先日は東京湾華火大会をベロー〇ェの面々で観に行った。幹事は自分である。
ベロー〇ェではこのところヒステリカルなまでにイベントが続いている。前述の六本木のクラブを皮切りに、町田や新宿で飲んだり、牛角や池袋のナンジャタウンで食べたり、靖国神社のみたま祭りに行ったり....二ヶ月で7回は数えるのだろうか。
理由は錯綜しているが、苦烈婦の圧制後の解放感は確実な要素である。「イベント多すぎ。大丈夫なのか、緩み過ぎじゃないのか」と憂慮していた。ところが、いち早く気付くべきだったのは、この憂慮を最も向けるべき対象が、自分自身であったことだ。
しかし、この花火見物は自分の発案である。それは、「靖国神社のみたま祭りに一緒に行こうよ」と「鉄人」(注1)誘われた際の対案であった。国民国家の人為的装置に警戒する、いち民主的人士としては承知しかねるイベントである(注2)。
ところが連中は、浴衣が着たいというのが魂胆のようだ。デリカシーと恋愛経験のない自分にとってはにわかに理解しにくいところである。そもそも国民動員は一見政治とは無関係のところから及んでくる。祭りなどその典型だ。
「それよりも花火大会はどうでしょう?浴衣着れるでしょう。」あくまで国家の謀略を防ぐための誘導で、彼女らはきっと花火大会を企画するだろう。それならば、自分も参加できる。思想的独立を維持しつつ、浴衣の女の子たちを見れる、まさに一石二鳥。
ところが、「じゃ、た〇ち(注3)企画して」と鉄人。
かくて自分の発(/失)言によって幹事にさせられ、花火見物のイベントが始動した。候補として、隅田川花火大会、神宮外苑花火大会、東京湾華火大会がある(各市・区でやる花火は地理的にみんなの都合がつきにくい)。
大学一年のとき、隅田川花火大会を見に行ったが、川を渡るのに一時間かかるほど混雑し、おまけに花火は木陰で見えない最悪の結果であった。外苑よりは海を舞台での東京湾華火大会の方がいい。
ターゲットが決まれば下調べ。ネットで日時、正確な場所、注意事項を確認する。そして大会の一ヶ月前には実際に現地を下見した。そこで、場所のポイント候補を決めさえしたのである。
もっとも埠頭という埋立地によくありがちな、清掃場があるだけのだだっ広い荒れ広場である。当日どんな状況になるかわからない。清掃場脇のレクリエーション施設を訪ね、恒例の大会模様を教えてもらう...我ながら凄い念の入れようである。
PRにも念を入れた。チラシ作成に当たっては、文言を時責の一人に検討してもらい、それにさらに手を加えてワード入力、字体や字の太さにも多様性を持たせる。それをプリントする。そしてネットで会場周辺の詳細地図を複数枚印刷し、既に決めたポイント候補、下見で分かったことを記入する。それをベロー〇ェの休憩室に置いた。我ながら用意が早い。
なぜここまで念を入れるのか。それは「自分が幹事(/会計)役を任されたらろくなことが起こらない」というMyジンクスゆえである。
大学一年の時、最初で最後のクラス内コンパを幹事したが、三分の二欠席。サークルでは夏休み中、会計が自分一人であった飲み会があって、手腕が期待されたが、なぜか別役が出てきて、自分はいつも通りビール運びしか許されなかった。サークルの同期飲みでは出席者半分であった。従来お天道様は、私のプロデュース/マネージメント能力の発芽を阻んできたのである。
「運命なんてない、未来は自分で切り開くもの」。サラ・コナー(ターミネーター2、リンダ・ハミルトン)の信念を奉じて、私は天道に抗おうとしていた。
注1:ベロー〇ェ№1の美人でもある。
注2:が、結局行ってしまった。何のことはない女の色気に屈しただけのことである。北朝鮮に弱みを握られているという政治家、異国で美人局(当国の公安の策動)に遭い、スパイ協力を強制されようとした日本人研究者を馬鹿にしていた自分が情けなく、悲しい。煩悩によって大志を葬る、あるいは小事でもって大事をおろそかにする。私は典型的な堕落の路を辿っているのだろうか。あの「K」(@漱石『こゝろ』)を思い出さずにいられない。
注3:ベロー〇ェ内での自分の他称。前述。