、「大食いは立派な兵士になる」と言われる。

中国で旅行中、屋台でがっついていたら、自分もこう言われて褒められた。(もっとも兵士の基本たる集団行動は苦手であり、運動神経も低い。この言葉の妥当性は定かではない)

あるいは一昔前、中国の交通機関の遅延理由として運転士や機長が食事中だというのがれっきとあった。


中国はやっぱり**だな、とはいってはならない。

中国では食事がまともに取れない時期が最近まであったのである。軍閥混戦、日中戦争、国共内戦、大躍進、文革。あまりに動乱の時期を送りすぎたため、食事がいつと摂れるかわからない。だからこそ食べれるときにがっつり食べるのである。民衆をしてこうだから、軍隊をして何をいわんや。


「将軍腹」なる言葉がある。まあ要するに*ブということであるが、これは普段戦地にいるときは不定期に食事をとるため普通、いやむしろ痩せた体形の将軍が平和な日常生活をしている時、食事は定期に摂るのだが量は昔どおり大量のため腹が膨れてくるのである。人民解放軍の元老陳毅は1949年時は痩せたシブい「戦士」だが、共産党が天下を取って以後は東京の地下鉄で見るようなア*ラギッシュな単なる中年オヤジに成り果てた。


人民解放軍は反政府のゲリラ(遊撃隊)が前進であるから、普通の公の軍隊よりも過酷である。「長征」みてもわかるように昼夜を問わずの行軍のあげく食事は茅台酒のみというムチャクチャな食生活を長年続けていた(アメリカ軍の食事は豪華かつ栄養バランスを十分に考慮されたものらしい)。中共の革命元老をみると毛沢東以外、1949年以前は見事にみな痩せている(毛沢東はなぜか日中戦争以後太りだした)。


ゲリラ出身の政権が治める飢餓に馴れっこの中国。いつ飢えるかわからないというまるで野坂昭如のような食の観念の国民性である。今となっては、むしろ敬意を表しつつあるのだが


タイトルからしてやる気がでない。

日常生活もやる気が出ない。

中学時代の落ちこぼれていたテンションと重なる部分がある。

高校以来決めてはいた研究職への進路であるが、

ここのところ研究作業がかったるくて仕方がない。


もともと人文系の研究はしっかりと席から動かず、ひたすら文献を読んでいくものである。

しかし、自分はといえば集中力が致命的なまでに乏しく、一つ所に2時間もじっとしていられない、

2、3時間ふらつくほうがむしろ好きなタイプである。また、自宅で勉強ができない。自宅ではネットサーフィンするか、別の本を見るか、寝てしまうか、072を***、いずれにせよ学究なんてものはしないのだ。ちなみに研究作業で一番集中できるのはラウンジが喫茶店、ファミレス。読書では同じく喫茶店、そして電車の中であり、小金を消費しがちな喧騒雑踏の中という点では共通している。


将来の研究者としてこれでは手のつけようがないだろう。

ここまできてこういう疑問が湧いてくるのである「自分は研究職をめざす、と知り合いに吹聴し、教師と親を騙し、そして自分自身も欺いて、就職などの節目・『通過儀礼』から逃げてきただけではないのか」、と。


 こんな性格ではいっそ就職して、一日何軒も廻る営業でこき使われえた方が社会のためでもあり、ひょっとすると天職でもある(と自己暗示して諦念する)かとも思うのだが。

 ただ、どうも背広着て通勤、結婚して家族のために働く・・・・という自分の姿を想像すると、かなり腹立たしくなってくるのだ。 「ああなったら、終わりだ・・・!」

 もちろん自分は何も世間をわかっちゃいないし、人はそれぞれ有意義に暮らしているはずなのだ。しかし、自分の目から見れば、あの通勤する背広姿は、学ランやブレザーといった学校の制服を着た生徒と大して違わない気がする。当然社会人たちは自分でサラリーを稼ぎ、自分の足で生活し、家族を養っているだろう(そうでない人もいるが)。生徒は学費を消費し、親のすねをかじる(かくいう自分も然りである)のであり、本質的に違う。それはわかっているのだが・・・


自分をある程度殺して社会の枠で生きていくか、世間からあぶれ野垂れ死に同然になるのを覚悟で自分勝手に生きていくか、このベクトルは生を過ごしていく上で同じでない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


さて、最近道場ならびにバイト先からよく言われる。「彼女つくんないの?」

。。。。。

そう言われるには何か理由があるのだろう。

思うに、あまりにout of this timeな風体をしているか目つきが不審にギラついているからであろう。


もう一つ。指とか首の関節がなるのは別に普通だが、自分は変なところが鳴る。


まず腕を後ろに回してひねると左肩が、次に欠伸がてら両手を広げて背筋を伸ばすと胸の真中が、

そして不用意にこれまた欠伸をすると・・・・・・・



アゴが、鳴るのである。

なのに3ヶ月ぶりの書き込み。じつはこっそり過去の記事を思い出しながら書いていたり。

それにしても更新は滞っているわけで。


ベロー〇ェでは最近、時責のs(注1)にこういわれた

「〇川くん、ベロー〇ェで、誰のおっ〇い一番吸いたい?」



「そーですねぇ、・・・」

とすらいえず。sの大胆さか、発言に伴うベロー〇ェ内の錯綜する人間関係からの悪影響からか、チェ〇ーボーイだからか。とにかくリアクションしようがない・・・



最近後輩から

「先輩、卒論ヤバいんですけど」

これはリアクションできる。



「(書式どおりやって、)文字書きゃ、単位はくるよ


そろそろ俺が先輩として役に立たないということに気づけ。

否、多分ワラにもすがる思いか、単なる挨拶ことばだろう。


最近全てが空しい・・・

阿佐田哲也の『麻雀放浪記』に李億春という指を数本潰された人物がでてくる。

「…李という男の特徴は、生きるということに関してまったく無責任であり、自分の生に意味づけや値定めをして、みずから慰めようとしないことである。」

「李にとってこの世は、喰って生きてる、或いは生きた、というだけのもので、したがって彼の一生は喰うために争った、ということ以上の重要なモメントはない。」(注2)

李の生き方には、崇高や美徳、倫理、文明といった虚飾、釈迦の手の内で釈迦を罵倒する孫悟空の傲慢さがない。

 

理念や学識の多くは、人の上に立とうとする者、或いは人を自分の土俵に入れようとする者の、権威付けの道具となる。突き詰めても、阿佐田のいう「自分の生に意味づけや値定め」するための、或いは「みずから慰めようとする」ための方便に過ぎないのではないか。


自らの権威を高めようとするあまり、自らの首を我知らずに締めていく様は、夏目漱石の作品によく描かれている。当時は主にエリート知識人だけの問題だっただろうが、普通教育がなされてきた現在の日本では国民性と言えるほどの状態である。今の日本人は律儀すぎる(そのように教育・洗脳されたか)。世の中、合理性と効率、筋が通っているかどうかを追求していく生きかたでは、追い詰められた精神になる。しかし、精神を追い込んでゆくサイクルは、グローバル化の現在もはや止めようがないように見える。


楳図かずおの漫画『洗脳』(注3)で、日本一の美貌で家族の生計と、自分の価値観を立ててきた女優、若草いずみはその美貌を失っていく現実と恐怖から、狂気となって村上医師の幻影をつくりだす。最終的に村上医師は老女優から消えるが、作品は「いびつな者は自分でそれを感じることができない そしてそれを感じたものがいびつにされる! 狂った世界の中にただ一人狂わない者がいたとしたらはたしてどちらが狂っていると思うだろう?」と結ばれている。


人間は価値観を作り、目標を設定して努力する。時に他者もそれに動員させようとする。自分の美貌を獲得し保つため、幻影である村上医師の助言を遵守する若草いずみと、人は誰しも共通しているのではないか。単に程度の差があるだけである。


娘さくらの体を乗っ取り美貌を獲得した若草いずみ(実はさくらの思い込み)は、安心するも束の間、美貌を失う恐れはむしろ強まっていく。ここにも人間全般にある問題があるように思える。

問題解決した、或いは進歩したと思っても、またその段階で、新たな問題があり、自らの至らない点を発見する。問題のない、波風のない世界、天下泰平とは、むしろ今の社会では望むべくもない最悪の想定かもしれない。


羽賀先生は剣道と生き方について「捨てる」「必然の変化」「こだわらないこと」を言っておられたと聞く。

また或いは剣道の名人は、むしろ刀が不要となると言う話を聞いた。

李億春のような生き方ができればなと思うが、それには論が先走り、実体験がないからか、まだ多くにこだわってしまう。

刀が要らなくなるまでには、刀を振る時間が、自分にはまだまだ多く要するということだろうか。


注1:土地ころがしの常連客に「お前はほんとにしたたかな女だな」と決め付けられた御仁。全くの見当違いとは思わない。御本人「わたし、ホンットにじゅんじょうですよ」、だそうで。

注2:阿佐田哲也『麻雀放浪記(四)番外編』、1979年、角川文庫、p85。

注3:作者のエログロ・ロリコン趣味がこれでもか!とばかり。

「花より団子」ということわざがある。

私としては、更にこう言いたい。「団子を食うには花が要る


はっきりいって今回の東京湾花火大会の見物、花火はどうでもよかったのである。

今回、自分が主催した企画に、多くの仲間が旧店舗のわけ隔てなく

きてくれて、宴を楽しんでくれれば、セルフ・エスティームも株も上がるのだ。


そうなるはずだったが、旧〇町店派だけ人。。。

10人用に買った酒とつまみ。。。


・・・・・。


は、早く酒とつまみを消費せねば!!3バカを見ると、


なんと花火に見とれているではないか。

こんなときに馴れない風流を決め込まれてもこっちが迷惑である。


「さあさ、みなさん飲みましょー!」かつて所属した同好会飲みで培った飲ませテクを、今ここで使うときがきた。飲まされキャラであった事実を抹消し、ビンをかたむけると、


y曰く、「あたし、飲めないから」。


ハァ!? 「俗」を体現したようなyからそんな言葉がでるとは。


今更それはないだろ!! 次、同じ早稲田のf君。

「まぁ、へたれ女二人は置いといて、男同士、焼酎を飲み・・・」


「僕も・・・ダメなんで」。 


・・・・・・・・・??!!


君たち、何しに来たの?まさか花火を見に着たんじゃないよね

もーいいよ!一人麦焼酎を飲む。

炎天下取った陣地で5時間くらいまって夕立に汚れた姿を罵られ、役立たず扱い。あげくにこの3人が花火におセンチになっているとは!


一人ヤケ飲み。まずい流れである。イ、イカン。酒を消費(さ)せねば。


身はすでに酒食回収機構に堕した。


「mさん、僕の酒がのめないのですかっ!しょっぱいな~。へたれですね

そっか~僕の酒が飲めないんですね~。」これを3、4回


負けず嫌いなmは案の定、飲みだした。

「ハイ、かんぱーい。あ、カンパイは杯を乾かすと書きます。あれ、乾いてないな~。」

「マカーディア、ありますよ。小雪がCMでやってるやつ」

と全てを飲みに集中させる。ようやく3人、じが出てきた。自分は、もうグラグラである。


花火はそっちのけで、低劣な遊びを始める。二人でぽっきーを両端から食べる。前回、ほぼ同じ腐れ面子での飲みで、このアホどもは、「はい、あーんして」に興じていたが、そのとき自分はやつらの低劣さにあきれ、これに参加しなかった。


しかし、今回は自主的である。

「俗」の権化、yは私のぽっきーに食いついたが、mはガンひき。前回俺に仕掛けてきたくせに、何を今更。。。


花火は結局三分の一くらいしか見なかったような。別段、興味もなかったし、酒と食べ物を荷物にしないためにも、やつらに消費して貰わねばならなかった。




予報されていた雨は早めに降って明け方涼しい朝。Good!!


10時ごろ九段下羽〇道場より帰宅、食事を摂って再び東京へ舞い戻る。

いよいよ!テンションが上がってきた。

昨日衝動買いしたZARD『揺れる想い』から「揺れる想い」「負けないで」二曲を聞く。まるでカチコミまえに火打石を打つ昭和のやくざである。出発!!


18キロの荷物は普通には持ち難い。そこで剣道の竹刀を使用。道具袋を担ぐが如く、バッグを運ぶ。重い。


電車内で浴衣がちらほら。場所取り完了まで浴衣は敵である。人の多さ即場所に関わるのだ。


クーリーさながらに12時半に会場着。

人が思ったより少なく、がら空き。何だ、簡単じゃん!1時に陣地を候補地に無事構築。しかも当初トイレが大変と言う情報があったが、半径50メートル四方に二箇所仮設されている!幸先はよい。



携帯を開いてみる、二つのメール。

......二名欠席。といことは


参加者、自分、時責m、時責y、そしてf君、計4人 以上。


俺って何なの?  幹事なの、これでも?しかもこれってこの前の飲み会と同じ面子、いやあの時は計7人だった。ちなみにベロー〇ェの女社会(注1)の特質が顕在化した、つまり逆セクハラ(注2)が飛び交う低俗な飲み会だった。


じゃあ、あの飲み会の濃縮バージョン?

崇高な抱負が崩壊していく...

この厳しい未来が分かっていながら、あと6時間(時責mは早めに来るから実質的には4時間半のはず「だった」)待つのか。


陣地を縮小する。シート3枚もってきて実際の広さは一枚半。かつての我が剣道サークル的にいうと「ショっぱい」状況だ。


日差しは厳しくないものの、太陽が雲に隠れると急に涼しくなり、日差しが出るとやはりキツイ。おまけに海ならではの絶えぬ風、日傘を開いたり閉じたり、飛ばされたり。

本を持ってきたけど、気が散漫。うつらうつらしてふと見上げると、トイレに長蛇の列、100メートルぐらい。不気味な前兆だが、なぜか無関心。


4時半くらいになると流石にスペースはなくなってきた。混雑という現実をようやく認識する。 と、5時に時責mから勝どき着のメール。そういえば勝どきから会場までの10分間、きつかった、重かった。時責mの荷物はせいぜい氷3キロくらい。早く来い来い。うっ、


雨、夕立。くそ、今さらかよ。天道、是か非か。ケケケとあざ笑いしているようにも見える。

しかし、不要になったはずの傘(計二本持参)とシートが役に立つ。荷物には傘を立て、あまりのシートは雨にぬれたシートの上にかぶせれば大丈夫。自分は立って傘を差す。ここは凌ぎ時。


やがて時責m「人が多い」のメール。そしてやはり「どこにいるのか分からない」。地図渡したでしょうがぁ! 20分後「満員で会場に入れないと」じゃあ会場で不自然な広さの場所取りしている皆さんのご苦労は??????

「強行突破してください、砂利の方の会場です」。10分後「砂利のどこですか」キレ気味の声色。17時40分、何とか合流。m、いきなりぬれているシートに裸足を差し出す。あ、あのちょっと…! 「あー、もうびしょ濡れ、サンダルも!」 ・・・それって俺の責任なの?


雨が上がった。すぐに復旧しなければ。こういうとき一人でやった方がいい。共同作業はトラブるからである。しかし、「先にこれやればいいじゃないですかっ」先に頷いたはずなのにもう干渉してくる。


その途中、時責y、f君も不法侵入でようやく会場入り。F君を電話で案内する。ところが電話がすぐに途切れる。災害時の電波の悪さと通じるものがあろう。mは時責yを電話誘導して、y到着。自分は5回目くらいの電話をf君にしていると、またm「中〇くんの説明が下手なんでしょ貸して。」

確かに自分は口下手だが、それ以上に電波が悪いのだ。それなのに.....

mに渡した瞬間、なんで電話が途切れなくなるの???何で?

それからすぐにf君到着。気分は?最悪


自分の嫌いなポスターに日経新聞の広告がある。それは日経新聞を手にしたキャリウーがいかにもできますよ然と、闊歩していて、その後ろで同年代の男(注3)が遅れないようについていくものだ。こともあろうにその図式が、今ここで形成されているではないか。


理不尽の限り。俺は19キロの荷物を竹刀を天秤棒代わりにして(注4)運んで、正午過ぎ以降ここで踏ん張ってきて、荷物を雨から守ってきたのに......!!  ム、無念(注5)・・・・


なんとか復旧完了。「すいません、言い過ぎでした」とm、気を遣っているのか。世の中というのは厄介なのもので、人を悪人と見なしきれるものではない(注6)。自分の心境は、湿った炭火のようであった。とそのとき、


レインボーブリッジの夜景を左下に従えて、花火が上がった(注7)。何とまあタイミングというものがあるんだなあ。でもいいタイミングではない。みんなが早めに来れば、その分談笑できるのである。花火は全体のクライマックス、少なくともメインディッシュでよいではないか。前菜がなかった。


これまでのところ、お天道様は私に圧勝、更に屈辱を与え続けている。もし人間の形をしてそこにいたら、自分は鉄パイプで撲殺していただろう。


(注1)バイト20人中、16人が女。

(注2)「はい、あーんして」「わー、胸〇が生えてるー。あ背中も」自分は硬派(のはずだった)ゆえ、自分で食べたし、ジャミラになって防戦。

(注3)つい先日、日曜ドラに殺人犯でマザコンな役として出演していた。

(注4)今から思えば、その姿は堕落した自分を如実に示すものかもしれない。剣道を軽んじ、花火見物なる俗事、浴衣に魅かれる。。。

(注5)「水10」のゴリふんする落ち武者の台詞と一致。そういえば彼も堕落、なれの果てを表象している。

(注6)逆も然り。かつて所属していた空手サークルの先輩が印象深いことを言っていた。「人というのは、軽蔑しきることはできないし、また尊敬しきることもできない」と。

(注7)この構図を下見で予想できたからこそ、候補ポイントとなった。