4月2日(日)
3月28日午前10時に父が永眠いたしました。
先週の日曜日に逢った日は
「ジャンバーを持って来てくれ」
「さみぃとね?」
「さみこつはねぇけど家が気になるからいっぺん連れて帰ってくれんかい。」
「お父さんは酸素しちょっちゃから前みたいに車椅子に乗れんとよ。」
「そうか?こら起こしてやれ」
「じゃからダメやとよ
日向病院にいるときは大丈夫やったけど…」
日向病院にいるときは大丈夫やったけど…」「こんまえお母さんが来たの覚えとる?」
「うん。さっきもそこの座敷におったじゃねぇか」
「お父さんしっかりせんね、ここはどこね」
「何いいよっとか
みかどの病院じゃろが。お母さんはオレが声かけても知らん顔しとるわ」
みかどの病院じゃろが。お母さんはオレが声かけても知らん顔しとるわ」と幻覚なのか…そのあとは元気な頃に猪狩に行った話しをしました。
「今度は土曜日が休みやからそんときに来るからね」
「それまで生きとるじゃろか」
「生きとるが。ちっとでもご飯食べないよね」
「うん。気ぃつけて帰れよ」
「じゃあね」
これが最期の会話でした・・。
28日の水曜日の朝、9時過ぎに病院から電話があり意識が無くなったりするから帰って来て下さいと。
いったんアパートに戻り準備して向かっていると…親戚の人から電話があり「たった今…午前10時に亡くなった」と…。
宮崎市から父のいる神門(みかど)まで約2時間半いつもと同じ道なのに長く感じました。
父の傍らには叔父さんや看取ってくれた看護士さんと親戚の人がいました。
でも悲しんでいる間もなく葬斎場の手配や福祉センターへの連絡。
仮通夜は自宅だったので私の車に乗せて最後のドライブをしました。自宅は近所や親戚の人が来てくれて片付けられて布団が敷いてあり2年ぶり帰ることができました。
15時には葬儀屋が来て式の段取りの話しが始まり父の傍らでは祭壇・香典返し・棺・遺影写真・霊柩車…どのランクにするかシビアにお金の話し合い
夜は親戚と集まって精進上げ(葬儀の後に座が設けられ故人を偲んで食事をする)に呼ぶ人を書き上げていきました。斎場で飾る写真を選んだりしながら夜も更けて行きました。
翌日はお通夜の準備でバタバタ
母親を連れて帰り父親に逢わせました。最初は何が起こったのかわからないようでしたが父が亡くなった事を理解して涙を流していました
母親を連れて帰り父親に逢わせました。最初は何が起こったのかわからないようでしたが父が亡くなった事を理解して涙を流していました
夕方から葬斎場へ行きお通夜が始まりました。
30日に葬儀が行われ認知症の母親も喪主として出席して朝から夕方までよく頑張ってくれました。祭壇を見ると状況を把握してか鳴咽していました





「私は誰かわかるね?」
親戚や知り合いに矢継ぎ早に聞かれ母も疲れたようです。
骨を拾って火葬場から戻り母と自宅に帰る道中は何があったのかすっかり忘れている様子でした。
本来は35日か49日に納骨するみたいですが私の都合で父には申し訳ないけど翌日の31日に納骨しました。
昨日は私を心配してか親戚の人が朝から引っ切りなしに来てくれて本当にありがたいですね。
今日は片付けや財務処理をして帰る予定です。
ペタ、ピグコメ、ブーシュカ…みなさんありがとうございます。
コメント出来ずにごめんなさいm(__)m
これからもよろしくお願いします。